邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1978, Part.4

ガンダーラ/ゴダイゴ(1978)

ゴダイゴの7枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。

堺正章が主演したテレビドラマ「西遊記」のエンディングテーマ曲である。ゴダイゴはそれまで英語詞の曲ばかりを歌っていて、これが初めての日本語の曲であった。

タイトルは古代インドにあった王国のことだが、ゴダイゴのタケカワユキヒデが奈良橋陽子に、どこかエキゾティックなガンダーラ美術のようなイメージで、とオファーしていたことに由来している。

タケカワユキヒデのユニークなボーカルスタイルやメンバーそれぞれのキャラクターがキャッチーであったこともあり、ゴダイゴは一気にお茶の間の人気者となった。

この曲の英語バージョンも収録したアルバム「西遊記」が全曲英語詞であったにもかかわらず、オリコンアルバムランキングで1979年の年間1位に輝いた事実も、当時の人気を証明している。

ラブ・ステップ/越美晴(1978)

越美晴(現在はコシミハル)のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高33位を記録した。

フジテレビ系のオーディション番組「君こそスターだ!」出身のシンガーソングライターで、テレビでもピアノを弾きながら歌う姿がよく見られた。

当時はニューミュージック全盛であり、若い女性アーティストはニューミュージック系やシンガーソングタイターであっても、アイドル的な売り出し方をされることがあった。

越美晴もNHKの音楽番組「レッツゴーヤング」でバックダンサー的な役割を果たしたりもするサンデーズのメンバーとして、アイドル歌手たちと一緒に出演していた時期がある。

この曲では越美晴のシンガーソングライターとしての才能が炸裂していて、「そうよそうよ恋なんて 回る回る回転木馬 ひとときだけ楽しければそれでいい」というところなどが強く印象に残った。個人的にも小学6年生だった当時、旭川の長崎屋にあったレコード売場でシングルを買って、何度も繰り返し聴いていた記憶がある。

越美晴はその後、テクノポップ的な音楽をやるようになり、細野晴臣が立ち上げたYENレーベルやノン・スタンダードなどから作品を発表したり、アーティスト名を片仮名のコシミハルに改名するが、1990年代には細野晴臣とのユニット、Swing Slowを結成したりもしていた。

いい日旅立ち/山口百恵(1978)

山口百恵の24枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位、「ザ・ベストテン」では1位を記録している。

国鉄が行なっていた「いい日旅立ち」キャンペーンのテーマソングで、作詞・作曲は谷村新司である。

「あゝ 日本のどこかに私を待ってる人がいる」というフレーズも印象的な日本情緒に溢れた楽曲で、山口百恵の楽曲としては「秋桜」と共に「日本の歌百選」にも選ばれている。

夢想花/円広志(1978)

円広志のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。

ポプコンことポピュラーソングコンテストと世界歌謡祭でグランプリを受賞してから発売された、ヤマハ系のニューミュージックだが、なんといっても「とんで」が9回と「まわって」が3回続いた後に「まわる」で終わる歌詞のインパクトがすさまじかった。

日本航空のCMソングに使われたこともヒットを後押しする結果となった。その後、本名の篠原義彦名義で森昌子に提供した「越冬つばめ」が高評価を得たり、関西では人気タレントとして活躍したりもした。

雨に泣いてる/柳ジョージ&レイニーウッド(1978)

柳ジョージとレイニーウッドの4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高20位を記録した。

萩原健一が主演したテレビドラマ「死人狩り」の主題歌にも起用されていた。元々は「WEEPING IN THE RAIN」のタイトルで英語詞だった楽曲に、日本語詞をつけて歌ったものである。

横浜出身でザ・ゴールデン・カップスの後期メンバーでもあった柳ジョージがサラリーマン経験を経て結成したバンドの最初のヒット曲で、ブルースロックから影響を受けた音楽性が特徴である。

この翌年にリリースされたアルバム「RAINY WOOD AVENUE」はオリコン週間アルバムランキングで初登場1位、シングルカットされた「微笑の法則」は資生堂のCMに使われ、オリコン週間シングルランキングで最高5位のヒットを記録した。

