邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1978, Part.3
勝手にシンドバッド/サザンオールスターズ(1978)
サザンオールスターズのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。
タイトルは前年の大ヒット曲、沢田研二「勝手にしやがれ」とピンク・レディー「渚のシンドバッド」を組み合わせたもので、ザ・ドリフターズの志村けんがこの2曲をマッシュアップした音源を使ってやっていたギャグに由来する。
それまでまったく聴いたことがなかったタイプの日本のポップソングで、まず歌詞が何を歌っているのかよく分からないのだが、フィーリングはなんとなく伝わり、なんだか面白い曲がラジオでよく流れていると思っていたところ、テレビにも出るようになり、ジョギングシャツのようなものを着て歌い、演奏する姿にお祭り騒ぎ的なグルーブも感じられてとても良かった。
「砂まじりの茅ヶ崎」「胸さわぎの腰つき」といったユニークな言語感覚、1コーラス中に「今何時」と3回も聞かれるのだが、「そうねだいたいね」「ちょっと待ってて」「まだはやい」と、一度として正確には答えられない。あまりにも新しすぎて、当時のサザンオールスターズのことをコミックバンドのようなものとしてしか認識できていなかった人たちも少なくはない。
しかしその後、サザンオールスターズは周知の通り、数々のヒット曲を世に送りだすなどして、国民的人気バンドとして知られるような存在になり、2003年にデビュー25周年を記念してこの曲が再リリースされた際には、オリコン週間シングルランキングでオリジナル盤の最高位を上回る1位に輝いたのであった。
夏のお嬢さん/榊原郁恵(1978)
榊原郁恵の7枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高11位とトップ10入りを逃がしていたが、「ザ・ベストテン」では最高5位、文化放送「決定!全日本歌謡選抜」では1位を記録したりしていた。
1970年代後半はニューミュージック全盛だった上に、歌謡ポップス界では大御所的なスーパースターたちの人気がひじょうに高かったため、新人アイドルがブレイクすることはひじょうに難しかった。
「ホリプロタレントスカウトキャラバン」の第1回優勝者である榊原郁恵は、その陽気なキャラクターもあってタレント性がひじょうに高く、ブロマイドがものすごく良く売れていたり、水着グラビアも大好評であった。
レコードもそこそこ売れてはいたのだが、ベストテン入りするほどの大ヒットには至っていなく、そんな頃にこのシングルが発売された。「夏のお嬢さん ビキニがとっても似合うよ しげき的さ クラクラしちゃう」と歌いはじめられるこの曲は、陽気なキャラクターにピッタリであり、ダブルミーニング的でもある「アイスクリーム ユースクリーム」のフレーズもキャッチーで良かった。
個人的にも「明星」か「平凡」の付録だったような気がする榊原郁恵の水着ポスターを部屋に貼ったりしている小学生だったのだが、このシングルは買わなければいけないと思い、レコード店に走った記憶がある。
たそがれマイ・ラブ/大橋純子(1978)
大橋純子の10枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、「第20回日本レコード大賞」では金賞を受賞している。
北海道夕張市出身の大橋純子は後に一風堂を結成する土屋昌巳もギタリストとして参加していたバンド、美乃家セントラル・ステイションを率いて活動していて、そのソウルフルなボーカルに定評があった。
この曲はTBSテレビの3時間ドラマ「獅子のごとく」の主題歌で、「今は夏 そばにあなたの匂い」という歌詞ではじまるのだが、ヒットのピークは11月ぐらいであり、翌年にかけても売れ続けていた。個人的にも旭山スキー場のゲレンデで大音量で流れていた印象が強い。シティポップ的な流行歌としても再評価されがちである。
君のひとみは10000ボルト/堀内孝雄(1978)
堀内孝雄のソロアーティストとしては最初のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングでは、ピンク・レディー「UFO」「サウスポー」「モンスター」に次ぐ4位で、5位がキャンディーズ「微笑がえし」、6位がピンク・レディー「透明人間」であった。
それはそうとして、資生堂のCMソングとして大ヒットしたこの曲はアリスにオファーされたものだったのだが、谷村新司が体調を崩し、声も出せない状態になったことから、堀内孝雄がソロで歌うことになったのだという。作詞は谷村新司で作曲が堀内孝雄である。
歌詞に「金木犀の咲く路」というフレーズがあり、意味もよく分からないままなんとなく良いなと思い、聴いていたのだが、高校を卒業して相模原のワンルームマンションに住んでいた頃、秋になるとそれまで知らなかったとても良い香りがして、友人に話してみるとこれが金木犀なのだという。そう聞いてすぐにこの曲のことを思い出し、そうするとまた聴く楽しみが深まったような気もした。
中国原産の常緑広葉樹だが、寒さに弱いため、北海道では越冬が難しいのだという。この曲がヒットしてからもしばらくは北海道で暮らしていたため、金木犀の香りを知らなくても仕方がなかったのかもしれない。
