邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1978, Part.1
サムライ/沢田研二(1978)
沢田研二の22枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。作詞は阿久悠、作曲は大野克夫である。
「片手にピストル 心に花束」ではじまる男の美学的なものが描かれている楽曲だが、ナチス親衛隊風の衣装は問題になって途中でマイナーチェンジを余儀なくされた。
ダウンタウンの松本人志が中学生の頃にレコード店のワゴンで沢田研二のベストアルバム的なカセットテープが1000円ぐらいで売られているのを見つけ、これは良いと友人の浜田雅功と金を半分ずつ出し合って買って帰ったところ、まったく知らないオッサンが沢田研二の曲を歌っているものだった、というエピソードを話す際に歌われがちな楽曲でもある。
当時、ヒット曲をよく知らない人が歌っているカセットテープはよく売られていて、個人的にも旭川の豊岡にあった市民生協で母がそういうのをたまに買ってきて、家で聴いていたことが思い出される。
春の予感-I’ve been mellow-/南沙織(1978)
南沙織の25枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高25位を記録した。作詞・作曲・編曲は尾崎亜美である。
資生堂の春のキャンペーンソングに起用されていたが、この前年の春には尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」が資生堂のCMで使われヒットしていた。
1971年に「17才」でアイドル歌手としてデビューした南沙織だが、この頃には23歳になっていて、数ヶ月後には上智大学での学業に専念するため、歌手引退を宣言する。
オリビア・ニュートン・ジョン「そよ風の誘惑」に対してのアンサーソング的な側面も感じられる、ただただメロウで美しい楽曲であり、晴れた春の日のカーテン越しに差し込むやわらかい日差しを思い起こさせる。
乙女座 宮/山口百恵(1978)
山口百恵の21枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。阿木燿子・宇崎竜童コンビによる楽曲である。
タイトルにもなっている乙女座をはじめ、歌詞には様々な星座が登場する、スケールが大きくロマンティックな楽曲である。
微笑がえし/キャンディーズ(1978)
キャンディーズの活動期間中では最後のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最初で最後の1位に輝いた。作詞は阿木燿子で、作曲が穂口雄右である。
歌詞にはキャンディーズのこれまでのヒット曲のタイトルなどが散りばめられている。未来のために明るく別れるカップルと、キャンディーズとファンとの関係性を重ね合わせた歌詞にグッとくる。
「おかしくって涙が出そう」というフレーズが特に最高であり、寂しさはあるのだが前向きなところがとても良い。
横浜いれぶん/木之内みどり(1978)
木之内みどりの11枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高28位を記録した。
まず声がとても良い。「ここでおちたらあまりにできすぎだから 私は気のない生返事」でありながら、「今夜はどこでもついてくつもり」と最後には歌われているところなども最高である。
アイドルとして人気絶頂期に海外へ恋の逃避行で引退となり、無責任だとして叩かれたりもしていたが、個人的には当時、小学生ながら欲望に正直なところに好感を持っていた。こういった好みは現在も基本的には変わっていない。
1990年代の初め頃、六本木WAVEで働いていた頃に、夫の竹中直人と買物をしているところを偶然に目撃し、感激したことが思い起こされる。
時間よ止まれ/矢沢永吉(1978)
矢沢永吉の5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは3週連続1位に輝いた。
キャロル時代のイメージからかファンにはツッパリや暴走族的なものに美学を感じる人たちも少なくはなかったような気もするのだが、音楽的にはAORである。
「罪なやつさ ah pacific 碧く燃える海」と歌われるが、海がビーチでもシーサイドでもなくパシフィックというワードで表現されるタイプのスケール感がまたとても良い。
資生堂のCMソングとしてテレビで流れまくり、お茶の間にも浸透していたが、「ザ・ベストテン」にはランクインしたものの出演はしなかった。
レコーディングにはYMOことイエロー・マジック・オーケストラ結成直前の坂本龍一と高橋幸宏も参加している。
糸井重里が聞き書きをしたという「矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG」もこの年の夏に発売され、ベストセラーとなった。
所ジョージ(芸名の名付け親は宇崎竜童である)は当時、リーゼントにサングラス、革ジャンというスタイルで売り出していたが、「成りさがり」というタイトルのアルバムや本を発売している。
東京ららばい/中原理恵(1978)
中原理恵のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。「第20回日本レコード大賞では新人賞に選ばれていた。作詞は松本隆で、作曲・編曲が筒美京平である。
中原理恵は函館出身だが都会的なイメージもなんとなくあって、「午前三時の東京湾」を眺めたりしながら感じる寂しさや虚しさをテーマにしたこの曲にもマッチしていたように思える。
後にバラエティー番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」において、コメディエンヌとしての才能も開花させる。
サウスポー/ピンク・レディー(1978)
ピンク・レディーの7枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングではピンク・レディー「UFO」に次ぐ2位にランクインしていた。この次のシングル「モンスター」が年間3位で、上位3曲をピンク・レディーの楽曲が独占することになった。
「第9回日本歌謡大賞」で大賞獲得しているが、同じ年の大晦日に放送された「第20回日本レコード大賞」でも「UFO」で大賞を受賞するなど、依然としてすごい勢いであった。しかし、この年の「NHK紅白歌合戦」には同じ時間帯に放送されたチャリティー番組に出演するため、出場を辞退した。
「背番号1のすごい奴が相手 フラミンゴみたいひょいと一本足で」という歌詞は当時、読売ジャイアンツの選手でホームラン本数で世界新記録樹立したばかりの王貞治をモデルにしていると思われる。
当時、小学6年生は卒業前に学研の「中1コース」か旺文社の「中一時代」、裕福な家庭の場合はその両方の年間購読を申し込むことが少なくはなかったのだが、「サウスポー」が大ヒットした翌年の1979年の予約特典は「中1コース」がピンク・レディー、「中一時代」が王貞治のサインがそれぞれ印刷された万年筆であった。
「サウスポー」が野球の左投げ投手のことであると、この曲がきっかけで初めて知った人たちはけして少なくはなかったように思える。
プロ野球の女性ピッチャーを主人公にした楽曲であり、現実的には当時も現在も実在はしていないのだが、同様のテーマを扱った水島新司の漫画「野球狂の詩」がヒットし、この前年には木之内みどり主演で映画化もされていた。
野球のユニフォームを模したピンク色の衣装で歌い踊る姿は、引き続き大いに受けてはいたのだが、この後、「モンスター」「透明人間」「カメレオン・アーミー」まで連続して1位を記録するものの、アメリカ進出を本格的に進めていく間に日本での人気は次第に落ちていき、1981年に解散することになった。
Mr.サマータイム/サーカス(1978)
サーカスの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。
フランスのミッシェル・フュガン&ル・ビッグ・バザールというアーティストがリリースした「愛の歴史」という曲の日本語カバーバージョンである。
不倫の恋を後悔する女性の告白という内容だが、カネボウ化粧品のCMソングに起用され、その洗練されたサウンドと美しいコーラスワークが大いに受けていた。
資生堂のCMソングであった矢沢永吉「時間よ止まれ」と共にこの年の夏をヴィヴィッドに思い起こさせるヒット曲として記憶され、この頃から化粧品のCMソングがより注目されるようになったような気がする。