ティアーズ・フォー・フィアーズの名曲ベスト10【Artist’s Best Songs】

ティアーズ・フォー・フィアーズは1961年8月22日生まれのローランド・オーザバルが13歳の頃に両親が離婚してイギリスのポーツマスからバースに移り住み、同い年でやはり両親が離婚していたカート・スミスと出会ったことがきっかけで結成された音楽グループである。

バンド名はアメリカの心理学者、アーサー・ヤノフの著書「Prisoner of Pain」から引用されている。アーサー・ヤノフの最も有名な著書「原初からの叫び-抑圧された心のための原初理論」の原題は「The Primal Scream」はボビー・ギレスピーが率いるロック・バンド、プライマル・スクリームのバンド名の由来にもなっている。叫びによって心理的な苦痛を解放するというような療法はジョン・レノンも受けていて、アルバム「ジョンの魂」などにはその影響があらわれてもいるという。ティアーズ・フォー・フィアーズにとっても心の痛みというのは大きなテーマであり、特に初期のより繊細さが感じられる作品にはそれが強く感じられる。

とはいえ、その後、いかにも80年代的なメジャー感溢れる音楽性にシフトするとイギリスのみならずアメリカでも大ヒットを記録し、その後はビートルズや60年代のサイケデリックな感覚、ソウル・ミュージックからの影響が感じられる音楽性に変化していった。80年代にティアーズ・フォー・フィアーズがリリースしたアルバムは「ザ・ハーティング」「シャウト」「シーズ・オブ・ラヴ」の3作のみなのだが、それらがあたえたインパクトというのはあまりにも大きかったように思える。

今回はそんなティアーズ・フォー・フィアーズの楽曲から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲を選び、カウントダウンしていきたい。

10. Break It Down Again (1993)

ティアーズ・フォー・フィアーズが80年代にリリースした3作のアルバムは、「ザ・ハーティング」「シーズ・オブ・ラヴ」が全英アルバム・チャートで1位、「シャウト」が最高2位だが全米アルバム・チャートでは1位と、いずれも大ヒットを記録していた。1991年にカート・スミスが脱退したことにより、ティアーズ・フォー・フィアーズは実質的にローランド・オーザバルのソロ・プロジェクトのようなものになった。それでも、1992年にリリースされたベスト・アルバム「ティアーズ・ロール・ダウン~グレイテスト・ヒッツ」は全英アルバム・チャートで最高2位を記録するなど、人気は健在であった。

1993年の「ブレイク・イット・ダウン・アゲイン」はティアーズ・フォー・フィアーズからカート・スミスが脱退してから最初のアルバムであり、以前から音楽仲間であったミュージシャンなどが協力している。この曲はアルバムからの先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高20位を記録した。後にカート・スミスはティアーズ・フォー・フィアーズに戻るのだが、自分が在籍していなかった時期でお気に入りの曲として、この曲を挙げている。また、「ブレイク・イット・ダウン・アゲイン」のアルバム収録曲のうち、この曲だけがカート・スミスがティアーズ・フォー・フィアーズに戻った後もライブで演奏されている。

9. Woman in Change (1989)

1985年にアメリカでツアーを行っていたティアーズ・フォー・フィアーズはカンザスシティのクラブでたまたま歌っていたオリータ・アダムスのパフォーマンスに感銘を受けた。それがきっかけでコンタクトを取り、3作目のアルバム「シーズ・オブ・ラヴ」に参加することになった。収録曲の中でもオリータ・アダムスのボーカルの魅力が特に生かされていると思われるのが、アルバムから2枚目のシングルとしてカットされ、最高26位を記録したこの曲である。ローランド・オーザバルが当時、読んでいたというフェミニズム関連の本や、ドメスティックバイオレンスが発生してもいたというかつての両親の関係性などから影響を受けた内容となっていて、フェミニストアンセムとしても知られている。ドラムスでフィル・コリンズがゲスト参加している。オリータ・アダムスはこの後、シングル「ゲット・ヒア」が全英シングル・チャートで最高5位を記録するなど、ソロ・アーティストとしても活躍することになる。

8. Change (1983)

ティアーズ・フォー・フィアーズの4枚目のシングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高4位のヒットを記録した後、デビュー・アルバム「ザ・ハーティング」にも収録された。ローランド・オーザバルによるとこの曲に特に深い意味はないということだが、ニュー・ウェイヴ的なマイルドな実験性とキャッチーなメロディー、繊細さを感じさせるボーカルなどが味わい深いとても良い曲である。

7. Advice for the Young at Heart (1989)

アルバム「シーズ・オブ・ラヴ」から3枚目のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで最高36位を記録した。アルバム収録曲のうち、カート・スミスがリードボーカルをとった唯一の楽曲でもある。

6. Pale Shelter (1982)

ティアーズ・フォー・フィアーズの2枚目のシングルとしてリリースされた時にはヒットしなかったのだが、後に再レコーディングされたバージョンが、何種類ものピクチャーディスクやカラーディスクを発売したり、ライブでこの曲だけ2回演奏するなどの猛烈なプロモーションの甲斐もあって、全英シングル・チャートで最高5位のヒットを記録した。タイトルはヘンリー・ムーアの絵画に由来する。シンセサイザーとギターサウンドのバランスが絶妙であり、ネオ・アコースティック的なトレンド感をマイルドに感じ取るリスナーも少なからず存在していたように思える。よく分からないのだが、なんとなく不穏なイメージが連続するミュージック・ビデオもとても良い。

