ザ・スタイル・カウンシル「アワ・フェイヴァリット・ショップ」
ザ・スタイル・カウンシルの2作目のアルバム「アワ・フェイヴァリット・ショップ」は1985年6月8日にリリースされ、全英アルバム・チャートで初登場1位に輝いた。ザ・スタイル・カウンシルは1982年に当時、人気絶頂であったザ・ジャムを解散させたポール・ウェラーがデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのメンバーなどとして活動した経験があるミック・タルボットと結成した音楽ユニットで、ソウル・ミュージックやジャズからの影響を取り入れた音楽性が特徴であった。都会的で洗練されたサウンドにメッセージ性の強い歌詞というスタイルにオリジナリティーが感じられたのだが、日本では純粋にお洒落な音楽として愛好されたようなところもあり、ザ・ジャム以上に広く受け入れられていたような印象もある。イギリスにおいてはひじょうに人気が高く、シングル、アルバム共にチャート上位の常連であったザ・ジャムだが、アメリカではそれほどではなく、トップ40ヒットも1曲もなかったのだが、ザ・スタイル・カウンシルになってからは、1984年のシングル「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」が全米シングル・チャートで最高29位を記録していた。つまり、少なくともセールス的な面だけを見ると、アメリカや日本においてはザ・ジャムよりもザ・スタイル・カウンシルの方がより売れていたということもできる。
イギリスにおいてザ・ジャムはシングルもアルバムも全英チャートの1位に輝くレベルの人気バンドであり、ポール・ウェラーがザ・スタイル・カウンシルを結成した後も、わりと売れていたのだが、初めて1位に輝いたのは2作目のアルバムとなる「アワ・フェイヴァリット・ショップ」であった。1984年にリリースされたアルバム「カフェ・ブリュ」も全英アルバム・チャートで最高2位までは上がったのだが、1位はハワード・ジョーンズのデビュー・アルバム「かくれんぼ」に阻まれていた。ザ・ジャムの初期は当時まだ10代であったポール・ウェラーの怒れる若者的なイメージとパンク・ロック的でもある音楽性が特徴だったが、キャリアを重ねるにつれよりソウル・ミュージックの要素なども強くなっていった。このような経緯を考えると、ザ・ジャムからザ・スタイル・カウンシルへの音楽的な変遷というのもわりとナチュラルなものにも感じられるのだが、やはりザ・ジャムのファンからしてみると、ザ・スタイル・カウンシルに音楽に対しては賛否両論があったようにも感じられる。
ザ・スタイル・カウンシルの代表的なアルバムというと、「カフェ・ブリュ」が挙げられるケースが圧倒的に多いような気がするのだが、その洗練された音楽性やコンセプトには当時からオリジナリティーが感じられた。そして、約1年3ヶ月後にリリースされた「アワ・フェイヴァリット・ショップ」については、基本的に延長線上にありながら、音楽性の幅は「カフェ・ブリュ」ほど広くはなく、それでもソウル・ミュージックやボサノバ、モータウン・ポップなどバラエティーに富んでいるのが特徴でもある。ちなみに2022年6月現在、東京には「カフェ・ブリュ」というカフェが神泉に、「アワ・フェイヴァリット・ショップ」というギャラリー併設型ショップが白金に存在する。
「カフェ・ブリュ」と「アワ・フェイヴァリット・ショップ」の間にシングル「シャウト・トゥ・トップ」がリリースされ、全英シングル・チャートで最高7位を記録した。とてもポップでキャッチーな曲だったが、「アワ・フェイヴァリット・ショップ」には収録されなかった。しかし、CDや「インターナショナリスツ!」のタイトルでリリースされたアメリカ盤などには追加されていた。個人的には池袋パルコにあったオンステージ・ヤマノで「アワ・フェイヴァリット・ショップ」のレコードをおそらく入荷してわりとすぐに買ったのだが、あれは旭川の高校を卒業後、東京で一人暮らしをはじめてから数ヶ月しか経っていない頃だったと思う。翌年、大学に入学し、小田急相模原に引越したのだが、本厚木の丸井で生まれて初めてのCDプレイヤーを買った後、町田のレコファンで「アワ・フェイヴァリット・ショップ」をCDで買い直した。アナログレコードの方に「シャウト・トゥ・ザ・トップ」は入っていなかったのだが、CDの方には確かに入っていた。ちなみにアナログレコードはイギリス盤、CDは日本盤で買ったので、それぞれの逆はどうだったのか定かではない。
1985年2月1日に佐野元春がシングル「Young Bloods」をリリースし、オリコン週間シングルランキングで初のトップ10入りを果たすのだが、これがザ・スタイル・カウンシル「シャウト・トゥ・ザ・トップ」に影響を受けているのではないか、などといわれたりもしていた。1986年のアルバム「カフェ・ボヘミア」に至るまで、ザ・スタイル・カウンシルからの影響は指摘されていたのだが、後に「渋谷系」について書かれたとある文章で、佐野元春がきっかけで日本でもザ・スタイル・カウンシルが有名になったようなところがあり、そういった意味で佐野元春は元祖「渋谷系」といえるかもしれない、とされていたことについては、そんなことはないような気がする。とはいえ、当時の日本の若者文化において、佐野元春とザ・スタイル・カウンシルのリスナーはわりと重なっていたような気もする。
「アワ・フェイヴァリット・ショップ」の方が「カフェ・ブリュ」よりも楽曲のクオリティーは高いのではないか、ということが当時もいわれることはあったような気がするが、聴きやすいことだけは間違いない。「カフェ・ブリュ」に収録されていたファンキーだったりヒップホップ的だったりする曲が、「アワ・フェイヴァリット・ショップ」には入っていないのがその特徴だと思われる。先行シングルの「タンブリング・ダウン」はザ・スタイル・カウンシルにしてはパンキッシュであり、ザ・ジャムにも通じるところがあるのだが、これもアルバムの最後に収録されることによって、全体のトーンにはそれほど影響していないように思える。
