洋楽ロック&ポップス名曲1001:1994, Part.3

Oasis, “Live Forever”

オアシスの3作目のシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高10位を記録した。これがオアシスにとって初の全英トップ10ヒットである。

この時点でオアシスはすでに少なくともUKインディーロックファンの間ではかなり話題になってはいたのだが、実は「リヴ・フォーエヴァー」という最も良い曲があるという情報も知られてはいて、満を持してリリースしたところ、やはりヒットしたという感じであった。

ニルヴァーナのカート・コバーンが自ら命を絶ったという衝撃のニュースが駆け巡ったわずか数日後にオアシスのデビューシングル「スーパーソニック」がリリースされたのは、けして誰かが仕組んだわけではなく、もちろん単なる偶然である。

しかし、ノエル・ギャラガーが「リヴ・フォーエヴァー」を書くにあたっては、ニルヴァーナの「アイ・ヘイト・マイセルフ・アンド・ウォント・トゥ・ダイ」、つまり「自分のことが嫌いすぎて死にたい」というタイトルの楽曲が影響をあたえた。

おそらくカート・コバーン流のブラックジョークではあったし、ノエル・ギャラガーはニルヴァーナの音楽のファンではあったのだが、若者たちがこのようなネガティブなメッセージだけを受け止める必要はないのではないか、というような想いが「リヴ・フォーエヴァー」を書かせたところもある。

「生きたい、死にたくはない」「あなたと私は永遠に生きるのだ」というポジティブなメッセージが歌われたこの楽曲は、ノエル・ギャラガーの卓越したソングライティングとリアム・ギャラガーの素晴らしいボーカルパフォーマンスなどによって、エバーグリーンなロックアンセムとして聴かれ続けていくことになる。

Portishead, “Glory Box”

ポーティスヘッドのデビューアルバム「ダミー」から3作目のシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高13位を記録した。

ヒップホップとエレクトロニカをミックスしたトリップホップというジャンルを一般大衆的に知らしめもしたアルバム「ダミー」は批評家から高く評価され、マーキュリー・ミュージック・プライズを受賞したのみならず、全英アルバム・チャートでも最高2位のヒットを記録した。

アイザック・ヘイズ「アイクズ・ラップ・Ⅱ」をサンプリングしたムーディーなトラックにのせて、ベス・ギボンスが「あなたを愛する理由を教えてください 私が女性である理由を教えてください」といった歌詞をエモーショナルに歌う。

ベス・ギボンスが1950年代のジャズシンガーに扮してこの曲を歌うミュージックビデオも雰囲気があってとても良い。

Jeff Buckley, “Hallelujah”

ジェフ・バックリィのデビューアルバム「グレース」に収録されたレナード・コーエンの楽曲のカバーバージョンで、当初はシングルカットもされていなかった。

1960年代から70年代にかけて活動し、若くして亡くなったシンガーソングライター、ティム・バックリィの息子として、ジェフ・バックリィは紹介されることが多かったのだが、その繊細でありながらパワフルなボーカルは当初から高く評価され、デビューアルバムも新譜として発売された時点ですでに名盤としての風格をまとっていたような記憶がある。

「ラスト・グッド・バイ」「グレース」といったオリジナル曲が当初は代表曲として知られていて、これらもひじょうに素晴らしいのだが、レナード・コーエン「ハレルヤ」のカバーバージョンがやがて最も有名な楽曲になっていく。

レナード・コーエンのオリジナルは1984年のアルバム「哀しみのダンス」からシングルカットもされるのだが、リリース当時は特にヒットしていない。その後、ジョン・ケイルによってカバーされるのだが、ジェフ・バックリィが参考にしたのもこのバージョンだという。

旧約聖書の「サムエル記」「士師記」からの逸話が歌詞では取り上げられていて、愛する人との出会いや別れにまつわる感情が歌われているのだが、どこか賛美歌的な崇高さも感じられる。

ジェフ・バックリィは川を泳いでいた際に溺れ、30歳の若さで亡くなるのだが、それから10年以上が過ぎてた2008年にアメリカのアイドルオーディション番組「アメリカン・アイドル」でジェイソン・カストロが歌ったことによってリバイバルし、ビルボードのホットデジタルソングスチャートで1位に輝いた。

また、同じく2008年にイギリスではリアリティオーディション番組「Xファクター」第5シリーズで最終決戦の課題曲に「ハレルヤ」が選ばれ、優勝したアレクサンドラ・バークのバージョンがリリースされると、クリスマスに全英シングルチャートで1位を記録するのだが、ジェフ・バックリィのバージョンも2位にランクインした。

Oasis, “Cigarettes & Alchol”

