ビヨンセ「カウボーイ・カーター」【ALBUM REVIEW】

ビヨンセのシングル「テキサス・ホールデム」が2024年2月にリリースされると、たちまち全米シングルチャートの1位にランクインした。ビヨンセぐらいのビッグアーティストの新曲であればけして驚くようなことでもないが、今回はカントリーとポップスとを融合したようなタイプの楽曲であり、全米ホットカントリーソングスチャートでも1位に輝いた。アフリカ系アメリカ人女性のアーティストがこのチャートで1位になるのは、史上初だということである。

そして、この曲と同時にリリースされた「16キャリッジズ」の2曲も収録したニューアルバム「カウボーイ・カーター」のリリースが発表された。直近のアルバム「ルネッサンス」は2022年にリリースされ、ビヨンセにとって通算7作目となる全米アルバムチャート最高1位を記録したのみならず、様々なメディアで年間ベストアルバムに選ばれるなど、あらゆる面において大成功をおさめた。音楽的にはハウスミュージックやディスコミュージックであり、コンテンポラリーなポップミュージックとしてハイクオリティであるのはもちろん、ジャンルの歴史を再解釈しているようなところも高く評価されていた。

「カウボーイ・カーター」のジャケットアートワークを見ると、「ルネッサンス」と同様に馬に乗るビヨンセの写真が使われているのと、リリースに先だってビヨンセが発表したコメントではこのアルバムのことを「act ⅱ」と紹介してもいた。これはどうやら3部作のうちの2作目にあたり、1作目がダンスミュージックで続く2作目がカントリーなのだろうと思っていると、やはりビヨンセ自身のコメントによると、「これはカントリー・アルバムではありません。ビヨンセのアルバムです」とのことであった。

アルバムがリリースされた3月29日には緊急来日して、タワーレコード渋谷店でサイン会が行われたりもしていたのだが、27曲入りで約1時間19分という大ボリュームであることにも驚愕させられた。しかも、ウィリー・ネルソンやドリー・パートンといったカントリー音楽界の大御所やマイリー・サイラスやポスト・マローンといったコンテンポラリーな人気アーティストがゲスト参加しているようだ。

カントリー的な音楽が中心にはなっているのだが、ソウルやR&B、ラップにオペラまで様々なポップミュージックの要素が入っていて、バラエティにとんでいるので聴いていてまったく飽きることがない。ビヨンセのボーカルパフォーマンスの魅力がそれぞれの楽曲で存分に発揮されているのもとても良い。

そもそもこのアルバムをつくるきっかけになった出来事というのが、2016年にカントリーミュージックアソシエーションアワードでディクシー・チックス(現在はチックスに改名)と共演したときに、批評家たちからは称賛されたものの、カントリー音楽ファンの一部からは批判的なコメントがあったり、その中には人種差別的なものもあり、テキサス州ヒューストン出身のビヨンセは幼い頃からカントリー音楽に親しんできたにもかかわらず、このジャンルからは歓迎されていないのだと感じたことであった。

その後、ビヨンセはカントリー音楽の歴史を調べたり、アーカイブを研究したりすることによって、それらがいかに長年にわたって存在し続ける人種差別や性差別によって捻じ曲げられてきたかを理解することになる。そして、このアルバムを制作することによって、それらをより正確なものとして再提示しようとしているように感じられる。こういった試みがこのアルバムを素晴らしい音楽作品であるのみならず、社会的にもひじょうに価値が高く意義があるものにしているといえる。

それがアルバムの1曲目に収録された「アメリカン・レクイエム」における、これがカントリーではないというなら、一体何がカントリーなのだ、というような問いかけにもあらわれている。そして、「私の声が聞こえるか それとも私を恐れているのか」とも叫ばれている。

「ブラックバード」はビートルズの「ホワイト・アルバム」ことアルバム「ザ・ビートルズ」に収録されているポール・マッカートニーの美しい楽曲の、オリジナルにわりと忠実なカバーバージョンである。この曲は当時の教育委員会が学校分離を違法とした後、アーカンソー州の高校に通おうとしたリトルロックの9人の若者たちに対して向けられた憎悪に反応して書かれたものである。

このカバーバージョンには、カントリー音楽界の若き才能であるタナー・アデル、ブリトニー・スペンサー、レイナ・ロバーツ、ティエラ・ケネディが参加している。いずれもアフリカ系アメリカ人女性のアーティストであり、来たるべき未来への希望が託されているようにも感じられる。また、「スパゲッティ」「スウィート★ハニー★バッキン」でカントリーヒップホップのシャブージを起用しているところにも、同様の意図があるように思える。

「スウィート★ハニー★バッキン」ではパッツィ・クライン「アイ・フォール・トゥ・ピーシズ」がダンスミュージックのトレンドであるジャージー・クラブ調にアレンジされていたり、「ヤ・ヤ」においてはチャック・ベリーがサンプリングされ、人種間の賃金格差や略奪者のような住宅ローン会社を告発したりもしている。ナンシー・シナトラ「にくい貴方」とビーチ・ボーイズ「グッド・バイブレーション」が引用されたりもしている。

オリヴィア・ニュートン・ジョンからザ・ホワイト・ストライプスまで、様々なアーティストたちによるカバーバージョンが存在する「ジョリーン」はドリー・パートンがビヨンセに歌ってほしいとずっと要望していた楽曲のようだが、それもこのアルバムで実現している。

カントリー音楽で最初に商業的成功をおさめたアフリカ系アメリカ人女性アーティストであるリンダ・マーテルの参加も、このアルバムのコンセプトにふさわしいものである。

ビヨンセのアーティストとしての才能がふんだんに盛り込まれ、実に充実したアルバムとなった「カウボーイ・カーター」はカントリー音楽をより多様的で豊かなものとして再定義し、既成概念から解放するのと同時に、ポップミュージックの新たな可能性を提示してもいる素晴らしい作品である。そして、ビヨンセが21世紀において最も重要なアーティストであることを再認識させるにはじゅうぶんすぎるということができる。