銃爪/世良公則&ツイスト(1978)
世良公則&ツイストの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、「ザ・ベストテン」では10週連続1位で、年間ランキングでも1位に輝いていた。1981年に寺尾聰「ルビーの指環」に抜かれるまで、最長記録を保持していた。
タイトルの「銃爪」は「ひきがね」と読む。世良公則&ツイストのリーダーは、ドラムスのふとがね金太である。ポプコンことヤマハポピュラーソングコンテストや世界歌謡祭でグランプリを獲得し、デビューシングル「あんたのバラード」の時点でかなり話題になり、実際にヒットもしたのだが、その人気が決定的なものとして認識されたのが、この曲の大ヒットだったような気がする。
個人的にはこの年の初夏、日曜日に弟と旭川の市街地まで自転車で行き、ピンク・レディー「モンスター」のシングルを買った時に、弟は世良公則&ツイスト「宿無し」を買っていたことが思い出される。弟はスーパーカーの走行音などが入ったレコードなどをよく買っていて、母からどうせ買うなら歌のレコードの方が良いのではないか、というようなことをいわれがちであった。
それはそうとして、世良公則は原田真二、Charと共にロック御三家としても知られていて、アイドル的な人気も高く、エネルギッシュでワイルドなパフォーマンスにも定評があった。とはいえ、世良公則&ツイストはロックバンドというものがいかにカッコいいかということを、当時の小学生ぐらいの世代に強く印象づける役割を果たしたように感じられ、雑誌「昭和40年男」の2020年12月号が1978年を「日本ロック元年」と特集を組んでいたことは、同世代には共感もできたように思える。
世良公則の人気だけが突出していくことを危惧したバンドは、この後、ツイストと改名することになる。「第20回日本レコード大賞」ではこの曲で新人賞を受賞するのだが、辞退したことでも話題になった。
季節の中で/松山千春(1978)
松山千春の5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。
出身地である北海道ではSTVラジオの深夜番組「アタックヤング」のパーソナリティーだったり、曲も以前からラジオでかかりまくっていたため、すでにかなりの人気者であった。個人的にもこの年の初夏よりも前に行われた小学校の修学旅行で、松山千春の「旅立ち」を友人たちと一緒に歌った記憶がある。
この曲の大ヒットは、山口百恵と三浦友和が出演したグリコアーモンドチョコレートのCMで使われた影響もひじょうに大きかったのではないかと思われる。「ザ・ベストテン」にもランクインして、ついには1位なってしまうのだが、松山千春はずっとテレビ出演を拒否していた。
しかし、1度限りという条件でライブ会場であった旭川市民文化会館からの中継で出演し、テレビに出演しない理由などを語って、この曲を歌った。
グッド・ラック/野口五郎(1978)
野口五郎の28枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。「第20回日本レコード大賞」で金賞、「第9回日本歌謡大賞」では放送音楽賞を受賞している。作詞は山川啓介、作曲は筒美京平である。
シティポップ歌謡として再評価されがちであり、サウンドがカッコよく、歌詞は眠っている女性の元を去っていく男性の心境を描写したものだが、これが独特の歌謡曲性を感じさせる野口五郎のボーカルで歌われることによって、とても良い感じに仕上がっているように感じられる。
みずいろの雨/八神純子(1978)
八神純子の5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。
ポプコンことヤマハポピュラーソングコンテストや世界音楽祭で好成績を残した後にデビューし、ハイトーンなボーカルとこの曲においてはサンバホイッスルも印象的であった。
作曲は八神純子だが、作詞は三浦徳子、編曲は当時まだ駆け出しの大村雅朗と、後に松田聖子「青い珊瑚礁」にかかわる人たちがクレジットされている。
当時のニューミュージックブームの勢いと大衆性を思い出させると同時に、エバーグリーンな魅力も感じられる素晴らしいポップソングである。
ハリウッド・スキャンダル/郷ひろみ(1978)
郷ひろみの28枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高13位、「ザ・ベストテン」では最高8位を記録した。
ショウビズ界におけるスター同士のロマンスをテーマにした楽曲で、ゴージャスなサウンドと郷ひろみの規格外的でありながら切なさをにじませもするボーカルがとても良い。
「薬をたくさん飲んだけれども 眠っただけよ まだ生きてる」などというフレーズも含み、「おかしな悲劇とかなしい喜劇が交差する」きわめて表層的でありながら、「俺 爪の先まで惚れていたのさ」という本音が吐露されもする、おそらく郷ひろみ以外には表現し切れないエモーションが感じられる。
かつて交際していたとされる松田聖子の結婚式が行われた翌々日の夜に放送された「夜のヒットスタジオDELUXE」にアメリカからの中継で出演し、この曲と「哀愁のカサブランカ」を歌ったのもとても良かった。