ビースティ・ボーイズ「イル・コミュニケーション」

ビースティ・ボーイズの4作目のアルバム「イル・コミュニケーション」は1994年5月31日にリリースされ、全米アルバム・チャートで1位、全英アルバム・チャートでは最高10位を記録した。ジャンルとしてはヒップホップに分類されもするが、インディー・ロック、オルタナティヴ・ロックのファンからひじょうに人気があり、この年はニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなり、オアシスのデビュー、ブラー「パークライフ」の大ヒットによってブリットポップがひじょうに盛り上がり、グリーン・デイ「ドゥーキー」やウィーザーのデビュー・アルバムがリリースされる中、よく聴かれていたような印象もある。シングルでもリリースされた「サボタージュ」のスパイク・ジョーンズ監督による70年代の刑事ドラマパロディー的ミュージック・ビデオも好評で、日本のCDショップでも輸入版のビデオカセットが売られているのをよく見かけたし、個人的にも新宿ルミネにあった頃のタワーレコードで買った。アルバムは西新宿のラフ・トレード・ショップでアナログ・レコード2枚組を買ったはずなので、やはりインディー・ロックファンにも人気があったのだと思う。

ビースティ・ボーイズのデビュー・アルバム「ライセンス・トゥ・イル」は1986年にリリースされ、全米アルバム・チャートで1位に輝いたことでひじょうに話題になっていた。ハード・ロックをサンプリングしたバックトラックにラップを乗せていることなどが特徴的だったのだが、元々は黒人アーティストによって生み出されたヒップホップというアートフォームにおいて、結局、大ヒットするのは白人アーティストなのか、というようなムードもあったように記憶している。また、デビュー当時のビースティ・ボーイズは音楽的にエポックメイキングではあったものの、ホモソーシャルなメンタリティーが強調されがちなところもあって、個人的にはなかなかしんどいと感じてもいた。このデビュー・アルバムも買ってはいたものの、後に渋谷のレコファンで売ったような気がする。

次のアルバム「ポールズ・ブティック」は1989年にリリースされ、音楽的にはよりマニアックになっていた。メンバーはとても良いアルバムができたと盛り上がっていたようなのだが、時代を先取りすぎていたようなところもあり、「ライセンス・トゥ・イル」ほどは売れず、コマーシャル・スーサイド、商業的自殺とまでいわれることもあった。しかし、後に再評価が進んでいき、ビースティ・ボーイズの最高傑作であり、ポップ・ミュージック史上におけるモダン・クラシックとも見なされがちである。その次が1992年の「チェック・ユア・ヘッド」だが、元々はパンク・ロック・バンドだったともいわれるビースティ・ボーイズがふたたび楽器を演奏した楽曲と、ヒップホップ的な楽曲とが収録され、わりと高く評価された。全米アルバム・チャートでの最高位も、「ポールズ・ブティック」では14位だったが、「チェック・ユア・ヘッド」では10位とやや戻していた。メンタリティ的にもナチュラルな変化が見られ、アンチ・ホモソーシャル的な音楽ファンにとっても聴くのがOKなバンドになってきていた。

そして、「イル・コミュニケーション」である。シングルやミュージック・ビデオが印象的で、このアルバムの代表曲でもある「サボタージュ」はハード・ロック的でもあるのだが、全体的にはジャズやファンクからの影響もひじょうに強く、この辺りが日本でも「渋谷系」的な音楽リスナーにさえ親和性があったのではないかと思われる。オルタナティヴ・ロックやインディ・ロックとヒップホップ、どちらのファンからも支持されるバンドという意味でも、クロスオーヴァー的になかなか貴重なバンドであり、このアルバムにはその評価に相応しいクオリティーが備わっていたともいえる。

ちなみに当時、インディー・ロックやオルタナティヴ・ロックのファンによるリーダーシップによって、主に支えられていたと思われるイギリスの音楽誌「NME」の年間ベスト・アルバムにおいては、オアシス「オアシス(原題:Definitely Maybe)」、ブラー「パークライフ」に次ぐ3位に、この「イル・コミュニケーション」が選ばれていた。以下、ニルヴァーナ「MTVアンプラグド・イン・ニューヨーク」、マニック・ストリート・プリーチャーズ「ホーリー・バイブル」、ポーティスヘッド「ダミー」、オービタル「スニヴィライゼイション」、スウェード「ドッグ・マン・スター」、ザ・プロディジー「ミュージック・フォー・ザ・ジルテッド・ジェネレーション」、ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズ「レット・ラヴ・イン」と続いていく。

「サボタージュ」はやはり「イル・コミュニケーション」の収録曲である「ゲット・イット・トゥゲザー」とのカップリングでもシングルがリリースされていたのだが、個人的にはジャジーでクールな「ゲット・イット・トゥゲザー」の方が当時は好みであった。「イル・コミュニケーション」にはこれ以外にもなかなかモテそうな曲もいろいろ収録されていて、ビースティ・ボーイズが立ち上げたレーベル、グランド・ロイヤルのストリート・コンシャスなイメージも手伝い、日本の若者たちにとってもクールなものとして受け入れられていたような印象がある。個人的にこの頃にはインディー・ロック的なレコードやCDを買う確率がひじょうに高かったのだが、暑い夏の日などは、清涼剤的にこのアルバムをターンテーブルに載せる機会もわりと多かったと記憶している。別ベクトルでの清涼剤的なレコードとしては、ステレオラブ「ピン・ポン」の7インチ・シングルなどがあった。