歌詞にはより社会性が強まっているのだが、当時、ポール・ウェラーはビリー・ブラッグなどと共に政治的な活動を行っていたり、炭鉱ストライキを支援するシングルをリリースしたりもしていた。アルバムの2曲目に収録された「オール・ゴーン・アウェイ」はボサノバ的な楽曲なのだが、フリッパーズ・ギターの1990年のアルバム「カメラ・トーク」に収録された「ラテンでレッツ・ラブまたは1990サマー・ビューティー計画」の間奏にがっつり引用されていて微笑ましかった。「カム・トゥ・ミルトン・キーンズ」はアルバムから2枚目のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで最高23位を記録したのだが、この曲のミュージック・ビデオにはポール・ウェラーとミック・タルボットのコミカルな感じが出ていてとても良い。フリッパーズ・ギターは音楽性の一部だけではなく、イメージ的な部分でもザ・スタイル・カウンシルのこの辺りにインスパイアされていたところはあるのではないかと思える。まったくの余談だが、フリッパーズ・ギターもザ・スタイル・カウンシルも解散した頃に、当時は日本盤でしかリリースされていなかったポール・ウェラーのソロ・デビュー・アルバムを小山田圭吾が六本木のとあるCDショップで購入する時に、カウンター内にいたことは良い思い出である。
「ロジャース」はその次のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで最高13位を記録するのだが、アルバムとは別バージョンだったような気がする。当時、タイトルは忘れたのだが、ピーター・バラカンがおそらくNHK-FMでやっていた番組でかかっていたのを聴いて、後に12インチ・シングルを買ったはずである。「エヴリシング・トゥ・ルーズ」はタイトルや歌詞やアレンジを変えた「エヴァ・ハッド・イット・ブルー」として、1986年のジュリアン・テンプル監督の映画「ビギナーズ」のサウンドトラックに収録され、全英シングル・チャートでも最高14位のスマッシュヒットを記録していた。主演していたパッツィ・ケンジットはエイス・ワンダーというバンドのボーカリストでもあり、後にオアシスのリアム・ギャラガーと結婚し、離婚した。個人的には大学で同じクラスだった山口県下関市出身で後に読売新聞の記者になるとある女子がパッツィ・ケンジットをムダにディスっていたことにインスパイアされ、ピチカート・ファイヴ「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」をパクった「パッツィ・ケンジット・コンプレックス」という曲をつくっていたことが思い出される。
「アワ・フェイヴァリット・ショップ」でかなりフィーチャーされている女性ボーカリスト、D.C.リーはザ・スタイル・カウンシルに加入した後、ソロ・アーティストとしても「シー・ザ・デイ」で全英シングル・チャート最高5位を記録したりしていた。後にポール・ウェラーと結婚し、離婚するが、ザ・スタイル・カウンシルに参加する前にはワム!のバッキンク・ボーカリストとして活動していて、「クラブ・トロピカーナ」のミュージック・ビデオにも出演している。1983年の夏に、ザ・スタイル・カウンシル「ロング・ホット・サマー」などと共にヒットした曲である。
「アワ・フェイヴァリット・ショップ」が発売された翌月にあたる1985年7月13日には歴史的チャリティー・ライブイベント「ライヴエイド」が開催されたのだが、ザ・スタイル・カウンシルはわりと早めの時間帯に出演していたような気がする。ステイタス・クオーの後に登場し、「ユー・アー・ザ・ベスト」「ビッグ・ボス・グルーヴ」「インターナショナリスツ」「タンブリング・ダウン」が演奏されたとされている。日本では土曜の夜からフジテレビが生放送していたが、イギリスは真昼であった。逸見政孝アナウンサーが「次はスタイル・カウンシルさんです」などと紹介していたことに個人的な記憶の上ではなっているのだが、実際にそうだったかについては定かではない。
個人的にはこの年に池袋のビックカメラで生まれて初めてのウォークマンを買って、ヘッドフォンで好きな音楽を聴きながら街を歩いていると、景色がまるでミュージック・ビデオのように見えるという、それまでさんざん言われていたことをいまさら実感として理解していた。「アワ・フェイヴァリット・ショップ」もオンステージ・ヤマノで買ったレコードを友人の部屋のステレオでカセットテープに録音させてもらい、ウォークマンでよく聴いていた。当時、住んでいた文京区千石の大橋荘から水道橋の予備校、研数学館までは基本的に都営地下鉄三田線で通っていたのだが、だんだん飽きてきて、都バスなども使うようになった。研数学館の近くにある停留所からバスに乗り、席に座りながら発車するのを待っていた。ウォークマンに繋いだヘッドフォンからは、「アワ・フェイヴァリット・ショップ」から「ボーイ・フー・クライド・ウルフ」が流れていた。シンセサイザーと打ち込み的なサウンドが特徴的であり、特に軽いハンドクラップのような音に絶妙なクセを感じていた。バスの窓から外を見ると、予備校の授業で見かける女子が抽象的な靴屋の店先で、商品を手に取って見ていた。それだけでドラマティックなことは何一つ起こっていないのだが、この場面をなぜかこの曲と共に強烈に覚えていて、この曲を聴くたびに思い出さずにはいられない。その原因が何なのかはさっぱり分からないのだが、できればどこかでしあわせに暮らしていてほしい。