ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」

ビートルズの8作目のオリジナル・アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、1967年5月26日に発売されたといわれている。6月1日なのではないかという説もあるようなのだが、とりあえずApple Musicの下の方に記された発売日も5月26日になっているので、おそらくこっちが正しいのではないかというような気がしている。それはそうとして、いずれも1967年の夏の入口あたりだったということである。そして、1967年の夏といえば、いわゆる「サマー・オブ・ラヴ」である。

サイケデリックでヒッピーでラヴ&ピースなイメージが、「サマー・オブ・ラヴ」にはなんとなくある。当時、生まれてはいたものの北海道の片田舎で乳児だったので、リアルタイムでの記憶はまったく無い。背景にベトナム戦争があり、悲惨なそれに対して若者たちを中心にそれは間違っているのではないかという異議申し立てが盛り上がり、体制に対しての疑いなどから既成概念の否定、ドラッグ・カルチャーやフリー・ラヴなどが時代の気分のようなものになった、というのがざっくりとした印象である。

ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・クラブ・バンド」というのは、個人的に主体的に洋楽のレコードをモテたくて買いはじめた1980年代の初めには、歴史的名盤として知られていた。ロックを芸術の域にまで高めた素晴らしい作品、というような評価だった記憶がある。ところで1980年というのは、年始からポール・マッカートニーが麻薬不法所持で成田空港で捕まり、予定されていた来日公演は中止され、テクノブームを巻き起こしたYMOことイエロー・マジック・オーケストラの「ナイス・エイジ」にも引用されたニュー・ウェイヴ的なシングル「カミング・アップ」が大ヒットして、長い主夫生活を終え、ジョン・レノンが久しぶりにシングル「スターティング・オーヴァー」と妻のヨーコ・オノとのアルバム「ダブル・ファンタジー」で表舞台に復活した矢先に自宅マンション前で射殺されるなど、ビートルズ関連のトピックがわりと多かった。ジョン・レノンが亡くなったことによって、ビートルズの再結成が永久に不可能になったことは、トピックどころの話ではなかったのかもしれないが。

ビートルズの「レット・イット・ビー」「イエスタデイ」などは英語教材で取り上げられているような場合もあり、先のロックを芸術の域にまで高めた的な評価もあって、どこか優等生的な印象を漂わせていた。さらに個人的には、身の回りに音楽においてはクラシック音楽こそが至高であり、ポピュラー音楽などというものは低俗でくだらないのだが、ビートルズだけは例外として認めてあげてもいい、というようなスタンスを持つ者などもいて、個人的にはなかなか積極的に聴こうという気にはなれなかった。それよりも、ローリング・ストーンズの方にハマりつつあった。優等生のビートルズに対し、不良のローリング・ストーンズという雑なイメージのようなものが当時はなんとなくあり、優等生よりも不良の方がモテそうというのが、実は理由のほとんどだったような気もする。それでも、ベスト・アルバムの「1962-1966」などは買っていて、わりと楽しく聴いていたのだった。

1987年にビートルズのアルバムのCD化がはじまり、これを機会に買いあつめていこうという気分になりはしたのだが、4作目のアルバム「ビートルズ・フォー・セール」までで、主に経済的な事情で断念していた。それでも、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がCD化された時には、歴史的名盤といわれていることでもあるので、とりあえず買っておいた。豪華ブックレットなども付いた気合いが入った仕様になっていて、他のCDに比べると収納に少しだけ手間取ったりはしていた記憶がある。それで聴いてみたのだが、確かにこれはいろいろ複雑であったり変わったことをかなりやっていて、歴史的名盤と呼ばれるのも分かるような気はした。しかし、ズンチャッ、ズンチャッというようなやや牧歌的なリズムを持つ曲などもあり、パブリック・エナミーなどが最もカッコいいと感じていた当時の気分からしてみると、なんだかあまり好きでもないところもあった。などと思っていると、「ミュージック・マガジン」のこのアルバムの特集かなにかで、近田春夫がわりと近いことを言っていて、大いに共感したような気もするのだが、あまりにも以前のことなので記憶はそれほど定かではない。

タイトル曲の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、大場久美子のカバー・バージョンで初めて聴いた。この頃のビートルズはというと、この前の年にスタジオワークにかなり凝ったアルバム「リボルバー」を出し、来日公演などもあったのだが、ライブ活動を今後はもうやらないことにしていた。年が明け、「ペニー・レーン/ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の両A面シングルをヒットさせ、夏の入口近くあたりに「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」をリリースしたことになる。架空のバンドをイメージしたコンセプト・アルバムでもあるのだが、これを発案したのはポール・マッカートニーである。ジョン・レノンは自作曲については、架空のバンドというコンセプトには関係がないともいっているようだ。

1曲目に収録されたタイトルトラック「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、この架空のバンドのテーマソングのようであり、B面の4曲目、コーンフレークのCMソングにインスパイアされたというジョン・レノンによる「グッド・モーニング・グッド・モーニング」の後にリプライズとして繰り返される。効果音として入れられた観客の拍手に続いて、「ウィズ・ア・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」、そして、サイケデリックな「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」と続く。この曲のタイトルを略すとLSDであり、なるほどこれはLSDことリゼルグ酸ジエチルアミドにかかっていて、ドラッグのことを歌っているのかといわれたり、それが否定されたりした。「ゲッティング・ベター」はギターのカッティングがとてもカッコいい。B面の1曲目に収録された「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」はジョージ・ハリスンによってつくられたインド音楽の影響を受けた曲で、歌詞にはヒンドゥー教の思想が入ってもいるという。

いつかアメリカの「ローリング・ストーン」誌が夏のアルバムを特集していた時に、このアルバムも挙げられていて、意外に思ったことがある。何の予備知識もないままこのアルバムを聴いたところで、夏のイメージはそれほど持てない。しかし、夏のあいだにずっと売れていたこともあり、当時のリスナーにとっては、「サマー・オブ・ラヴ」のサウンドトラックとしても知られていたのかもしれない。そのように想像力をふくらませて聴くと、それまでとはまた違った感覚を得ることができたりもする。

アルバムの最後に収録された「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」などは、シングル・カットもされていないにもかかわらず、いまやビートルズで最も優れた楽曲なのではないか、などと評価されることもある。ボブ・ディラン、マリリン・モンロー、ウィリアム・S・バロウズ、カール・マルクス、ジークムント・フロイトといった、各界の著名人を配したジャケットアートワークもひじょうに印象的である。一度、歴史的名盤であるという偏見を取り払って、当時の人気バンドによる新作ということを想像しながら聴いてみると、やはりおそるべきクオリティーのポップ・アルバムだということもよく分かってくる。

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は全米アルバム・チャートで7月1日付から、約3ヶ月にわたって1位を記録した。この年の夏にはスコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」、プロコル・ハルム「青い影」、ドアーズ「ハートに火をつけて」などがヒットしているが、8月19日付の全米シングル・チャートではビートルズ「愛こそはすべて」が1位に輝いている。衛星で世界を結んで放送されたテレビ番組「OUR WORLD~われらの世界~」のためにつくられた、「サマー・オブ・ラヴ」を象徴するかのような楽曲であった。