邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1971, Part.2
さらば恋人/堺正章(1971)
ザ・スパイダース解散後、堺正章がソロアーティストとしてリリースした最初のシングルで、オリコン週間シングルランキングで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、年間シングルランキングで10位の大ヒットを記録した。
「さよならと書いた手紙 テーブルの上に置いたよ」「悪いのは僕のほうさ 君じゃない」というわけで、恋人との別れの悲しみをスタイリッシュに描写した名曲である。作詞を北山修、作曲・編曲を手がけ、「第13回日本レコード大賞」では大衆賞を受賞している。
この頃の堺正章といえばテレビドラマ「時間ですよ」への出演で大人気になっていたが、この年の秋からはバラエティ番組「ハッチャキ‼︎マチャアキ」がはじまり、ザ・スパイダースでの活躍をよく知らない当時の子供たちにとっては、歌手というよりはテレビによく出ているとても面白い人という印象でもあった。
おふくろさん/森進一(1971)
森進一の20枚目のシングルで、オリコン週間ランキングで最高13位を記録、「第13回日本レコード大賞」では最優秀歌唱賞を受賞している。
アルバム「旅路」の収録曲としてリリースされたが、ライブで好評だったことからシングルカットしたところ、ヒットを記録することになった。ハスキーでビブラートが効いた独特のボーカルに特徴があり、ものまねの定番ネタとしてもあまりにも有名である。
ものまねとは通常、オリジナルの特徴をデフォルメしていることが多いのだが、たとえばこの曲の場合だと、オリジナルの方が圧倒的にその特徴が強力に感じられる。
一時期、森進一がこの曲の歌詞を改変して歌ったことに作詞をした川内康範が激怒し、歌うことができなくなったまま亡くなる、いわゆる「おふくろさん騒動」が生じるが、長男との間で和解が生じ、オリジナル版を歌うことができるようになった。
真夏の出来事/平山三紀(1971)
平山三紀の2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。作詞は橋本淳、作曲・編曲の筒美京平はこの曲と朝丘雪路「雨がやんだら」で「第13回日本レコード大賞」作曲賞を受賞している。
モータウン調のソウルミュージック的なサウンドとハスキーで個性的なボーカルが絶妙にマッチした名曲で、アイドルポップスと呼ぶことができる最初のヒット曲かもしれない。
1980年代に廃盤ブームのようなものがあり、少し前にヒットした流行歌を再評価しようというようなムーブメントがあった。当時はCDではなく、まだアナログレコードの時代だったこともあり、ほんの数年前のヒット曲であってもレコードが廃盤になったまま、入手困難ということが少なくはなかった。
「真夏の出来事」はその廃盤ブームのようなものが起こった時にも、それらを代表する名曲として認識されたような気がする。個人的にも投稿した原稿を何度か載せていただいたことがある伝説のミニコミ雑誌「よい子の歌謡曲」の単行本が1983年に出版されているのだが(表紙は平山三紀、郷ひろみと共に筒美京平がそのボーカルを特に気に入っていたといわれる松本伊代!)、それに掲載「よい子の歌謡曲・名盤130選」は、「真夏の出来事」からはじまっている。
17才/南沙織(1971)
南沙織のデビューシングルでオリコン週間シングルランキングで最高2位、「第13回日本レコード大賞」では新人賞を受賞している。
作詞が有馬美恵子で作曲・編曲が筒美京平だが、「また逢う日まで」「さらば恋人」「真夏の出来事」に「17才」と、1971年は筒美京平の時代が本格的に到来したことを強く認識させる年だったようである。
南沙織は沖縄出身で、この曲でデビューした翌月、17歳になった。当時の沖縄は戦後の米軍統治下にあり、日本に返還されたのはこの翌年のことである。
南沙織が筒美京平と初めて会った日に歌ったというリン・アンダーソン「ローズ・ガーデン」も、作曲にあたっては参照されているようだ。「好きなんだもの 私は今 生きている」というフレーズをはじめ、青春の輝きが凝縮されたような素晴らしいポップソングである。
1989年には森高千里がユーロビート歌謡、2008年には銀杏BOYZがインディーロック的なアレンジでカバーして、いずれもオリコン週間シングルランキングでトップ10以内にランクインしている。
教訓1/加川良(1971)
フォークシンガー、加川良のデビューシングルである。1970年に開催された「第2回中津川フォークジャンボリー」に飛び入り出演し、この曲を歌ったことがきっかけで注目をあつめ、インディーズのレコード会社、URCレコードからデビューした。
この曲は児童文学者、上野瞭の「ちょっとかわった人生論」に収録された「戦争について」を元にしたプロテストソングで、「命をすてて男になれと言われた時にはふるえましょうヨネ そうよ私しゃ女で結構 女のくさったのでかまいませんよ」「死んで神様と言われるよりも 生きてバカだといわれましょうヨネ」などと歌われている。
雨の御堂筋/欧陽菲菲(1971)
