岡村靖幸「聖書(バイブル)」について。
1988年9月21日に岡村靖幸が7作目のシングル「聖書(バイブル)」をリリースするのだが、その頃はまだメジャーに売れていたわけでもなく、オリコン週間シングルランキングでの最高位は42位であった。ちなみにその週の1位は工藤静香「MUGO・ん…色っぽい」、同じ日にB’zがシングル「だからその手を離して」、アルバム「B’z」でデビューしている。「聖書(バイブル)」は8センチのCDシングルで発売され、後に短冊型と呼ばれるようにもなる縦型のパッケージに収納されていた。この8センチのCDはこの年の2月に発売が開始され、それまではアルバムはCDで発売されているのだが、シングルはアナログでしか出ていないというケースが当たり前であった。
日本のバブル景気は1985年に発表されたプラザ合意に端を発しているといわれているが、この頃になると国民の生活は明らかに豊かになっていて、その傾向はおそらくその後も続いていくのではないかというようなムードが漂っていたような気がする。この年の1月4日には東京外為市場で1ドルが120円45銭の戦後最高記録を更新するのだが、翌日には六本木のディスコ、トゥーリアで照明器具が落下し、3人が死亡し、14人が重軽傷を負った。
1月8日には尾崎豊が覚せい剤取締法違反で逮捕、1月21には国税庁の調べで県庁所在地の最高路線価が23.8パーセントも上昇していることが分かった。2月8日には東京の市外局番が4ケタに変わったのだが、当時の私は相模原に住んでいたので関係がなかった。2月10日にファミコン用ソフト「ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…」が発売され、予約分だけで100万本を売り上げる。2月28日にサントリーの佐治敬三会長がいわゆる東北熊襲発言をして問題になり謝罪、3月13日には1961年に建設を開始した青函トンネルがついに開通した。3月17日には日本初の屋根つき球場として東京ドームが完成し、それまでの後楽園球場に替わって読売ジャイアンツと日本ハムファイターズのフランチャイズ球場となった。3月24日には中国で高知学芸高校の修学旅行生を乗せた列車が交通事故を起こし、教師と生徒を合わせて27人が死亡した。その日、私は旭川の実家に帰省していて、「ビートたけしのオールナイトニッポン」を聴いていたのだが、ビートたけしがこの事件の報道に心を痛め、途中で帰ってしまうということがあったような気がする。
岡村靖幸はその3日前、3月21日に2作目のアルバム「DATE」をリリースしているのだが、その時点でまだ私はその存在すら知らない。帰省を終え相模原に戻る前の夜に旭川の冨貴堂書店に行って、「ロッキング・オンJAPAN」の最新号を買った。まったく知らないアーティストの記事やインタヴューを含め、くまなく読んでいたのだが、まだ扱いが小さく、おそらくモノクロ1ページぐらいだったような気がする岡村靖幸のインタヴューを読んで、なんだかとても気になったのだ。内容はよく覚えていないのだが、なぜかとても気になったのだった。そして、夜遅くにFM北海道を聴いていると、なんと岡村靖幸の「19(nineteen)」という曲がかかったのだった。ジョージ・マイケル「FAITH」に少し似ているところもなくはなかったのだが、その独特の言語感覚とメロディーへの乗せ方が衝撃的であった。
翌日、飛行機とモノレールと電車で相模原のワンルームマンションに戻ったのだが、すみやというCDショップに行って、「DATE」のCDを買った。聴いてみるとこれがまた本当にすごくて、しばらくほとんどそればかり聴いていた。音楽的にはプリンスとビートルズと松田聖子から影響を受けたなどといっていて、確かに和製プリンス的ないわれ方をされてもいたのだが、最大の魅力はユニークな言語感覚と、その内容にリアリティーがあったことである。つまり、世の中はバブル景気でひじょうに豊かでイケイケではあるのだが、自分自身がそれに乗り切れているかというとまったくそんなことはなく、焦りばかりが加速していく。景気が良くて経済的に豊かになると、その欲望は素直に性愛の方にも向かうわけだが、そういったムードが村上春樹「ノルウェイの森」や松任谷由実の「純愛三部作」のブームとも相まって、トレンディーな展開を見せてもいくのである。