5. Head Over Heels (1985)

ティアーズ・フォー・フィアーズの2作目のアルバム「シャウト」からシングル・カットされ、全英シングル・チャートで最高12位、全米シングル・チャートではこれ以前ののシングルが2曲連続1位の後で最高3位という強さを見せつけた。ちなみに3曲連続1位を阻んだのは、ヤン・ハマー「マイアミ・バイスのテーマ」とスティーヴィー・ワンダー「パートタイム・ラバー」である。「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」、つまり真っ逆さまにと題されたこの曲はローランド・オーザバルによると、シンプルなラヴソングだということである。シングル「ペイル・シェルター」のB面に収録されていた「ウィ・アー・ブロークン」から派生した「ブロークン」とつながる楽曲でもあり、ライブやアルバム「シャウト」においてはメドレー的に扱われたりもしている。2001年の映画「ドニー・ダーコ」ではひじょうに印象的な使われ方をしていて、楽曲そのものの魅力を再認識したり新発見したりするリスナーも少なくはなかったと思われる。2019年にはジャパニーズ・ブレックファストがシングル「エッセンシャリー」のB面でこの曲をカバーしている。

4. Sowing the Seeds of Love (1989)

ティアーズ・フォー・フィアーズの3作目のアルバム「シーズ・オブ・ラヴ」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高5位、全米シングル・チャートでは最高2位を記録した。全米シングル・チャートで3曲目の1位になることを阻止したのは、ジャネット・ジャクソン「ミス・ユー・マッチ」であった。1987年のイギリス総選挙においてマーガレット・サッチャーの保守党が勝利をおさめたことをきっかけに、ローランド・オーザバルは政治、特に社会主義に関心を持つようになったようで、それがこの曲の内容にも反映している。音楽性やビジュアルイメージには、ビートルズからの影響が強く感じられる。「Kick out the style! Bring back the jam!」というフレーズは、ザ・ジャムを解散してザ・スタイル・カウンシルを始動させたポール・ウェラーのことを歌っているのではないかともいわれがちである。

3. Mad World (1982)

ティアーズ・フォー・フィアーズの3枚目のシングルで、全英シングル・チャートで最高3位とバンドにとって最初のヒット曲となった。ローランド・オーザバルはデュラン・デュラン「グラビアの美少女」のようなニュー・ウェイヴをイメージしてこの曲をつくり、シングル「ペイル・シェルター」のB面に収録しようとしていたのだが、レーベルからこれはまた別のシングルとしてリリースした方が良いとアドバイスされ、そうしたところヒットしたということである。

歌詞の内容にはバンド名の由来にも関係するアメリカの心理学者、アーサー・ヤノフの理論が強く影響している。「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」がひじょうに印象的な使われ方をしていた2001年の映画「ドニー・ダーコ」のサウンドトラックにおいてマイケル・アンドリュース&ゲイリー・ジュールズがカバーしたバージョンは全英シングル・チャートで1位に輝く大ヒットとなり、ローランド・オーザバルは生涯で2度目のアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞することになった。

2. Shout (1985)

ティアーズ・フォー・フィアーズの2作目のアルバムは「Songs from the Big Chair」というタイトルだが、邦題はシンプルに「シャウト」となっている。先行シングルのタイトルをアルバムにも付けてしまうという、邦題でありがちなパターンの1つである。とはいえ、「シャウト」はアルバム「シャウト」(ややこしい)から2曲目の先行シングルであり、これ以前には「マザーズ・トーク」がリリースされ、全英シングル・チャートで最高14位を記録していた。デビュー・アルバム「ザ・ハーティング」に比べ、明らかにサウンドがメジャーになっていた。そして、そういったサウンドのメジャー化は、「シャウト」のシングルにおいて、さらに推し進められているように感じられた。タイトルはティアース・フォー・フィアーズのバンド名の由来でもあるアーサー・ヤノフのプライマル・スクリーム療法に関連しているかと思いきや、ローランド・オーザバルによるとプロテストソング的な意味合いも強かったという。

日本では舘ひろしが出演し、「オレ・タチ、カルタス。」がキャッチコピーのスズキ・カルタスという自動車のCMソングに使われてもいた。これ以前にはウィリー・ネルソン「オールウェイズ・オン・マイ・マインド」、スティーヴ・ペリー「Oh、シェリー」などが使われていた。全英シングル・チャートでの最高位は4位、全米シングル・チャートでは2曲連続での1位に輝いた。

1. Everybody Wants to Rule the World (1984)

イギリスではアルバム「シャウト」から「マザーズ・トーク」「シャウト」に続く3枚目のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。1位を阻んだのはUSAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」である。アメリカではこの曲が全米シングル・チャートで2週連続で1位に記録した後、「シャウト」も続けて1位に輝いた。シンプル・マインズ「ドント・ユー?」などと共に、当時、街で聴いて、これぞ80年代のサウンドといえるのではないかと感じられたほどのダイナミズムがとても良い。そして、人間の支配欲をテーマにしたような内容は、いかにも80年代的であるのと同時に、普遍的であったりもする。このひじょうに印象的なタイトルなのだが、ザ・クラッシュの1980年のアルバム「サンディニスタ!」に収録された「チャーリー・ドント・サーフ」の歌詞からの引用なのではないかと、ジョー・ストラマーがレストランで偶然に出会ったローランド・オーザバルに尋ねたところ、素直に認めてその場で5ポンドを払ったという話もある。