洋楽ロック&ポップス名曲1001:1978, Part.2

The Clash, ‘(White Man) In Hammersmith Palais’

ザ・クラッシュがアルバム未収録のシングルとしてリリースした楽曲で、全英シングルチャートで最高32位を記録した。邦題は「ハマースミス宮殿の白人」である。

ジョー・ストラマーがレゲエのライブを見に行ったのだが、ポップに薄められた内容であり、期待はずれだったことに対する不満からはじまり、イギリス国内の政治情勢やパンクロックの商業化に対するぼやきなどが、レゲエの影響も感じさせるゆるやかな曲調にのせて歌われている。激しめのイントロとの落差もとても良い。

この批評精神こそがパンクロックの真髄であり、音楽的にはけして型にはまっている必要はないということを証明するような楽曲である。

ジョー・ストラマーはこの曲をとても気に入っていて、ザ・クラッシュを解散した後も演奏し続け、自身の葬式でも流されたという。

Siouxsie and The Banshees, ‘Hong Kong Garden’

スージー&ザ・バンシーズのデビューシングルで、全英シングルチャートで最高7位を記録した。邦題では「香港庭園」と漢字表記される。

タイトルはかつて実在した中華料理店に由来しているが、そこではスキンヘッドの人種差別主義者たちが店で働いている中国人たちに嫌がらせをすることがあり、それを見てスージー・スーは心を痛めていたという。

イントロなどで聴くことができるオリエンタルなフレーズと全体のニューウェイヴ感が絶妙にマッチした、とても良い楽曲であり、ソニック・ユースのサーストン・ムーアもお気に入りの1曲に挙げている。

Buzzcocks, ‘Ever Fallen in Love (With Someone You Shouldn’t’ve)’

バズコックスのアルバム「ラヴ・バイツ」からの先行シングルで、全英シングルチャートで最高12位を記録した。

パンクロックというと社会問題やそれに対する告発的なメッセージを含みがちな印象もあるのだが、バズコックスの楽曲の場合は無邪気な恋愛やそれにまつわる苦悩や欲求不満などがテーマになっていることがひじょうに多い。

いわゆる青春パンクなるサブジャンルが存在しているとするならば、そのひな形な楽曲だともいえるかもしれない。

Funkadelic, ‘One Nation Under a Groove’

ジョージ・クリントン率いる2つのバンド、パーラメントとファンカデリックがPファンクと呼ばれる音楽の中心的存在だったわけだが、ファンカデリックはその名の通り、ファンクでありながらサイケデリックというような感じが伝わってくる。

この曲はアルバム「ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ」のタイトル曲にしてシングルとしてもリリースされ、全米シングルチャートで最高28位を記録した。

ノリとクセの強さこそが魅力であり、後のポップミュージック界にも多大なる影響をあたえた。

Blondie, ‘Heart of Glass’

ブロンディのアルバム「恋の平行線」からシングルカットされ、イギリスやアメリカなどのシングルチャートで1位に輝いた。

パンクロックから派生したニューウェイブでありながら、ディスコソング的な要素を取り入れ、クロスオーバーな大ヒット曲となった。

ブラー「ガールズ&ボーイズ」などにもおそらく影響をあたえているわけだが、ブラーは「NME」のクリスマス号か何かで「恋の平行線」の頃のブロンディのコスプレをしていたことがあったような気もする。

それにしてもこの頃のデボラ・ハリーがマブすぎて最高である。

Public Image Ltd., ‘Public Image’

セックス・ピストルズを脱退したジョニー・ロットンことジョン・ライドンがジャー・ウォブルや元ザ・クラッシュのキース・レヴィンらと結成したバンド、パブリック・イメージ・リミテッドのデビュー・シングルで、全英シングルチャートで最高9位を記録した。

ジョン・ライドンのオリジナリティーに溢れたボーカルとポストパンク的なサウンドとの組み合わせが独特なポップ感覚を実現していてとても良い。

80年代には渋谷陽一の「サウンドストリート」でよく取り上げられがちだったり、「宝島」の表紙に載ったり、来日公演やその音源を収録したライブアルバムの発売などもあって、日本のいわゆるトンガリキッズ的な人たちにもひじょうに人気があった。