邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:420-411

420. スノッブな夜へ/国分友里恵(1983)

国分友里恵のデビュー・アルバム「Relief 72 hours」の1曲目に収録されている曲である。「Silkの夜風に着換える時間ね Friday Night」と歌いはじめられる都会的に洗練されたとても良い曲で、プロデュースは林哲治である。

2010年代以降のシティ・ポップ・リバイバルにおいて定番曲的に再評価や新発見されたような印象もある。90年代半ば以降はクリスチャンとしての音楽活動を主に行なっていくが、一方で山下達郎や竹内まりやのツアーに参加したりもしている。

本来はなかなか玄人好みの音楽なのではないかというような気もするのだが、リリース当時よりもいまどきの気分の方がしっくりきているのではないか、と感じるところもある。

419. ガールズ ブラボー!/レベッカ(1985)

レベッカのシングル「フレンズ」とのカップリングでリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した。「フレンズ」のB面が「ガールズ ブラボー!」だったような気もしていたのだが、どうやら両A面だったようである。

中山秀征がABブラザーズのメンバーとして、お笑い芸人でありながらアイドル的でもあるような活動をしていた頃に主演したテレビドラマ「ハーフポテトな俺たち」の、「フレンズ」がエンディングテーマで「ガールズ ブラボー!」がオープニングテーマであった。

「ガールズ ブラボー!」については、シンディ・ローパー「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」(当時の邦題は「ハイスクールはダンステリア」)的な楽曲という印象があった。NOKKOのエモーショナルなボーカルやパフォーマンスも含め、レベッカには日本の中高生のボリュームゾーンに確実にヒットするポップ感覚が備わっているように思え、そのことを書いて「ロッキング・オン」に投稿したのだがもちろんボツにされたことが思い出される。

それにしてもこの「ガールズ ブラボー!」というタイトルは本当に素晴らしく、本来ならばレベッカのファン層とはあまり被らなそうな「宝島」的な文化圏というか、具体的には中森明夫「東京トンガリキッズ」や岡崎京子「東京ガールズブラボー」などとも精神的には共通する部分があるように思える。

418. See You Again/高野寛(1988)

高野寛は高橋幸宏と鈴木慶一が主催した「究極のバンド」オーディションに合格したことがきっかけでデビューし、高橋幸宏がプロデュースしたこの曲は最初のシングルである。デビュー・アルバム「hullo hulloa」の1曲目にも収録されたが、当時はシングルもアルバムもオリコンランキング圏外であった。

時代背景的にはバンドブームだったり「純愛」ブームだったりしたのだが、トッド・ラングレン的な良質なポップスで、「好きだからいつも会ったりしない」「君も僕もお互いの所有物(もの)じゃない でもそれは嫌いだからじゃないさ」などと歌っているところに芯の強さと反骨精神のようなものを感じなくもない。

417. 群青日和/東京事変(2004)

椎名林檎を中心に結成されたオルタナティヴ・ロック・バンド、東京事変のデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。オルタナティヴでサブ・カルチャー的でもあった椎名林檎はメインストリートで大ブレイクし、ソロ・アーティストでやれることはやり尽くした感があったりもして、音楽活動を継続することへのモチベーションがかなり下がっていたともいわれる。それで、自らライヴハウスなどで見つけたメンバーにより結成されたのがこの東京事変らしく、いろいろ実験的なことなどもやっていてとても良い。

この曲はジャズインストゥルメンタルバンド、PE’ZのメンバーでもあったH是都Mによって作曲されているのだが、いろいろ忙しくもなってきたことにより両立が難しくなり、この曲を収録したアルバム「教育」をリリースした後に東京事変を脱退することになる。メインストリームとオルタナティヴの境界を行き来するような、とてもスリリングでユニークな音楽性を持つバンドであった。

416. ロマンスの神様/広瀬香美(1993)

広瀬香美の3枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、1994年の年間ランキングではMr.Children「innocent world」に次ぐ2位を記録した大ヒット曲、というか冬の定番ソングの印象が強いのだが、実はOLの合コンのようなものがテーマになっていて、特に季節は特定されていない。もちろんスキー用品店、アルペンのCMに使われていた影響がひじょうに大きい。

デビュー・シングル「愛があれば大丈夫」はオリコン週間シングルランキングで最高42位を記録したものの、次の「二人のBirthday」は圏外であった。広瀬香美はクラシックの教育なども受けた実にちゃんとしたソングライターであり、この「ロマンスの神様」も実はもっと違った感じの曲だったようだが、CMタイアップであったりいろいろな大人の意見などを反映させているうちに、まったく違ったものになっていったのだという。当時はやや不本意にも感じていたのだが、このような経緯によってよく分からないがなんだかとてつもないグルーヴ感と良い意味での下世話さがミックスされた楽曲を完成させたようである。

