モーニング娘。「LOVEマシーン」について。

1999年の秋のはじまりには日本のヒット曲がダイジェスト的にメドレーで流れるような環境にいることが多かったのだが、9月1日にリリースされた深田恭子の「イージーライダー」などはかなり気に入っていた。そこで、翌週、新たにランクインしそうな曲の一つとして、「日本の未来は(wow wow wow wow)」というようなフレーズがなんだかノリノリのディスコ的な曲調に乗せて歌われる箇所が流れたのであった。それを一日に何度も聴くことになったのだが、なかなか中毒性が高く、一体、誰の何という曲なのだろうかと気になっていった。特にその「(wow wow wow wow)」のところなのだが、ディスコといっても70年代の「サタデー・ナイト・フィーバー」的なものではなく、ハイエナジーとかユーロビートとか新宿歌舞伎町の東亜会館とか、その辺りを連想させるようなノリである。

間もなくしてそれがモーニング娘。の最新シングル「LOVEマシーン」だと知って、なりふり構わず攻めているな、という印象を受けた。この前のシングルが「ふるさと」という故郷の母を想うタイプの楽曲であり、実質的にソロパートは安倍なつみのみ、他のメンバーはコーラスに徹するというものであった。モーニング娘。を輩出したオーディション番組「ASAYAN」では、同じ日に発売されるモーニング娘。「LOVEマシーン」と鈴木あみ「BE TOGETHER」のどちらがより上位にランクインするかという企画をやっていて、結果は「BE TOGETHER」が1位だったのに対し、「ふるさと」は5位であった。ちなみにその間にランクインしていたのは、浜崎あゆみ「Boys&Girls」、V6/Coming Century「太陽のあたる場所/Harlem Summer」、坂本龍一「energy flow(『ウラBTTB』)」である。

この時点でモーニング娘。には失速感が見られていたわけだが、そもそも当時の私はそれほど詳しくその動向を追っていたわけでもなかった。この前の年、1998年の夏に2枚目のシングル「サマーナイトタウン」がヒットしている頃に、日本で一般的に売れているCDを仕入れたり販売したりする仕事をしなければならなくなったので、ほとんど興味がなかったのだが、「COUNT DOWN TV」を見たり「オリコン・ウィーク The Ichiban」を読んだりして勉強していたのである。当時はL’Arc~en~Ciel、GLAY、LUNA SEAといったバンドに人気があることを知った。MISIAがブレイクしかけていることは、それ以前からプライベートの生活圏内でもなんとなく把握はしていた。

「サマーナイトタウン」のパフォーマンスをテレビで見たのだが、10代の女性達にマイルドにセクシーな楽曲を歌わせている感じに、それほど良い印象は持たなかったような気がする。次の「抱いてHOLD ON ME!」がオリコン週間シングルランキングで初の1位を記録するのだが、コンセプトはさらに明確になり、いよいよなりふり構わなくなっているような印象を受けた。次のシングル「Memory 青春の光」は翌年になってからのリリースだったのだが、幡ヶ谷の文華堂というレンタルビデオ店で流れているのを聴いて、なかなか良い曲だがやはり性愛を連想させる匂わせ的な部分が特徴でもあるのか、などと感じた。そして、「真夏の光線」はやはりどこかの有線放送で聴いたのだが、これはフィリーポップ的なフィーリングもあって、素直にとても良いと感じた。その次が「ふるさと」だったのだが、これはテレビでたまたま見たものの、こんなに地味で大丈夫のだろうかと不安に感じたりもした。ミュージックビデオには、私の実家からそれほど遠くはない北海道上川郡美瑛町の風景が映っていたりもした。

それで、「LOVEマシーン」なのだが、明らかにそれまでに比べても一般大衆をターゲットにしてきたな、というようなポップソングとしての強度を感じた。当時、ブラーやユアン・マクレガーの話をしたり赤坂ブリッツにスウェードのライブを一緒に見に行ったりもしていた帝京大学の女子大学生も、モーニング娘。の新曲はヤバいと言っていた。おそらく有線放送で「LOVEマシーン」をフルで聴くことになったのだが、タイトルがザ・ミラクルズを連想させる(小沢健二、スチャダラパー「今夜はブギーバック」の歌詞にも登場するが)にもかかわらず、バナナラマ「ヴィーナス」に明らかにインスパイアされているというのが、まず最初に感じたことである。この曲が1986年の夏休みに旭川に帰省した時、ディスコでナンパに失敗した時にちょうどかかっていた曲として印象に残っているというのはさておき、そもそも1970年にショッキング・ブルーが大ヒットさせた曲のカバーで、プロデュースしているのは80年代後半にユーロビートを大衆化することに大いに貢献した、ストック・エイトキン・ウォーターマンである。

