ダリル・ホール&ジョン・オーツの名曲ベスト10
80年代の全米ヒット・チャートをにぎわせたアーティストといえば、マイケル・ジャクソン、マドンナ、プリンスにホイットニー・ヒューストンあたりを思い浮かべる場合が多いと思われ、もちろんそれは妥当でもある。しかし、80年代の前半、つまり1984年が終わる辺りの時点において、最も多くの曲が1位になったアーティストはダリル・ホール&ジョン・オーツであった。
ブルー・アイド・ソウルという言葉をホール&オーツによって知った当時の中高生も、多かったのではないだろうか。親しみやすい楽曲とダリル・ホールのボーカルやルックスの魅力もあって、日本でもひじょうに人気が高く、ビリー・ジョエルなどと共に洋楽入門編的なアーティストとして機能していたような気もする。
佐野元春のラジオ番組にリスナーがホール&オーツの曲をリクエストしたのだが、アーティスト名を間違えて覚えていたらしく、ハガキにはホーランド・ローズと書かれていたらしい。オランダの薔薇という響きに良いものを感じた佐野元春は、松田聖子に「ハートのイアリング」を提供する際に、これをペンネームとして採用した。
ネオ・アコースティックや初期のフリッパーズ・ギターなどについての貴重な証言が満載された素晴らしい著書「ミニコミ『英国音楽』とあのころの話 1986-1991」で知られる小出亜佐子さんの最初のアイドルがダリル・ホールだったという話にも、絶妙なリアリティーを感じたりする。
そして、当時の「全米トップ40」リスナーにとって、秋はそろそろホール&オーツの新曲が出る頃という印象も強いのではないだろうか。というわけで、今回はホール&オーツの曲でベスト10をやっていきたい。いつものように、個人的な趣味や嗜好、思い出補正が影響していることは致し方ない。
10. She’s Gone (1973)
最初にリリースされた当時は地元のフィラデルフィアではヒットしていたものの、全米シングル・チャートでは最高60位だったのだが、いくつかのヒット曲が出てから再リリースされ、1976年に7位まで上がった初期の代表曲である。タイトルから想像ができるように失恋がテーマになっているが、当時、ダリル・ホールは離婚、ジョン・オーツは大晦日に恋人と別れるということがあり、それが反映しているという。
9. Rich Girl (1976)
ホール&オーツが初めて全米シングル・チャートで1位を記録した曲で、親の財産に依存する金持ちの少女をテーマにしているが、実際のモデルはダリル・ホールの恋人、サラ・アレンの元カレであり、リッチ・ガールではなくリッチ・ボーイだったという。辛辣な歌詞とキャッチーな楽曲との絶妙なマッチングがたまらなく良い。
8. Say It Isn’t So (1983)
ベスト・アルバム「フロム・A・トゥ・ONE」に収録された新曲にして先行シングルで絶対に1位になると思っていたのだが、ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン「SAY SAY SAY」に阻まれ、全米シングル・チャートでは最高2位であった。いかにもホール&オーツらしいキャッチーなメロディーに加え、サウンドに新しさが感じられた。個人的には修学旅行の自由行動の時間を利用して、オープンして間もない六本木WAVEでアルバムを買ったことが思い出される。全米シングル・チャートに初登場した週にタイトルの「Isn’t」のところが「Isn’to」になっていて、「全米トップ40」で湯川れい子が何か意味があるのだろうかというようなことを言っていたが、翌週には「Isn’t」になっていたので、単なる誤植だったと思われる。
7. Maneater (1982)
アルバム「H2O」からのシングル・カットで、全米シングル・チャートで80年代に入ってから4曲目となる1位を記録した。モータウンビートが導入されているのだが、翌年にはフィル・コリンズやホリーズがシュープリームスのカバーをヒットさせたり、ビリー・ジョエル「あの娘にアタック」や日本でもサザンオールスターズの原由子によるソロシングル「恋は、ご多忙申し上げます」など、モータウンビートがなぜか流行っていた。歌い出しの「She’ll only come out at night」が「オレ困らない」に聴こえるというしょうもない空耳が友人の間で少しだけ話題になった。男を食いつくしてしまう恐ろしい女について歌われているが、これは都会のメタファーなのだという。80年代ポップスらしい楽器、サックスも最高。
6. One On One (1982)
「H2O」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高7位を記録した。少しチープにも感じられる打ち込み感覚がとても良く、個人的にもひじょうに気に入っていて、修学旅行のバスの中でマイクを回して1人ずつ好きな曲を歌っていくという牧歌的なイベントでも、同級生たちがアルフィー「メリーアン」や小泉今日子「艶姿ナミダ娘」などを歌う中、空気を読まずにこの曲を歌い大いにスベりまくっていた。アメリカではバスケットボールの映像のバックで流れていたことでも、よく知られているらしい。
5. Sara Smile (1975)
