デュラン・デュランの名曲ベスト10(The 10 Best Duran Duran Songs)【Artist’s Best Songs】
デュラン・デュランは1978年にイギリスのバーミンガムで結成されたニュー・ウェイヴバンドで、バンド名はSF映画「バーバレラ」の登場人物に由来する。メンバーチェンジを繰り返した後、1980年にルックスが良くて曲が書けることなどから、サイモン・ル・ボンがボーカリストとしてオーディションで加入した。
1981年にデビューすると、楽曲のポップさとルックスの良さですぐに人気が出て、ヒット曲を連発するようになった。デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックから影響を受けた音楽にシンセサイザーのサウンドも効果的に取り入れた楽曲が特徴で、ニュー・ロマンティックと呼ばれるムーヴメントの中心的存在でもあった。日本の洋楽ファンにも早くから人気があったが、初期から映像に力を入れていたこともあってMTVブームにも乗り、1983年にはアメリカでもブレイク、カルチャー・クラブなどと共に第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを盛り上げた。
今回はそんなデュラン・デュランの楽曲から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲を選んでカウントダウンしていきたい。
10. The Wild Boys (1984)
デュラン・デュランのライブアルバム「アリーナ」に収録されたスタジオ録音の新曲で、全米シングル・チャートでは4週連続2位が最高位だった。ナイル・ロジャースによってプロデュースされたこの曲によって2曲連続1位が期待されてもいたのだが、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「アウト・オブ・タッチ」、マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」によってそれは阻まれた。ダリル・ホール&ジョン・オーツにとっては最後で、マドンナにとっては最初の全米NO.1ヒットであった。
この曲はデュラン・デュランのミュージックビデオを手がけてきた映像作家、ラッセル・マルケイがウィリアム・S・バロウズの小説「猛者(ワイルド・ボーイズ)ー死者の書」を映像化したいと考えたことが元になっていている。莫大な予算が費やされたミュージックビデオは、ブリット・アワーズで最優秀ブリティッシュ・ビデオ賞を受賞している。
9. Ordinary World (1992)
アルバム「デュラン・デュラン(ザ・ウェディング・アルバム)」からの最初のシングルで、全米シングル・チャートでは最高3位のヒットを記録した。1990年代に入るとデュラン・デュランの人気はすでにかなり落ち着いてしまっていたのだが、この曲のヒットによってやや盛り返し、新しいリスナーを獲得したともいえる。温かみが感じられるバラードとなったこの曲はサイモン・ル・ボンが親しい友人が亡くなった悲しみを乗り越えるために書いて歌ったということだが、それが多くの人々にとっても意味のある楽曲となった。戦災児童支援を目的としたチャリティーライブ、「ウォー・チャイルド」ではイタリアの人気オペラ歌手、ルチアーノ・パヴァロッティとの共演でこの曲を演奏している。
8. Is There Something I Should Know? (1983)
アメリカでデュラン・デュランの2作目のアルバム「リオ」からのシングルカット曲が全米シングル・チャートの上位にランクインし、バンドそのものもブレイクしはじめていた頃にイギリスで新曲としてリリースされ、全英シングル・チャートでは初の1位に輝いた。アメリカでは後に再発されたデビューアルバム「デュラン・デュラン」に追加収録され、全米シングル・チャートでは最高6位を記録した。
この曲を再生するといきなり「プリーズ・プリーズ・テル・ミー・ナウ」と繰り返し歌われるところからはじまるのだが、これがひじょうにキャッチーでインパクトがある。それで、邦題も「プリーズ・テル・ミー・ナウ」である。当時、旭川のディスコでもこの曲がかかるとひじょうに盛り上がっていたと、同じ高校に通っていた遊んでいる女子が話していた。
7. Save a Prayer (1982)
デュラン・デュランの2作目のアルバム「リオ」からイギリスでは3枚目のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。この順位はこの時点ではデュラン・デュランにとって歴代最高位だったが、初の1位はサバイバーによる映画「ロッキー3」の主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」によって阻まれた。
オリエンタルでエキゾチックなシンセサイザーのイントロが、ひじょうに印象的である。スリランカで撮影されたミュージックビデオはMTVでもよくオンエアされていたということだが、アメリカでは1985年になってやっとシングルがリリースされ、全米シングル・チャートで最高16位を記録した。
6. A View to a Kill (1985)
映画「007/美しき獲物たち」の主題歌としてリリースされ、1985年7月13日付の全米シングル・チャートでフィル・コリンズ「ススーディオ」を抜いて1位に輝いた。その日は伝説のチャリティーライブイベント、「ライブ・エイド」の開催日でもあり、デュラン・デュランはJFKスタジアムでの出演者で最も歓声を浴びていたという。全英シングル・チャートではポール・ハードキャッスル「19」に阻まれ、最高2位であった。