チャンピオン/アリス(1978)

アリスの14枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、年間ランキングで8位を記録した。

チャンピオンであるベテランボクサーが若き挑戦者との試合に敗れ、「帰れるんだ これでただの男に」という心境に達するまでがドラマティックに描写された楽曲で、作詞・作曲は谷村新司である。

ニューミュージックブームを代表するバンドの最もヒットした楽曲だが、特に男性のファンが多かったような印象があり、個人的にはこの翌年に入学した中学校で行われたレコードコンサートという、単に教室でレコードをかけてみんなで聴くだけのイベントでは、次に誰のレコードをかけるかでアリス派の男子と松山千春派の女子とで言い争いをしていた記憶がある。

HERO(ヒーローになる時、それは今)/甲斐バンド(1978)

甲斐バンドの11枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、「ザ・ベストテン」でも最高3位を記録した。

本人たちも出演したセイコーのCMソングに起用されたことがヒットのきっかけだと思われるが、当時の小学6年生にとって腕時計は中学校の入学祝いに買ってもらう定番アイテムでもあり、特に液晶のデジタルウォッチが大人気であった。

「裏切りの街角」がヒットした頃にはまだ子供すぎてよく分からなかった世代にとって、この頃の甲斐バンドはニューミュージックの新しいアーティストのように感じられる場合もあった。

「生きるってことは一夜かぎりのワン・ナイト・ショー」「今が過去になる前に俺た走り出そう」などの歌詞もやたらとカッコよかった。テレビ出演は基本的に拒否していたのだが、「ザ・ベストテン」に一度だけ甲斐よしひろがパーソナリティーを務めていたNHK-FM「サウンド・ストリート」のスタジオからの中継で出演したことがある。

甲斐よしひろはハスキーボイスとセクシーなイメージで女性からの人気もひじょうに高く、「中島みゆきのオールナイトニッポン」でリスナーから投稿された吉田拓郎「人間なんて」の替え歌の歌詞として、「人間なんて私と甲斐だけ」というのが読まれていたことを印象深く覚えている。

モンキー・マジック/ゴダイゴ(1978)

ゴダイゴの8枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。

テレビドラマ「西遊記」のエンディングテーマ「ガンダーラ」に続いて、オープニングテーマのこの曲もヒットしたということになるが、こちらは全編英語詞であることが特徴である。アルバムではインストゥルメンタル曲「ザ・バース・オブ・ジ・オデッセイ」と繋げて収録されていた。

オープニングで「アチョー!」などと叫ばれるところなどもひじょうに印象的であり、1990年にはこの曲がヒットした当時、小学生であったスチャダラパーの「スチャダラパーのテーマPT.2」にサンプリングされたりもした。

個人的には小学6年生だった当時、初めのうちは「西遊記」を見ていなかったのだが、クラスのお楽しみ会的なイベントで後に音楽仲間としてレコードを貸し借りしたりする仲になる男子が英語詞であるこの曲を歌って女子たちから歓声を浴びているのを見て、これはチェックしておかなければいけないという気分にさせられた。

まったくの余談だが、個人的にそのお楽しみ会的なイベントでは、男女6~7人ぐらいのグループで「シッチャカメッチャカベストテン」なる歌番組のパロディーのようなコントをやり、その台本を書いたりもしていた。気になっていた女子が榊原郁恵のファンだったこともあり、1位を当時の最新シングル「Do it BANG BANG」にしていたことには賛否があったのだが、彼女が喜んでくれていたので良かったと思う。

オリビアを聴きながら/杏里(1978)

杏里のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高65位を記録した。作詞・作曲は尾崎亜美で、当時それほど大きなヒットにはなっていないものの、名曲としての評価は高かったような気がする。

「出逢った頃はこんな日が来るとは思わずにいた」「疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの」といった歌詞は恋のはじまりと終りを経験したことのある多くの人々が共感できるものであろう。

タイトルに入っている「オリビア」はオリビア・ニュートン・ジョンのことで、歌詞に出てくる「making good things better」というフレーズも「きらめく愛のように」の邦題に由来していると思われる。