邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1968 (Part.2)

長い髪の少女/ザ・ゴールデン・カップス(1968)

ザ・ゴールデン・カップスの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高14位を記録した。

いまさらなのだが1968年になってから突然オリコン週間シングルランキングについての言及が増えはじねたのは、単純にこの年からはじまったからという理由に他ならない。

それはそうとして、わりと本格的にR&B的なロックを得意とするザ・ゴールデン・カップスにしては歌謡曲的すぎて本来の持ち味がそれほど発揮されていないのではないかという印象はおそらくあたえがちな楽曲だとは思うのだが、これはこれでとても良い曲なのではないだろうか。

天使の誘惑/黛ジュン(1968)

黛ジュンの4枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングでは最高3位、第10回日本レコード大賞を受賞している。作詞はなかにし礼で、作曲が鈴木邦彦である。

「好きなのにあの人はいない」というわけで失恋ソングではあるのだが、その悲しみをすらポップでエレガントで受け止めているような感じがとても良い。

グッド・ナイト・ベイビー/ザ・キングトーンズ(1968)

ザ・キング・トーンズのデビューシングルで、発売の翌年にオリコン週刊シングルランキングで最高2位のヒットを記録した。

デビューシングルとは結成からはかなりの期間が経過していて、それまでは米軍キャンプを拠点にライブ活動を行っていたり、様々なアーティストのレコーディングにバックコーラスで参加していたようだ。

アメリカのドゥーワップからの影響を受けた音楽性が特徴であり、1980年代にシャネルズがブレイクした時にはその先輩格的なグループとして紹介されてもいたような記憶がある。

恋の奴隷/奥村チヨ(1968)

奥村チヨの17枚目のシングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高2位のヒットを記録した。作詞はなかにし礼で、作曲が鈴木邦彦である。

デビュー以降、和製シルヴィ・ヴァルタン的なコケティッシュな魅力が特徴だったのだが、この楽曲では「あなたと逢ったその日から恋の奴隷になりました」「あなた好みの女になりたい」とかなり大人のムードで迫っている。

「悪い時はどうぞぶってね」とバイオレンスを許容するほど従属的な歌詞については、奥村チヨ自身も歌うのがつらかったと後に語っているようである。

エメラルドの伝説/ザ・テンプターズ(1968)

ザ・テンプターズの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。

それまではリーダーである松崎由治によって書かれた楽曲をシングルでリリースしていたのだが、この楽曲は作詞がなかにし礼で作曲が村井邦彦と、人気作家によって提供されたものである。

ショーケンこと萩原健一の甘いボーカルの魅力がフルに生かされたロマンティックな楽曲だが、途中にサイケデリックロック的なギターが入ったりするところもとても良い。

愛のさざなみ/島倉千代子(1968)

島倉千代子がデビュー15周年を記念してリリースした楽曲で、オリコン週間シングルランキングで最高20位、「第10回日本レコード大賞」では特別賞を受賞した。

作詞はなかにし礼で作曲が浜口庫之助なのだが、ソフトロック的でもあるアレンジに意外性を感じていると、どうやらバックトラックのみがロサンゼルス録音でドラムスのハル・ブレインをはじめ、現地のスタジオミュージシャンたちによって演奏されているようだ。

愛はまるでさざ波のようであるという現実認識が、とても良い感じで表現されているように思える。

恋の季節/ピンキーとキラーズ(1968)

ピンキーとキラーズのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングでは17週にもわたって1位を記録した。「第10回日本レコード大賞」では新人賞を受賞している。

日本テレビで放送されていた「こりゃアカンワ」なる番組の「今月の歌」のコーナーでレギュラー出演者の倍賞美津子が歌う曲として岩谷時子といずみたくによってつくられたのだが、バックコーラスで参加する予定だったピンキーとキラーズがいつの間にか歌うことになっていたという。

山高帽にステッキという独特のスタイル、ピンキーこと今陽子は当時まだ10代の女性で、キラーズはヒゲの男性たちというビジュアルにもインパクトがあった。

ダンシング・セブンティーン/オックス(1968)

グループサウンズバンド、オックスの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高28位を記録した。

デビューシングル「ガールフレンド」が6位、3枚目の「スワンの涙」が7位なので、ヒットの度合いで判断するならばこの曲は谷間ということになるのだが、ポップでキャッチーでとても良い曲である。

「おしゃれなぼく サイケな恋 君が好きさ 踊りに行こう」という歌い出しからしてすでに最高なのだが、「踊ってください」と丁寧なところもとても良い。

作詞は橋本淳、作曲・編曲はこれがこの特集では初登場の筒美京平である。

三百六十五歩のマーチ/水前寺清子(1968)

水前寺清子の24枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高12位、第11回日本レコード大賞では大衆賞を受賞している。

もっと大ヒットしていたような印象があったのは、当時、家にこの曲のレコードがあって、子供ながらに聴きまくっていたとう個人的な記憶のせいかもしれない。

それまで演歌ばかり歌っていた水前寺清子はかなり音楽性が異なるこの曲を歌うのが当初は嫌だったようなのだが、後に好きになり、近年もギターウルフをバックに従えてライブハウスで歌っていたような気がする。

「しあわせは歩いてこない だから歩いてゆくんだね」「人生はワン・ツー・パンチ 汗かきべそかき歩こうよ」といったキラーフレーズ満載のマーチ的でもある人生応援歌である。

ちなみに水前寺清子の愛称であるチータは、本名が林田民子で小柄だったことから、この曲の作詞も手がけた星野哲郎が「ちいさなたみちゃん」と呼んでいたのが縮まったものだという。

ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ(1968)

いしだあゆみの26枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、1969年の年間シングルランキングでは由紀さおり「夜明けのスキャット」、森進一「港町ブルース」に次ぐ3位を記録した。筒美京平はこの曲で「第11回日本レコード大賞」作曲賞を受賞している。

作詞は橋本淳で「街の灯がとてもきれいねヨコハマ」という歌い出しからはじまる歌詞の世界は横浜という街のお洒落なイメージを全国津々浦々にまで広める役割を果たしたようにも思える。

筒美京平が作曲・編曲した初のオリコンNo.1ヒットで、昭和歌謡を代表する名曲だけあってカバーバージョンも多数存在するのだが、個人的には1991年に小西康陽がプロデュースした種ともこのバージョンなどもわりと気に入っていた。