長年の「007」シリーズファンであったジョン・テイラーがプロデューサーのアルバート・R・ブロッコリにパーティーで話しかけ、テーマソングを書かせてほしいと懇願したことがきっかけになったようだ。「007」シリーズの主題歌を数多くの人気アーティストが歌ってきているが、全米シングル・チャートで1位に輝いたのは、デュラン・デュランによるこの曲だけである(ウィングス「007 死ぬのは奴らだ」、カーリー・サイモン「私を愛したスパイ」が最高2位を記録している)。ジョン・バリーとの共作であり、デュラン・デュランらしい楽曲でありながらも、「007」シリーズ的な要素も随所に感じられる。
ゴドレイ&クレームが監督したミュージックビデオは、パリのエッフェル塔で撮影されている。
5. The Reflex (1983)
デュラン・デュランの3作目のアルバム「セブン・アンド・ザ・ラグド・タイガー」に収録された曲だが、シングルとしてリリースされるにあたって、ナイル・ロジャースがリミックスしている。全米シングル・チャートではデュラン・デュランにとって初めて、全英シングル・チャートでは「プリーズ・テル・ミー・ナウ」に続く2曲目の1位に輝いている。ミュージックビデオにはトロントでのライブ映像が使われている。
4. Planet Earth (1981)
デュラン・デュランのデビューシングルで、全英シングル・チャートで最高12位を記録している。ニュー・ロマンティックと歌詞でも歌われ、ミュージックビデオにはまさにニュー・ロマンティックなファッションで出演している。サウンドもビデオも後の作品に比べるとシンプルでチープだが、そこがまたとても良い。
アメリカのオルタナティヴ・ロックバンド、ザ・ダンディ・ウォーホールズは2003年の「ユー・ワー・ザ・ラスト・ハイ」で、「プラネット・アース」のビデオをほぼコピーしている。収録アルバム「モンキー・ハウスへようこそ」のプロデュースにはデュラン・デュランのキーボード奏者、ニック・ローズがかかわっていた。
3. Rio (1982)
アルバム「リオ」のタイトル曲で、シングルカットもされている。全英シングル・チャートで最高9位、全米シングル・チャートでは最高14位を記録している。タイトルはブラジルの都市、リオデジャネイロにインスパイアされているが、歌詞はリオという名の女性をテーマにしている。シンセサイザーを効果的に用いたモダンなサウンドで、80年代ポップスを象徴する楽器の1つともいえるサックスも最高である。ミュージックビデオはヨットで海を渡るメンバーなどを撮影したもので、当初はもっとストーリー性がある予定だったのだが、途中でフィルムが尽きてしまったらしい。ジョン・テイラーがサックスを吹くシーンは、観光客のカメラを借りて撮影されたという。
2. Girls on Film (1981)
デビューアルバム「デュラン・デュラン」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高5位と、3枚目のシングルにして初のトップ10入りを果たした。ゴドレイ&クレームが撮影したミュージックビデオは裸に近い格好をしたモデル風の女性が相撲の力士を投げ飛ばすなど、ユニークな世界観を提示している上にセクシーでもあったのだが、撮影されたのがアメリカでMTVが開局する少し前ということを考えると、かなり先鋭的だったということができる。
日本では「グラビアの美少女」の邦題でも知られ、80年代には「オールナイトフジ」でグラビアアイドルが写真集などを紹介するコーナーで流れたり、2005年にはテレビアニメ「SPEED GRAPHER」のオープニングテーマ曲に使われたりもした。
1. Hungry Like the Wolf (1982)
アルバム「リオ」からシングルカットされ、全英シングル・チャートでは最高5位、全米シングル・チャートでは最高3位を記録し、ついにアメリカでもブレイクを果たした。これにはスリランカで撮影されたミュージックビデオがMTVでヘビーローテーションされたことが影響したといわれる。
この曲が最高位の3位に達した1983年3月26位付けの全米シングル・チャートで、上位2曲はマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」、カルチャー・クラブ「君は完璧さ」であった。このトップ3が3週続いた。いずれもミュージックビデオが印象的な楽曲であり、いよいよ映像がヒットチャートに大きく影響をあたえる時代になったことを象徴するようであった。これ以降、イギリスのニュー・ウェイヴやシンセポップを中心とするバンドやアーティストが全米シングル・チャートをにぎわせる第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンが本格的に盛り上がっていくことになる。
サウンドの新しさやキャッチーさに加え、ルックスが良くアイドル性が高かったことも特徴的で、たとえば多くの音楽メディアなどが発表する歴代や年代のリストでは軽視されがちだったとしても、ポップ・ミュージック史においてひじょうに重要な役割を果たしたことは間違いないと思われる。そして、当時の全米ヒットチャートファンにとって、マイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」、カルチャー・クラブ「君は完璧さ」、デュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」は、やはりセットで記憶されがちでもあり、そのバランスも含め当時のポップ感覚を簡潔に象徴しているような気もする。