ジョン・クーガー「アメリカン・フール」【Classic Albums】
1982年9月11日付の全米シングル・チャートで1位に輝いたのは、シカゴ「素直になれなくて」であった。2位には7月から8月にかけて5週連続1位を記録した映画「ロッキー3」の主題歌、サバイバー「アイ・オブ・ザ・タイガー」が根強くランクインし続けていて、3位は先週の1位からダウンしたスティーヴ・ミラー・バンド「アブラカダブラ」であった。4位には先週の11位から大きくランクアップしたジョン・クーガー「ジャック&ダイアン」がトップ10入りを果たしている。ジョン・クーガーはこの前のシングル「青春の傷あと」が4週連続で2位を記録したのだが、1位はサバイバー「アイ・オブ・ザ・タイガー」によって阻まれていた。そして、この週も8位にランクインしている。この2曲も収録したアルバム「アメリカン・フール」はこの週の全米アルバム・チャートにおいて、フリートウッド・マック「ミラージュ」を抜いて初の1位に輝いた。これによってジョン・クーガーは、全米アルバム・チャートで1位と全米シングル・チャートで2曲のトップ10ヒットを同時に記録した、初の男性ソロアーティストとなったのであった。
ジョン・クーガーは1951年にアメリカはインディアナ州シーモアで生まれ、グラムロックバンドなどで活動をした後、1976年にジョニー・クーガー名義でレコードデビューを果たした。デヴィッド・ボウイのマネージャーだったことなどで知られるトニー・デフリーズに見いだされてのデビューで、ジョニー・クーガーというステージネームは本名のジョン・メレンキャンプではプロモーションしにくいからと付けられたものであった。しかし、レコードはなかなか売れず、レコード会社を移籍したりジョン・クーガーに移籍した末に、1979年に「アイ・ニード・ラヴァー」が全米シングル・チャートで最高27位、1981年には「夜が泣いている」が最高17位など、少しずつヒットが出るようになる。
そして、1982年に5作目のアルバムとしてリリースした「アメリカン・フール」から、「青春の傷あと」が全米シングル・チャートで最高2位、「ジャック&ダイアン」が4週連続1位、アルバム自体も全米アルバム・チャートで9週連続1位と大ブレイクを果たしたのであった。1982年の全米年間シングル・チャートでは7位に「ジャック&ダイアン」、8位に「青春の傷あと」と、ジョン・クーガーの曲が10位以内に2曲ランクインしている。また、「アメリカン・フール」は全米年間アルバム・チャートで、エイジア「詠時感/時へのロマン」、ゴーゴーズ「ビューティ・アンド・ザ・ビート」、フォリナー「4」に次ぐ4位にランクインしている。
7月にヒューマン・リーグ「愛の残り火」が全米シングル・チャートで3週連続1位、ソフト・セル「汚れなき愛」がトップ10入りを果たしたうえにロングセラーとなるなど、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの兆しが見えつつあったのだが、わりとシンプルなアメリカンロックであるジョン・クーガーのレコードもかなり売れていた。そして、ジョン・クーガー名義でリリースされたアルバムはこれが最後となり、この翌年にリリースされたアルバム「天使か悪魔か」からはジョン・クーガー・メレンキャンプ、さらに1991年のアルバム「ホエンエヴァー・ウィ・ウォンテッド」からは本名のジョン・メレンキャンプがアーティスト名になる。
「青春の傷あと」はジョン・クーガーと幼少期からの友人であるジョージ・グリーンによる共作であり、二人の掛け合いの中から生まれた楽曲である。まず、原題である「Hurts So Good」というフレーズがあり、そこから広がっていったようだ。そして、「ジャック&ダイアン」は1962年の映画「渇いた太陽」にインスパイアされた曲だといわれている。ジャックとダイアンというカップルについて歌われているのだが、アメリカのファストフードチェーン、テイスティ・フリーズとチリドッグが出てくるあたりが印象的である。また、人生は続いていく、生きることのスリルが過ぎ去った後でも、というようなフレーズがほろ苦くも共感を呼ぶ。
いかにもアメリカンロック的なこの楽曲なのだが、意外にもグラムロックのイメージが強いミック・ロンソンがギターとコーラスで参加したり、曲の構成についてアイデアを出したりしていたようだ。
テレビ朝日系の音楽番組「ベストヒットUSA」が1981年4月4日から放送を開始したのだが、北海道では見ることができなかった。この年の8月1日にアメリカでMTVが開局するのだが、「ベストヒットUSA」はそれよりも約4ヶ月ぐらい早かったということになる。1982年の秋には北海道で初の民放FM局、FM北海道が開局し、道内の音楽リスナーを喜ばせるのだが、さらにはHBCこと北海道テレビで「ベストヒットUSA」の放送もやっとはじまった。当時、洋楽アーティストの映像というのはそう簡単に見られるものでもなく、この番組はひじょうに貴重であった。特に放送を待ちに待っていた道民の洋楽ファンは、やっと見ることができるようになった「ベストヒットUSA」をビデオカセットに録画しては、何度も繰り返し見たりもしたのであった。ちょうどその頃に全米シングル・チャートで1位だったのが「ジャック&ダイアン」だったので、それだけにひじょうに強く印象に残っているというリスナーもいるのではないだろうか。
「アメリカン・フール」はA面の1曲目に「青春の傷あと」、2曲目に「ジャック&ダイアン」が収録され、次にシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高19位を記録した「ハンド・トゥ・ホールド・オン・トゥ」が3曲目と、シングル曲が最初の方に集中している。これ以外に6曲が収録され、後にCD化されたり配信されているバージョンにはアルバムのタイトル曲でありながら未発表だった「アメリカン・フール」もボーナストラックとして収録されている。
シングル曲がやはりひじょうに強いわりに、他の曲はそうでもないことをジョン・クーガー自身も認めてはいるのだが、いわゆる軽快なアメリカンロック的な感覚が全体的に感じられもして、これはこれでなかなか良いものである。当時、レーベルはニール・ダイアモンド的な作品を期待していて、このアルバムはあやうくボツになりかけてもいたというのだが、発売されると大ヒットして、ジョン・クーガーというか、ジョン・メレンキャンプがその後も活躍していくきっかけになったのだから、分からないものである。