欧陽菲菲のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、「第13回日本レコード大賞」では新人賞を受賞している。
ザ・ベンチャーズのインストゥルメンタル曲をオリジナルとするベンチャーズ歌謡で、渚ゆう子「京都の恋」などと同様に作詞を林春生、編曲を川口真が手がけている。
愛する男性の行方を追って、雨の夜に傘もささずに歩き回る女性の心情が歌われていて、歌詞には本町、梅田新道、心斎橋といった大阪の地名が登場する。
カレーライス/遠藤賢司(1971)
遠藤賢司の2作目のアルバム「満足できるかな」に収録された楽曲で、翌年には別バージョンがシングルでもリリースされた。
日本のフォークを代表する名曲として知られ、「君」と「猫」と「僕」と日常が歌われている。遠藤賢司の作品といえば、シングル「ほんとだよ/猫が眠ってる」、アルバム「niyago」などをはじめ、猫が取り上げられるケースがひじょうに多い。
「僕」は「君」がカレーライスをつくっている間、「うーんとってもいい匂いだな」などと感じながら、寝転んでテレビを見ていて、「誰かがぱっとお腹を切っちゃった」ことを知る。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で「それでも武士かぁ!」などと演説をした後に割腹自殺をした三島由紀夫のことが歌われていると思われるが、その感想は「ふーん 痛いだろうにね」であり、曲はそのまま「早くできないかな」「いい匂いだな」と続いていく。
風をあつめて/はっぴいえんど(1971)
はっぴいえんどの2作目のアルバム「風街ろまん」に収録され、最も知られている楽曲ではあるのだが、シングルではリリースされていなく、当時、特にヒットしていたわけでもない。
メンバーの細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂が後に日本のポピュラー音楽界のメインストリームにおいて、アーティストやクリエイターとして大活躍したことから、伝説のバンドとして再評価され、新しい世代のリスナーにも聴かれるようになる。
いつしか日本のロック名盤アルバムといえば、はっぴいえんど「風街ろまん」というような認識が教養のように広まるのだが、あたかも日本のロックがはっぴいえんどからはじまったかのように言われるのは歴史の改ざんなのではないかというような、いわゆる「はっぴいえんど史観」批判のようなものもあらわれるようになる。
都市は開発され、姿かたちを変えていく宿命にあるような気はするのだが、たとえば1990年代に青春を送った世代が令和の変わり果てた渋谷に違和感を覚えるのと同じように、はっぴいえんどのこの曲も当時、すでに失われた、あるいは失われつつある風景について歌われているものだと思われる。
それがエバーグリーンな名曲として機能し続けているのは、圧倒的ともいえるポップソングとしての強度に他ならないのだが、おそらく当時の日本の流行歌ではない。とはいえ、後のニューミュージックやシティポップにあたえた影響はあまりにも大きく、そのパイオニア的存在の1つであったことには間違いがない。
個人的には1980年代に渋谷陽一のラジオ番組で初めてこの曲を聴いて、かつての日本にこんなにもカッコいい音楽があったのかと感激し、本厚木のミロードに入っていたレコード店でデビューアルバム「はっぴいえんど」と「風街ろまん」を1枚にまとめたCDを買ったのだが、その少し前に音楽イベント「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」で実現した再結成はそれほど盛り上がらず、佐野元春のステージにサザンオールスターズが飛び入りしたことなどの方が話題になって、細野晴臣は「ニューミュージックのお葬式」などと言っていたとされる。
ソフィア・コッポラが監督して2003年(日本では翌年)に公開された映画「ロスト・イン・トランスレーション」で使われていたのも印象的であった。はっぴいえんどのオリジナルのみならず、東京のカラオケボックスで歌われている音が漏れ聞こえてきているようなところでも使われていた。
結婚しようよ/よしだたくろう(1971)
吉田拓郎(当時はよしだたくろう)のアルバム「人間なんて」に収録され、翌年にシングルカットされると、オリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した楽曲である。
「僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら 約束どおり町の教会で結婚しようよ」という歌詞がまず当時においては新しく、しかも時代の感覚をとらえていたといえる。フォークというか若者文化といえば体制や既成概念に対する抵抗という側面も強かったわけだが、男性が女性と同じぐらいに髪を長く伸ばすことそのものがそうであるのと同時に、その延長線上に結婚という体制的な概念を置いている。
とはいえ、当時はまだまだ見合い結婚も多い時代だったと思われ、その状況で結婚という人生の一大事により自由でカジュアルなイメージをあたえたともいえるような気がする。そして、純粋に曲がキャッチーで歌いやすくもあって、とても良い。