そもそもOLの経験がない広瀬香美はこの曲の歌詞を書くにあたり、女性雑誌を読むなどリサーチをして、「週休二日 しかもフレックス」などというフレーズも盛り込まれたのだという。2022年にはTikTokをきっかけに新しい世代のリスナーの間でも少し流行ったり、若手コンビのニッポンの社長が「オールザッツ漫才」でこの曲を最初から聴いて、「そんなの嘘だと嘘だと思いませんか?」のところで、「なんでいきなり敬語やねん!」とブチ切れるネタをやっていた。

415. HERO(ヒーローになる時、それは今)/甲斐バンド(1978)

甲斐バンドの11枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、「ザ・ベストテン」で最高3位のヒットを記録した。セイコーこと服部時計店のテレビCMに使われていて、1979年の元旦0時ちょうどから民放各局で一斉に流れるという、なかなかカッコいいことをやっていた。

「生きるってことは一夜かぎりのワン・ナイト・ショー」で、「人生はいつも路上のカクテル・パーティー」などというシビれるフレーズのオンパレードである。「裏切りの街角」が以前にヒットしたことなどもよく知らない当時の小中学生などは、ニューミュージックの新しいバンドであるかのように甲斐バンドのこの曲を受け入れていたような気がする。

当時、中学校の入学祝いといえばデジタル腕時計が定番であり、そういった意味でも興味を持ちやすかった。

414. 不思議なピーチパイ/竹内まりや(1980)

竹内まりやの4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」でいずれも最高3位のヒットを記録した。資生堂のテレビCMでも使われていた。この頃は化粧品のCMソングがヒットチャートにかなり影響をあたえていたのだが、この春にはカネボウ化粧品が渡辺真知子「唇よ、熱く君を語れ」、ポーラ化粧品が庄野真代「Hey Lady 優しくなれるかい」といずれもニューミュージック系の女性アーティストの曲を使用して、いずれもトップ10ヒットを記録していた。

西武百貨店のCMコピー、「不思議、大好き。」が話題になるのはこの翌年のことだが、この曲のタイトルに「不思議な」を付け足したのもこのコピーと同じく糸井重里だったようだ。B面の「さよならの夜明け」は後に夫となる山下達郎によって作曲されている。

413. WOMAN “Wの悲劇より“/薬師丸ひろ子(1984)

薬師丸ひろ子の主演映画「Wの悲劇」のテーマソングであり、作詞は松本隆、作曲は呉田軽穂こと松任谷由実である。薬師丸ひろ子が主演映画の主題歌を歌うのは定番化していて、それは1981年の「セーラー服と機関銃」からはじまったのだが、元々は来生たかお「夢の途中」が使われる予定だったのを、監督の一存で急遽、薬師丸ひろ子が歌うことになったらしく、この曲の作詞をしていて、来生たかおの姉でもある来生えつこはタイトルを変えられたことも含めてブチ切れていたという。

それはそうとして、この曲はひじょうにコード進行が特殊で難易度も高く、薬師丸ひろ子でなければ歌いこなせないような完成度となっている。松任谷由実いわく、オートクチュール、つまりオーダーメイドの一点ものとして書かれたとのことである。

412. ごめんねDarling/岩崎良美(1981)

岩崎良美は人気歌手、岩崎宏美の妹としてデビュー当時からひじょうに話題になっていて、「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」には同じ年にデビューした松田聖子と共に出演するが、岩崎良美「涼風」の方だけが後にベストテン入りしていた。

1985年にリリースしたテレビアニメ「タッチ」の主題歌がオリコン週間シングルランキングで最高12位のヒットを記録していて、これが代表曲だと見なされがちだが、それ以前にシティ・ポップ的なとても良い曲をいろいろリリースしている。

この曲は7枚目のシングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングでは最高41位であった。やはりシティ・ポップ的なサウンドにのせて、大人の恋が歌われている。作詞・作曲は尾崎亜美で編曲が鈴木茂であり、エモーションズ「ベスト・オブ・マイ・ラブ」歌謡的でもあるのだが、とても良い。

411. 闘牛士/Char(1978)

Charの4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高19位を記録した。中学3年生か高校1年生ぐらいの頃からスタジオ・ミュージシャンとして活動し、その後に結成したロックバンド、スモーキー・メディスンも高く評価されていたのだが、解散後に一時的に歌謡ロック的な楽曲を歌っていた。それがニューミュージックのブームとも時期的に重なり、Char、原田真二、世良公則はロック御三家とも呼ばれていた。

この曲は阿久悠が作詞でCharが作曲をしているのだが、アルバム・バージョンとシングル・バージョンとでは、まあまあ異なっている。シングル・バージョンの方が歌謡ポップス的ではあるのだが、それでも歌も演奏もかなりカッコよくセクシーである。その後、再びよりロック的な音楽をやるようになり、ジョニー、ルイス&チャー(後にピンク・クラウドと改名する)を結成したり、通信販売専門のレーベル、江戸屋Recordを立ち上げたことなどでも話題になった。