邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:200-191

200. LOUD MINORITY/UNITED FUTURE ORGANIZATION (1992)

UNITED FUTURE ORGANIZATIONの2枚目のシングルで、イギリスの音楽誌「エコーズ・マガジン」のジャズ・チャートで1位に輝いた。

ロンドンで発生した「ジャズで踊る」ムーヴメントを日本のクラブシーンで再現した、DJ3人のユニットによる代表曲である。フランク・フォスターの楽曲からサックスのフレーズを躍動感あるベースの演奏と組み合わせ、クールなダンス・トラックに仕上げている。

当時、フリッパーズ・ギターを失った「渋谷系」界隈の音楽ファンはこいいった音楽シーンに移行するケースも多かったが、個人的には何だか気取っていてスノビッシュに感じられ、あまりハマれなかった。もちろんいまでは最高にカッコよく、後の日本の音楽シーンに与えた影響が多大だったことも理解できるのだが、あくまで後追いという感じでしかない。

199. C調言葉に御用心/サザンオールスターズ (1979)

サザンオールスターズの5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」共に最高2位のヒットを記録した。

デビューシングル「勝手にシンドバッド」から5曲連続してのトップ10ヒットであり、この時点でお茶の間にも認知された人気バンドとなっていたのだが、翌年から音楽活動に集中するため意図的にメディア露出を控えて、シングルは売れなくなった。一方でアルバムは出せば必ず1位という状態になっていく。

恋のやすせなさをヴィヴィッドに描いた初期サザンオールスターズの最高傑作なのではないかと個人的には思っていて、なんといっても「たまにゃ making love そうでなきゃ hand job」というような歌詞をゴールデンタイムのお茶の間に堂々と流したことそのものがすごい。また、「胸をつかみうなじを味わい やせた腰をからめて とぎれとぎれの声聞くだけでいい」というような表現は当時の中学生男子をドキドキもさせたのだが、一方で作家の田中康夫をして「現代の春歌」などと言わしめることにもなる。

それにしても、「みだれ女の吐息に悩める純情ハートの俺であるがゆえ」というフレーズは個人的に当時も現在もずっと大好きで、できれば死ぬまでそうありたいよね、とすら強く思わされる。

198. 強く儚いたち/Cocco (1997)

Coccoのメジャー2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高18位を記録した。

「飛魚のアーチをくぐって 宝島に着いた頃」などと、いい感じにさせておいて、「あなたのお姫様は誰かと腰を振ってるわ」と落とすくだりには軽く心を病ませる効果もあり、ここに被虐的な快感を覚えなくもない。

理想的な愛などというものが、いかにもろく壊れやすいものか、という真実をこの曲は浮き彫りにしているような気もするのだが、それでもその幻を守りたいと強く思わされるのであった。

197. Rain/大江千里 (1988)

大江千里のアルバム「1234」の収録曲で、シングルではリリースされていなかったようだが、代表曲の1つとして知られる名曲である。

タイトルがあらわしているように雨の街という舞台装置を用いて、揺れ動く人の心をヴィヴィッドに描写していて、特に個人的には「きみじゃない 悪いのは自分の激しさをかくせないぼくのほうさ」のところでは身につまされる記憶がいくつもあるため、その時の状況しだいでは泣き出しそうになる。

しかも、この曲は個人的にいま住んでいる場所からそれほど遠くはない京王線つつじヶ丘駅前のロータリーなどがモチーフになっているというところにまたグッときたりもする。

196. SHADOW CITY/寺尾聰 (1980)

寺尾聰の4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位、「ザ・ベストテン」では最高4位のヒットを記録している。

1980年の発売当時にはそれほど大きくヒットはしなかったのだが、翌年、シングル「ルビーの指環」の大ヒットに乗じて、この曲もセールスを伸ばしていった。「出航 SASURAI」も含めた「ザ・ベストテン」3曲同時ランクインは、当時の歌謡曲ファンの印象に強く残っていると思われる。

「トゥットゥルルーン トゥットゥットゥルーンルーン」というようなスキャット的なボーカルパートが多く、歌詞は少ない。しかし、それがまた都会的な大人のダンディズムのようなものを演出してもいる。さよならをしたいのだがうまくできない、そんな大人の恋愛模様である。

195. 氷の世界/井上陽水 (1973)

井上陽水の大ヒットアルバム「氷の世界」の表題曲であり、A面の5曲目に収録されていた。

「窓の外ではリンゴ売り」からはじまるどこかシュールレアリスティックでもありながら、不安感を感じさせもする歌詞と、スティーヴィー・ワンダー「迷信」にインスパイアされ、クラヴィネットも用いられたサウンドとが絶妙にマッチしている。

後に筋肉少女帯がカバーバージョンをシングルでリリースするが、他にも坂本九、ちあきなおみ、工藤静香などによってもカバーされている。

194. 愛は心の仕事です/ラ・ムー (1988)

ラ・ムーのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。

アイドル歌手の菊池桃子をボーカリストに据えたロックバンドとして話題になったラ・ムーだが、当時は正当に評価されることはなく、ネタ的に消費された印象が強い。音楽性がロックというよりはファンク/R&B的であったことや、演奏やコーラスがわりと本格的だったのに菊池桃子のウィスパーボイスという妙の良さが当時はなかなか伝わりにくかったのかもしれない。

しかし、シティ・ポップやフューチャー・ファンク的な音楽の再評価の流れで、当時をリアルタイムでは知らないリスナーたちによっても高く評価され、実は早すぎたのではないか、と解釈されがちでもある。

193. DESIRE – 情熱 -/中森明菜 (1986)

中森明菜の14枚目のシングルで、当時、無双状態の彼女にしては当然のオリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」で1位、年間シングルランキングでも石井明美「CHA-CHA-CHA」に次ぐ2位を記録したのみならず、日本レコード大賞でも大賞、金賞、ベストアーティスト賞を受賞した。

いかにも1980年代半ば的なサウンドと中森明菜の圧倒的なボーカルパフォーマンス、当時、まだボックスではなかったカラオケ店でもいろいろな人たちが歌うのをよく耳にした。ポップでキャッチーでありながらも、業の深さのようなものを感じさせるところがとても良い。

テレビでのパフォーマンスでは「恋もdance, dance, dance, danceほど夢中になれないなんてね」の後の振り付けが、特に好きだった。

192. 愛の言霊~Spiritual Message~/サザンオールスターズ (1996)

サザンオールスターズの37枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。

個人的にはこの頃すでにサザンオールスターズの熱心なリスナーではなかったのだが、テレビ神奈川「ミュージックトマトJAPAN」でこの曲のビデオを視聴して、ベテランの国民的人気バンドにもかかわらず、いまだに新しいことにチャレンジして、しかもそのレベルが高くて売れているのがすごすぎるな、と思わされたりした。

ラップやワールドミュージック的な要素が入り、しかもサブタイトルにもあるようにスピリチュアル的でもあるなど、情報量が多くて豊かな音楽体験を可能にしている。

191. リックサック/レピッシュ (1988)

レピッシュの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高85位を記録した。

バンドブーム期に人気があったバンドの1つだが、レピッシュは特にスカからの影響が強いバンドとしての印象がとても強かった。

この曲はいかにリックサックが好きかということのみがほぼテーマになっているのだが、スカという音楽ジャンルを日本語ポップス化した例として、とても良い感じになっているのではないか、というような気がする。