「DATE」のオリコン週間アルバムランキングでの最高位は42位であり、そこそこ売れてはいるのだが、ものすごくメジャーというわけでもなかった。それでも、私はこれはすごいと感激しまくっていて、1987年に発売されていたデビュー・アルバム「yellow」も買って熱心に聴いていた。この頃、EPICソニーが「eZ」というテレビ番組をやっていて、そこで動きている岡村靖幸を見てからますます好きになっていった。まずダンスにキレがありひじょうにカッコいいのだが、スタイリッシュというよりはひじょうにクセがすごい。それで、目が離せなくなる。あとは、目つきがとても良い。日本のポップ・ミュージックというのは、長らくロックやポップスを参照にしたものが多かったような印象が強いのだが、1986年にデビューした久保田利伸がブラック・コンテンポラリーをわりと本格的に導入していて、新しさを感じた。「オールナイトフジ」のミニライブで見てすぐにCDを買っていたのだが、その後、ちゃんと売れて、この年にはメジャーなテレビドラマの主題歌を歌ってヒットさせたりもしていた。岡村靖幸も大まかに分類するならば、それに近いようなところもあり、もう少しクセが弱く一般的だったとすれば、トレンディーにもなり得たような気もする。「DATE」からシングル・カットされ、テレビアニメ「シティーハンター2」のエンディングテーマにもなっていた「Super Girl」あたりにはそういった可能性も感じるのだが、「21で仕送りもらってる」とか「ベン ジョンソンで証明済み」とか、やはりクセが溢れだしてしまっている。
この年の初夏から夏にかけては、サザンオールスターズがシングル「みんなのうた」で活動を再開したり、覚せい剤取締法違反で逮捕され、活動を休止していた尾崎豊がシングル「太陽の破片」でこれもまた活動を再開したり、いわゆる反原発ソングを含むアルバム「カバーズ」をリリースしようとしていたRCサクセションが原子力発電所産業にもかかわる親会社を持つ東芝EMIから発売できないといわれたり、これが結局は別のレーベルから発売されるのだが、オリコン週間アルバムランキングで1位に輝く大ヒットになったり、佐野元春「警告どおり計画どおり」、ザ・ブルーハーツ「チェルノブイリ」といった、他にも反原発ソングが発売されたりということがあった。この年の夏休みにもやはり実家に帰省していたのだが、留萌の祖父母の家を訪ねた帰りにヨシザキというレコード店で私はRCサクセション「カバーズ」、妹はレベッカ「OLIVE」を買った記憶がある。
9月1日に尾崎豊がアルバム「街路樹」をリリースして、妹はそれを買っていたのだが、深夜にFM北海道を聴いていると、このアルバムから岡村靖幸が「紙切れとバイブル」をかけていた。当時、岡村靖幸はFM北海道の「FM ROCK KIDS」という番組で、金曜日のパーソナリティーを務めていた。その後、9月21日に岡村靖幸がリリースしたシングルのタイトルが「聖書(バイブル)」であった。もちろん発売されてからすぐに買って、これまでの集大成を踏まえて、さらに先へと進んだ最高傑作だと感じた。音楽面でもそうなのだが、まず、妻帯者の35歳の中年男性と不倫関係にある女性に歌いかけているところにリアリティーを感じた。
当時、大学生だった私の周りにも、このように妻帯者の中年男性と不倫をしている同年代の女性はわりといた。それも、後の援助交際や現在のパパ活のように、生活のためにやむを得ずという感じではなく、経済的にはまったく問題はないのだが、同年代の男性とでは味わうことができない、数ランク上の贅沢な世界を楽しんでみたいという好奇心がひじょうに強かった印象がある。彼女たちはなぜか、私にそういった話をしたがっていたのだが、場所は下北沢の薄暗い居酒屋で、ワインを飲みながら焼き鳥などをつまんでいた印象が強い。一流ホテルの高級レストランなどでの体験を話す彼女たちは私に意見を求めるのだが、岡村靖幸「聖書(バイブル)」の歌詞にあるように、やはり「きっと本当の恋じゃない汚れてる 僕のほうがいいじゃない」という気分にはなっているので、「僕のほうがいいじゃない」の部分は省いてそのような話をする。すると、やっぱりそうだよね、というようなことは言うのだが、それでもやっぱりやめられないというのだ。それならば、どうして私に話すのだろうか。