この曲は1981年に全米シングル・チャートで1位に輝いたオランダのスタジオ・ミュージシャン達によるグループ、スターズ・オン45の「ショッキング・ビートルズ45」のイントロにも引用されていた。この曲はビートルズの楽曲をメドレー形式でカバーしたものだったのだが、なぜかイントロはショッキング・ブルー「ヴィーナス」、次がアーチーズ「シュガー・シュガー」であった。私が「ヴィーナス」のイントロを初めて聴いたのはショッキング・ブルーでもバナナララマでもなく、スターズ・オン45のバージョンによってであった。

作詞・作曲・プロデュースのつんく♂はやはりこの前のシングル「ふるさと」のセールスがいまひとつだったこともあり、あえてそれまでのイメージを覆すようなインパクトの強い曲を提供し、アレンジにダンス☆マンを起用したということである。この曲のベースとなったのは、以前につんく♂が自身のバンド、シャ乱Qのために書いた「まんじゅう娘」なる曲だったらしく、サビで「おっぱい」というワードを連呼するなどという内容だったこともあり、他のメンバーから却下され、ボツになっていたのだという。

日本のバブル景気が終わったのは1991年だったとされているが、一般大衆にまでそれがリアルに実感されるまでには、もう少し時間がかかったような気がする。そして、不景気の暗さのようなものが広く深く共有されたように感じるのは、山一證券、北海道拓殖銀行などが経営破綻した1997年あたりである。この年には神戸連続児童殺傷事件、東電OL殺人事件などが起こり、書店のサブカルチャーコーナーにはいわゆる「鬼畜系」などと呼ばれる悪趣味な書籍がたくさん置かれていた。

「日本の未来は(wow wow wow wow)」に続く歌詞は、「世界がうらやむ(yeah, yeah, yeah, yeah)」であり、この曲はその後、メンバーやアレンジを変え、リリースから20年以上経った現在もまだ歌われている。現メンバーの半数以上が、「LOVEマシーン」発売時にはまだ生まれてすらいない。

これ以前のモーニング娘。の楽曲というのはアイドルポップスらしく、あくまでティーンエイジャーを対象としている体のように感じられたのだが、「LOVEマシーン」には「みんなも社長さんも」というフレーズもあるように、宴会ソングとしての機能も意識したかのような、より大衆的なポップスとしての志が感じられる。実際にこのシングルに対する反響はひじょうに大きなもので、モーニング娘。にとって「抱いてHOLD ON ME!」以来、通算2曲目のオリコン週間シングルランキング1位獲得曲となったのみならず、初のミリオンセラーを達成し、オリコンカラオケチャートでは17週連続で1位を記録した。そして、これ以降しばらく、モーニング娘。は子供から大人までに注目される国民的アイドルグループとしてのポジションを欲しいままにするようになっていった。

モーニング娘。といえばメンバーの入れ替わりがあるアイドルグループとして知られているが、「LOVEマシーン」がリリースされた当時のメンバーは、1期メンバーの中澤裕子、石黒彩、飯田圭織、安倍なつみ、2期メンバーの保田圭、矢口真里、市井紗耶香に加え、このシングルから参加することになった当時13歳の3期メンバー、後藤真希が大きな話題となっていた。当初、プロデューサーのつんく♂は1999年9月9日に9人体制のモーニング娘。で新曲をリリースする予定であった。つまり、2名の新メンバーを加入させるつもりだったのだが、オーディションで後藤真希の存在があまりにも圧倒的だったために、1名だけの加入になったという。また、「LOVEマシーン」のジャケットには8名のメンバーが写っているのだが、その後、向かって右上の石黒彩から左下の矢口真里まで、全員が順番に卒業、あるいは脱退していったことが話題となり、「ラブマの法則」などと呼ばれたりもした。

モーニング娘。は1997年に「ASAYAN」で行われた「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディション」(合格者は平家みちよ)の落選者によって結成され、グループ名の由来は喫茶店のモーニングセット、つまりコーヒーにトーストやゆで卵、名古屋の方ではピーナッツなどがセットになったもののようなお得感を意図しているといわれ、グループ名末尾の「。」は番組で初めて発表された時のテロップに付いていたのを、司会のナインティナイン、矢部浩之が採用したものである。

「ノストラダムスの大予言」によって1999年7月には人類が滅亡するなどともいわれていたのだが、やはりそのようなことは起こらずに、その後も続いていくことになったのだが、世界がうらやむ「日本の未来」はそれからずっと失われ続けているのかもしれないし、けしてそうではないのかもしれない。