洋楽ロック&ポップス名曲1001:1990, Part.3

Saint Etienne, ‘Only Love Can Break Your Heart’

セイント・エティエンヌの2枚目のシングルで、1991年の再リリース時に全英シングルチャートで最高39位を記録した。アメリカではさらにその翌年に全米シングルチャートで最高97位、全米ホットダンスクラブプレイチャートで1位を記録している。

ニール・ヤングの1970年のアルバム「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」からシングルカットされ全米シングルチャートで最高33位を記録した「オンリー・ラヴ」のカバーバージョンで、フォークロック的な楽曲を女性ボーカルのダンスポップとしてリメイクしていることなどが話題になった。

セイント・エティエンヌは当初、ボーカリストを固定しないつもりだったため、サラ・クラックネルはまだ参加していなく、この曲ではモイラ・ランバートのボーカルをフィーチャーしている。

Deee-Lite, ‘Groove Is in the Heart’

ディー・ライトのデビューアルバム「ワールド・クリーク」からのリードシングルで、全米シングルチャートで最高4位、全英シングルチャートでは最高2位のヒットを記録した。

DJディミトリー、レディ・ミス・キアー、ジャングルDJトーワ・トーワという国際色溢れるユニットによるポップでキャッチーなダンスポップで、ブーリィー・コリンズ、メイシオ・パーカー、ア・トライブ・コールド・クエストのQティップがゲスト参加している。

ジャングルDJトーワ・トーワはかつて坂本龍一がNHK-FMでやっていた「サウンドストリート」で投稿したデモテープが紹介されていた人としても話題になり、後にトウ・テイワとして有名になった。

セイント・エティエンヌやカーディガンズなどと並び、メジャーな「渋谷系」洋楽としても知られる。

Caron Wheeler, ‘Livin’ in the Light’

ソウル・Ⅱ・ソウルにも在籍していたイギリスのシンガーソングライター、キャロン・ウィーラーのソロデビューアルバム「UKブラック」からリードシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高14位、アメリカでは全米ホットダンスクラブプレイチャートで1位を記録した。

人々が自分たちの固有の文化から引き離され、新しい環境で生き延びていかなければいけない状況について歌われていて、奴隷制や賠償にも言及しているとされている。

ソフィスティケイトされたサウンドとボーカルパフォーマンスが特に素晴らしく、ネオソウルクラシックの1つなのではないかというような声もある一方で、いまひとつ不当に再評価が進んでいないのではないか、というような意見もある。

George Michael, ‘Freedom ‘90’

ジョージ・マイケルのアルバム「LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL.1」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高28位、全米シングルチャートで最高8位を記録した。

ワム!を解散した後にジョージ・マイケルがリリースしたでソロデビューアルバム「FAITH」はメガヒットを記録したが、その次作はよりアーティスティックな音楽性にシフトした、地味な印象もあたえかねない作品となっていた。

ジェームス・ブラウン「ファンキー・ドラマー」のビートやインディーダンス的な要素をも取り入れたこの楽曲はアルバム収録曲の中でも数少ないアップテンポの楽曲であり、タイトルにはワム!時代のヒット曲「フリーダム」と区別するために「’90」が付け加えられた。

デヴィッド・フィンチャーが監督したミュージックビデオにジョージ・マイケル自身は出演していなく、ナオミ・キャンベル、リンダ・エヴァンジェリスタなどのスーパーモデル5名が出演している。

Jesus Jones, ‘Right Here, Right Now’

ジーザス・ジョーンズのアルバム「ダウト」からリードシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高31位、全米シングルチャートでは最高2位を記録した。

中心メンバーでソングライターのマイク・エドワーズはプリンス「サイン・オブ・ザ・タイムス」のシンプル・マインズによるカバーバージョンとベルリンの壁の崩壊を伝えるテレビの報道にインスパイアされてこの曲をつくったといわれ、当初はプリンスやジミ・ヘンドリクスのレコードからの引用もg含まれていたが、そこは最終的にカットされたようだ。

イギリスのバンドによる楽曲なのだが、アメリカでの方が大きくヒットして、後にビル・クリントン、さらにはヒラリー・クリントンの選挙運動で使われたりもした。

The La’s, ‘There She Goes’

リバプール出身のインディーロックバンド、ラーズの最も有名な楽曲で、1988年にリリースされた後、1990年にスティーヴ・リリーホワイトによってリミックスされたバージョンが全英シングル・チャートで最高13位を記録した。

インディーダンスやマッドチェスターといったダンスビートを取り入れたインディーロックが流行していた時代に、60年代的なバンドサウンドを貫いていた印象が強く、ともすれば懐古趣味的に見られかねないところを、楽曲のクオリティで圧倒していた。

とはいえ、中心メンバーであるリー・メイヴァースのこだわりがひじょうに強く、アルバムがなかなか完成しなかったり、レーベルが無理やり完成させてリリースした作品についてもずっと不満を述べ続けていた。

ベーシストのジョン・パワーはバンドを脱退後にキャストを結成し、ブリットポップ時代に人気を得ることになる。

Ride, ‘Vapour Trail’

イギリスはオックスフォード出身のインディーロックバンド、ライドのデビュー曲「ノーホエア」でラストに収録された楽曲である。

ノイジーなギターと甘いボーカルとメロディーが特徴で、UKインディーロック界の新世代を代表するバンドとして大いに注目をあつめた。

同じようなタイプの音楽をやるバンドが観客の方を見ず、まるで自分自身の靴を凝視しているかのような大勢で演奏をするイメージから、イギリスの音楽誌が嘲笑気味にシューゲイザーと表現したところ、これが意外にも浸透し、後に特定の音楽性を指すサブジャンル名としても定着した。

この曲はイギリスではシングルカットされていなかったり、特にヒットしたわけでもないのだが、バンドの楽曲の中で最も高い評価を得ている。

ギタリストのアンディ・ベルは後にベーシストとしてオアシスに加入した。