「聖書(バイブル)」が発売される4日前の9月17日、ソウルオリンピックが開幕し、水泳の鈴木大地選手が話題になるのだが、男性ライフスタイル雑誌でモテバイブルのようにもなっていた「POPEYE」では後にいまモテモテは鈴木大地タイプ的な特集が組まれ、スチャダラパー「N.I.C.E.GUY」でネタにされたりもする。その2日後の9月19日、昭和天皇が大量に吐血し、重篤状態となる。これをきっかけに自粛ムードが広まっていき、代表的な例としては日産自動車のセフィーロのCMに出演していた井上陽水の「みなさん、お元気ですか?」というセリフがカットされて、口パク状態となったのであった。昭和天皇は翌年の1月7日に崩御するので、この年はそれ以降の日付が存在した昭和で最後の年となった。
岡村靖幸は昭和最後の11月2日に「だいすき」、平成最初の4月21日に「ラブ タンバリン」とシングルをリリースしていくのだが、それぞれのオリコン週間シングルランキングでの最高位は42位と32位であった。この頃は岡村靖幸についての情報を自ら積極的に集めにいっていたので、たとえば一般大衆的にどうなのかというようなことについて、客観視できるような状態ではすでになかった。しかし、作品の充実ぶりには間違いがなく、新しいアルバムがリリースされるのを心待ちにしていた。そして、7月14日にリリースされたアルバム「靖幸」はオリコン週間アルバムランキングで最高4位のヒットを記録するのだが、この間に何があったのかはよく分からない(まったく関係ないのだが、「靖幸」が発売される前日に山口県で道重さゆみが誕生している)。
「聖書(バイブル)」が発売された頃、ある雑誌に掲載されたインタヴュー記事の見出しは「オールナイトフジ・コンプレックスが生んだ、ラブソングの聖書(バイブル)!」であった。「オールナイトフジ」とは1983年から1991年まで、フジテレビで土曜の深夜に放送されていたバラエティー番組で、現役女子大生からなるオールナイターズが出演して、アダルトビデオを紹介したり、街に出て男性のパンツを見せてもらったりするという内容であった。この番組に出演したことによって、とんねるずはブレイクするきっかけをつかみ、この番組の女子高生版としてスタートしたのが、おニャン子クラブを輩出する「夕やけニャンニャン」である。この番組には派手で遊んでいそうな女子大生がたくさん出演していたのだが、田中康夫によると本当に遊んでいる女子大生は「オールナイトフジ」になど出演していないということであった。
そして、私は毎週、土曜日の深夜になぜかこの番組をつけていて、見たり見なかったりしているうちに日曜の朝を迎えていた。この番組には若手アーティストのミニライブのコーナーや、若手の芸人によるネタのコーナーがあり、それはなかなかおもしろかったのだが、それ以外にはほとんど内容がない。それでもつけていることをやめられず、一体それがなぜなのかも分からなかった。
岡村靖幸はインタヴュー記事で「『オールナイトフジ』って番組あるでしょ。ボディコンの女子大生が、いっぱい出てくるやつ」「ボク、最後まで見ちゃうんですよ。やな性格でも、顔がカワイイから」と語っていて、なんだかたまらない気分になったのだった。「靖幸」に収録された「どんなことをして欲しいの僕に」には「あなたの生き方 ダイッ嫌いだよ でもさ拒めない」というフレーズがあり、聴きながらベッドの上で身悶えていた。
「聖書(バイブル)」は「靖幸」に収録されるにあたり、イントロにセリフが入り、アレンジも変わった新バージョンになった。シングルとアルバムとでバージョン違いというのはよくある話だが、「聖書(バイブル)」の場合、この後に発売されたベスト・アルバムにもアルバム・バージョンの方が収録されている。シングル・バージョンが有賀啓雄の編曲なのに対し、アルバム・バージョンは岡村靖幸自身によるものである。しかし、シングル・バージョンの人気も根強く、当時、発売されたシングルCDにはプレミア価格が付けられてもいる。私も当時、買って聴きまくったのだが、いつの間にかどこかに行ってしまった。シングル・バージョンは8枚のCDと2枚のDVDからなる「岡村ちゃん大百科」という高額商品、あるいは1989年4月21日に発売された「BEAT EXPRESS Vol.4」というコンピレーションCDで聴くことができる。「岡村ちゃん大百科」に収録されたバージョンはApple Musicなどでは聴くことができないが、なぜかSpotifyでは聴けるようになっている。