もしも私がホール&オーツの数々のヒット曲にリアルタイムではなかったとしたら、この曲の順位はおそらくもっと高かったし、1位の可能性もあったのではないかと思える。80年代の多くの中高生と同様に、この曲はホール&オーツの過去のヒット曲として初めて聴いたし、「フロム・A・トゥ・ONE」の収録曲として手に入れた。ダリル・ホールの恋人、サラ・アレンのことが歌われていて、「微笑んでよサラ」という邦題もあったような気がする。今日のシティ・ソウル的なトレンドにもじゅうぶんにハマりそうな、素晴らしいバラードである。1976年に全米シングル・チャートで最高4位を記録し、これがホール&オーツにとって初のトップ40ヒットとなった。
4. You Make My Dreams (1980)
アルバム「モダン・ヴォイス」からシングル・カットされ、1981年に全米シングル・チャートで最高5位を記録した。当時、リリースの順番がNO.1ヒットにはさまれていたため、それほど印象に残っていなかったのだが、2009年の映画「(500)日のサマー」に使われたシーンを見て、こんなに素敵な曲だったのかと個人的に評価が爆上がりして、以来ずっと大好きである。恋の訪れがもたらす生きていることそのものへの実感や希望といった、そのようなものがヴィヴィッドに表現されているように感じられる。
3. I Can’t Go For That (No Can Do) (1981)
先日、沢田太陽(Hard To Explain)さんが公開された「私の考えるソウル・ミュージック」というプレイリストにこの曲がマイケル・マクドナルド「アイ・キープ・フォーゲッティン」と共に選曲されていて最高だった。アルバム「プライベート・アイズ」からのシングル・カットで全米シングル・チャートで1位を記録したのだが、当時の全米シングル・チャートを追っていた人達からは、オリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカル」の連続1位をストップさせた曲としても知られているのではないかと思える。ブルーアイド・ソウルというのは、青い瞳をした白人によるソウル・ミュージックというような意味だと理解しているのだが、ホール&オーツのレコードは当時、R&Bチャートでも上位に入っていたところがやはりすごくて、デ・ラ・ソウルがデビュー・アルバムでこの曲を引用していたのも納得というものである。そして、80年代ポップスを感じさせる楽器ことサックスがこの曲でもやっぱり最高。
2. Private Eyes (1981)
「プライベート・アイズ」というのは、個人的な両目?いや、どうやら私立探偵のことらしい、それでプロモーションビデオ(当時はミュージックビデオのことをこのように呼んでいて、次にビデオクリップと呼ぶのが流行ったような気がする)での衣装もあんな感じなのか、と納得したものである。マイケル・ジャクソン「スリラー」やデュラン・デュラン、カルチャー・クラブなどの第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン以前、全米シングル・チャートのイメージがまだビデオよりラジオだった頃なりのイノセンスというようなものがあるのではないかと、個人的に洋楽を主体的に聴きはじめた時期の関係から確実に感じてはいるのだが、どちらの方が良いかということではなくて、この頃を象徴する楽曲として強く印象に残っている。全米シングル・チャートでは当然のように1位になるのだが、それからオリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカル」がこれを抜いて、当時としては最長タイ記録の10週連続となるのだが、これをストップさせたのがまたしてもホール&オーツの「アイ・キャン・ゴー・フォー・ザット」というぐらいに当時の勢いはすごかったわけだが、個人的には10週連続2位の末に結局、1位になれなかったフォリナー「ガール・ライク・ユー」に同情してはいたのだ。
1. Kiss On My List (1980)
個人的に初めて買ったホール&オーツのレコード、しかもシングルということもあって、思い出補正的な要素がひじょうに強いことは否定できないのだが、それにしてもとても良い曲である。恋人とのキスについて、それは人生において起こった最高の出来事のリストに載っていると歌った、内容は至ってシンプルではあるのだが、ダリル・ホール自身がこの曲を反ラヴ・ソングだと語っていることにも注目したく、恋の気分というのは瞬間的に分かち合えているかもしれないものではあるのだが、結局は自分自身のファンタジーなのだ、というような意味にとらえられなくもない。そこにリアリティーを感じたりもするのである。中学生や高校生の頃に好きで聴いていたホール&オーツのことを、その後はしばらく忘れていたのだが、ずっと後になってベスト・アルバムがCDで出たので懐かしくなって聴いてみたところ、特にこの曲がもたらす満足度、ポップ・ソングとしての完成度の高さに改めて驚かされたのであった。そして、もしかすると結局のところ、ホール&オーツが一番好きなのではないかと思える瞬間が、年に何時間かは確実にあるような気がする。80年代に入ってから、最初の全米NO.1ヒットである。