洋楽ロック&ポップス名曲1001:1972, Part.2

The Temptations, ‘Papa Was a Rollin’ Stone’

モータウンのソングライターでプロデューサー、ノーマン・ホイットフィールドがサイケデリックなサウンドにチャレンジした楽曲のうちの1つで、最初はアンディスピューテッド・トゥルースというグループによってリリースされた。

その後、テンプテーションズによるバージョンがリリースされると、全米シングルチャートで1位に輝き、グラミー賞でも3部門を受賞した。

1960年代に「マイ・ガール」をはじめ数々のヒット曲を世に送り出したテンプテーションズだが、その後、サイケデリックなサウンドを取り入れるようになり、メンバーチェンジを経てリリースしたこの曲が大ヒットを記録した。

アルバムバージョンは12分近くあるが、シングルでは編集され、A面にボーカルバージョン、B面にインストゥルメンタルバージョンを収録していた。そして、それぞれがグラミー賞のR&B部門を受賞した。

歌詞は母親が子供たちに亡くなった父親の放浪癖やいかに女たらしであったかなどについて、語った内容になっている。

David Bowie, ‘Ziggy Stardust’

デヴィッド・ボウイのアルバム「ジギー・スターダスト」のタイトルトラックで、シングルカットはされなかったためヒットチャートにはランクインしていないが、とても有名な楽曲である。

当時のデヴィッド・ボウイが演じていた架空のロックスター、ジギー・スターダストが自惚れすぎてしまったため、バックバンドのザ・スパーダース・フロム・マーズが復讐を企てるという内容になっている。

ジギー・スターダストのキャラクターはイギー・ポップ、マーク・ボラン、ジーン・ヴィンセントなどから影響を受けているのではないかといわれているが、デヴィッド・ボウイが直接に影響を受けたと認めているのは、自らを神の子であるとまで宣言していたイギリスのシンガー、ヴィンス・テイラーである。

ジギー・スターダストとしてインタヴューに応えたデヴィッド・ボウイは自分自身がゲイであることを宣言し、それ自体は完全な真実ではなかったものの、当時のデヴィッド・ボウイやグラムロックシーンがロックを凝り固まった男性性から解放した功績はひじょうに大きいものだったといえる。

デヴィッド・ボウイは演じていたはずのジギー・スターダストのキャラクターが自分自身の精神に強く影響をあたえ、それが狂気にもつながりかねないことを恐れたりもして、1973年7月3日にロンドンのハマースミス・オデオンで行われたライブを最後に、このキャラクターを脱ぎ捨てることにした。

Jimmy Cliff, ‘The Harder They Come’

ジミー・クリフが主演した映画「ハーダー・ゼイ・カム」のテーマソングで、素晴らしいサウンドトラックアルバムのタイトルトラックでもある。

ジャマイカで製作された映画はジミー・クリフが演じる純朴な田舎の若者が都会に出てギャングになり、やがて警察との銃撃戦で命を落とすという悲しいストーリーだが、この楽曲は人生がどれだけ苦しかったとしても、成功することはできる、というようなポジティブな内容になっている。

映画にはこの曲のレコーディングシーンもあるが、ジミー・クリフが演じる若者はプロデューサーから金を巻き上げられてしまい、それが原因で犯罪に走るようになっていく。

Chicago, ‘Saturday in the Park’

シカゴのアルバム「シカゴV」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高3位を記録した。

バンドのメインソングライターでこの曲ではピーター・セテラと共にリードボーカルをとっているロバート・ラムはアメリカの建国記念日である7月4日にニューヨークのセントラルパークでスティールドラム奏者やシンガー、ダンサー、ジャグラーなどに囲まれ、ひじょうに楽しいひとときを過ごしたのだが、その時の体験がこの曲のベースになっている。

日本ではオリコン週間シングルランキングで最高22位を記録し、2001年にはトヨタ自動車の高級セダン、ブレビスのCMで使われたりもしていた。

1991年にはデ・ラ・ソウルのアルバム「デ・ラ・ソウル・イズ・デッド」からシングルカットされた「ア・ローラー・スケーティング・ジャム・ネイムド”サタデイズ”」でサンプリングされたりもしていた。

Mott the Hoople, ‘All the Young Dudes’

モット・ザ・フープルのアルバム「すべての若き野郎ども」からのリードシングルで、全英シングルチャートで最高3位を記録した。

イギリスでカルト的な人気はあったのだが、レコードがあまり売れず、解散の危機を迎えていたモット・ザ・フープルにバンドの大ファンであったデヴィッド・ボウイが提供した楽曲である。

デヴィッド・ボウイはこの曲を元々は自身のアルバム「ジギー・スターダスト」に収録するつもりであり、すべての若き野郎どもがニュースを伝えるというような歌詞も、ジギー・スターダストが歌でニュースを伝える部分に対応したものである。

若者讃歌であるかのようなイメージはまったくの誤解だったということになるのだが、結果的にはグラムロックを象徴するアンセムの1つとして広く知られるようになっていった。

The O’Jays, ‘Back Stabbers’

オージェイズのアルバム「裏切り者のテーマ」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高3位を記録した。

ケニー・ギャンブルとレオン・ハフのプロデュースでフィラデルフィア・インターナショナルからリリースされたフィリーソウルを代表する名曲の1つで、ファンキーであるのと同時にクラシカルでもあるサウンドとソウルフルなボーカルが特徴である。

歌詞はソングライターの1人であるジョン・ホワイトヘッドが、家族や友人と直面した問題にインスパイアされた内容になっている。

Roxy Music, ‘Virginia Plain’

ロキシー・ミュージックのデビューシングルで、全英シングルチャートで最高4位を記録した。

デビューアルバム「ロキシー・ミュージック」が全英アルバムチャートで最高10位のヒットを記録し、次に何かシングルとしてリリースできそうな曲はないだろうかという話になって、未完成だったこの曲を仕上げることになった。

タイトルはブライアン・フェリーがかつて描いた絵画に由来していて、それはヴァージニア・スリムというタバコの箱と平原の真ん中に立つアンディ・ウォーホル映画のスター、ベイビー・ジェーン・ホルツアーを描いたものであった。

当時はまだメンバーであったブライアン・イーノのシンセサイザーやフィル・マンザネラのギターソロ、よく分からないおもちゃの音を適当に組み合わせたというサウンドは未来的でまったく新しいポップ感覚に満ち溢れたものであり、イギリスの人気音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」でのパフォーマンスも強いインパクトをあたえた。

後にセックス・ピストルズやパブリック・イメージ・リミテッドのボーカリストとして活躍するジョン・ライドンが音楽の道を志すきっかけになったのも、この楽曲だったという。

Timmy Thomas, ‘Why Can’t We Live Together’

ティミー・トーマスのアルバム「ホワイ・キャント・ウィ・リヴ・トゥゲザー」のタイトルトラックで、全米シングルチャートで最高3位を記録した。邦題は「かなわぬ想い」である。

TKレコードのセッションミュージシャンなどとして活動をした後、音楽業界からは引退して教師になろうとして勉強をしていたティミー・トーマスがベトナム戦争で多くの死者が出ているというニュースに心を痛め、たまらずに書いてレコーディングした楽曲である。

平和を希求する内容も素晴らしいのだが、サウンド面においてもリズムボックスの導入などが画期的であった。後にシャーデーがデビューアルバム「ダイヤモンド・ライフ」でカバーしたり、ドレイクが「ホットライン・ブリング」でサンプリングしたりもしている。