邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1987

Give Me Up/BaBe(1987)

BaBeのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高8位を記録した。

当時のディスコで大流行していたユーロビート楽曲の日本語カバーバージョンで、オリジナルはイタリアのアーティスト、マイケル・フォーチュナティである。

バブル景気で盛り上がる当時の日本の空気感を思い起こさせるサウンドであり、六本木のスクエアビルあたりのディスコで大学生が主催するダンスパーティー的な気分も感じさせる。

人にやさしく/ザ・ブルーハーツ(1987)

ザ・ブルーハーツがメジャーデビュー前にインディーズでリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高26位を記録した。

パンクロック的な音楽性と甲本ヒロトのメッセージ性が強くストレートな歌詞とボーカルが話題になった。

「気が狂いそう」という歌詞からはじまり、「僕が言ってやる デッカイ声で言ってやる ガンバレって言ってやる」と応援歌的でもあるところが深いレベルで共感を得た。

TRON岬/パール兄弟(1987)

パール兄弟のアルバム「パールトロン」に収録されていが楽曲である。

バラエティーにとんだ楽曲とサエキけんぞうの鋭くもユニークな歌詞や味のあるボーカルが特徴のバンドで、特に「パールトロン」はポップミュージック絵巻とでもいうべき素晴らしい作品である(岡田有希子に捧げた「風にさようなら」も名曲である)。

この曲は埋立地に新しい建物が建ち、SFチック変貌していく風景に首都高のドライブデートというシチュエーションやサイバーパンク的な味つけをも加えた感じがとても良い。

皆笑った/ピチカート・ファイヴ(1987)

ピチカート・ファイヴのアルバム「カップルズ」に収録されていた楽曲である。

A&Mサウンドなどと呼ばれる音楽に影響を受けていて、後に「渋谷系」の名盤としての評価も定着するのだが、当時の日本のポップミュージックのトレンドとはほとんど関係がなく、それほど売れていなかったような気がする。

個人的にもわりと攻めた音楽性だったピチカート・ファイヴのそれまでの12インチシングルを結構気に入っていて、このアルバムが出た時にも西武のWAVEに対抗してダイエーが渋谷に出したCSVというレコード店ですぐに買ったのだが、まったく気合いが入っていないフニャフニャした音楽にしか思えず、当時はその良さがさっぱり分からなかった。

しかし、あの時代にこの音楽性は実はある意味とても気合いが入っていたともいえる。当時、ピチカート・ファイヴが音楽を担当していた国生さゆり主演のテレビドラマ「キスより簡単」は見ていた。

Get Wild/TM NETWORK(1987)

TM NETWORKの10作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。

テレビアニメ「シティーハンター」のエンディングテーマに使われ、グループにとって初のトップ10ヒットとなった。

デジタルビートとシンセサウンドが特徴的で、メロディーには転調が多いかと思えば情緒的なところがあったりもする。

渡辺美里「My Revolution」でソングライターとしての大ヒット曲をすでに出していた小室哲哉だが、この辺りから自身のグループ、TM NETWORKもメジャーに売れはじめる。

リンダ リンダ/ザ・ブルーハーツ(1987)

ザ・ブルーハーツのメジャーデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高38位を記録した。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから」というフレーズがあまりにも有名でインパクトもあったのだが、続いて「リンダ リンダ」の繰り返しで大いに盛り上がる。

日本においては反抗的なイメージばかりが先行していたような気もするパンクロックに、やさしさという要素が本質的に込められていたところが新しかったのかもしれない。

ロンリー・チャップリン/鈴木聖美 with Rats & Star(1987)

鈴木聖美 with Rats & Starの2作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高18位を記録した。

弟でラッツ&スターのリードボーカリストである鈴木雅之とのデュエットソングで、元々は鈴木雅之のシングル「Liberty」にカップリング曲として収録されていた。

大人の男女デュエットソングとしてカラオケでもとても人気があり、「M-1グランプリ2023」の敗者復活戦においても、お笑いコンビのトム・ブラウンがネタに取り入れていた。

MARIONETTE/BOØWY(1987)

BOØWYの6作目のシングルでオリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」共に1位を記録している。

当初はシングルとしてリリースされるつもりもなく、わりと実験的な要素も入っていたようなのだが大いに売れて、後の日本語ロックのスタンダードのような感じにもなった。

元気を出して/竹内まりや(1987)

竹内まりやのアルバム「REQUEST」に収録された楽曲で、後にシングルカットもされた。

元々は薬師丸ひろ子の1984年のアルバム「古今集」のために提供された楽曲で、これはそのセルフカバーバージョンにあたる。薬師丸ひろ子がコーラスで参加している。

ジェームス・テイラーと離婚したカーリー・サイモンを励ましたいと思って書かれた曲だということだが、「早く元気出して あの笑顔を見せて」という歌詞も含め、より広い意味での応援ソングとして支持されているように思える。

悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)/桑田佳祐(1987)

桑田佳祐のソロアーティストとしては最初のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」共に最高2位を記録している。

モータウンビートを取り入れたキャッチーな楽曲で、小林武史らによるモダンなアレンジも特徴的である。

個人的には当時リリースされてすぐに買ったものの、やや軽すぎるのではないかという印象があったのだが、KUWATA BAND「BAN BAN BAN」などと同様に近年、ユニクロのテレビCMで聴いて、エバーグリーンなポップソングとしての強度を実感させられたのだった。

浪漫飛行/米米CLUB(1987)

米米CLUBのアルバム「KOMEGUNY」に収録された約3年後に東日本版、西日本版の2形態でシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングでそれぞれ1位と最高3位を記録した。

元々は来てもいない航空会社からのCMソングオファーを想定してつくられた、ロマンスを飛行にたとえた楽曲だが、実際に日本航空から沖縄キャンペーンソングの依頼があったことにより、満を持してシングルカットしたところ大ヒットした。

SHOW ME/森川由加里(1987)

森川由加里の2作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、「ザ・ベストテン」では最高2位を記録した。

テレビドラマ「男女7人秋物語」の主題歌で、カバー・ガールズ「ショウ・ミー」の日本語カバーバージョンである。

これもやはりバブル景気当時の日本の気分を象徴するようなアッパーな楽曲であり、深刻な悩みや惨めさのようなものはほとんど感じられない。悩んではいるのだがベーシックに安全で充足しているように感じられる。

MOON/レベッカ(1987)

レベッカのアルバム「POISON」収録曲で、翌年にはシングルカットされオリコン週間シングルランキングで最高20位を記録した。

娘の母親との関係をテーマにした楽曲で、非行や初恋、家出などの描写を経て「こわしてしまうのは一瞬でできるから 大切に生きてと彼女は泣いた」と歌われる。

2分10秒を少し過ぎたあたりで「センパイ」という声が小さく聴こえ、幽霊の声なのではないかと話題になったりもしたのだが、実際にはエフェクトをかけたNOKKOの声だったようである。