オアシスのデビューアルバム「オアシス(原題:Definitely Maybe)」は1994年8月29日にリリースされ、当然のように全英アルバム・チャートで初登場1位に輝いた。この頃になるとUKインディーロック意外の音楽ファンからもわりと注目されてきていたような気がする。

楽曲のクオリティも素晴らしいものだったのだが、後に4作目のシングルとしてカットされ、全英シングルチャートで最高7位を記録するこの曲はタイトルからして「シガレッツ&アルコール」というだけあって、不健康かもしれない快楽主義のようなものを全力で肯定するかのようなご機嫌なロックチューンである。

そして、こういった感覚の復権こそがオアシスが果たした大きな役割のうちの1つではあるのだが、バラード曲も良すぎるがために、わりと軽視されがちのような気もする。

たとえば「it’s a crazy situation」、つまり直訳すると「それは狂った状況です」というような歌詞をリアム・ギャラガーは「イッツァクレェェェイジシッチュエイッショォォン」と歌うことによって、その感じをよりヴィヴィッドに表現しえているということができる。

この曲はオアシスのデビューシングル「スーパーソニック」がリリースされるより以前に「NME」の付録のカセットテープに収録されていたのだが、そのときにはもっとT・レックス「ゲット・イット・オン」に似ていた。

Suede, “The Wild Ones”

スウェードの2作目のアルバム「ドッグ・マン・スター」から2作目のシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高16位を記録した。

この頃になるとUKインディーロック的なメディアの主役は完全にオアシスだったのだが、その少し前まではスウェードであった。この年の2月にリリースされたシングル「ステイ・トゥゲザー」の全英シングルチャートでの最高位は3位であり、他のどのUKインディーロックバンドがこの年に記録したよりも高い。

しかし、オアシスの台頭やブラーの復活などによって影が薄くなりつつあったところで、ギタリストでソングライターのバーナード・バトラーが脱退と、かなり旗色が良くない感じではあった。実際にセールスも落ちてきてはいたのだが、アルバム「ドッグ・マン・スター」はブリットポップの狂騒を横目に、よりダークでディープな境地へと沈入していくような感じが高く評価されてはいた。

特にこの楽曲はメロディーがひじょうに美しいうえに、ブレット・アンダーソンのバラード歌手としての魅力が存分に発揮された素晴らしいレコーディングだということができる。

Elastica, “Connection”

エラスティカの3作目のシングルで、全英シングルチャートで最高17位を記録した。

中心メンバーのジャスティーン・フリッシュマンはスウェードの元メンバーでブレット・アンダーソンのパートナーだったが、この当時はブラーのデーモン・アルバーンと付き合っていることも話題になっていた。

この楽曲のイントロでシンセサイザーを演奏しているのもデーモン・アルバーンで、2人は一時期、ブリットポップのロイヤルカップルなどと呼ばれていたりもした。

ワイヤー「スリー・ガール・ルンバ」によく似ていることが指摘されたりもしていたが、ニューウェイブ的なポップ感覚とクールネスがとても魅力的であり、この曲も収録したデビューアルバム「エラスティカ」は翌年に全英アルバム・チャートで初登場1位を記録した。

Supergrass, “Caught by the Fuzz”

スーパーグラスのデビューシングルで、全英シングルチャートで最高43位を記録した。

メンバーのギャズ・クームスが15歳の頃に麻薬を所持していたため警察に捕まったときの実体験をテーマにしたポップでキャッチーなインディーロックで、若さ溢れるエネルギッシュな演奏でたちまち話題となった。

最初はインディーレーベルからリリースされたがすぐに売り切れ、メジャーのパーロフォンと契約すると、ライド、シェッド・セヴン、ブラーなどのオープニングアクトに抜擢された。

オアシスとブラーのブレイクによっていよいよ本格的に盛り上がりはじめていたブリットポップだが、早くも新世代バンドも登場してシーンとしての厚みを増していった。

TLC, “Waterfalls”

TLCの2作目のアルバム「クレイジーセクシークール」から3作目のシングルとして1995年にカットされ、7週連続1位を記録した。年間シングルチャートではクーリオ「ギャングスタズ・パラダイス」に次ぐ2位で、3位もTLCの同じアルバムからカットされた「クリープ」であった。

1995年の夏を代表する大ヒット曲で、コンテンポラリーなヒップホップR&Bサウンドはひじょうにキャッチーでもあるのだが、歌詞は麻薬密売、貧困、エイズといったヘビーな題材を扱っていて、「激しく流れる滝を追いかけないで。慣れ親しんだ川や湖のそばにいて」と歌うメッセージソングになっている。