山下達郎「RIDE ON TIME」

山下達郎のシングル「RIDE ON TIME」は1980年5月1日にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した。中学生の頃からバンド活動を行い、大学中退後に大貫妙子らとシュガー・ベイブを結成、1975年には大滝詠一のナイアガラ・レーベルからアルバム「SONGS」、シングル「DOWN TOWN」でデビュー、翌年に解散して以降はソロ・アーティストとしてレコードをリリースし続けていたが、オリコン週間シングルランキングにランクインしたのは、この曲が初めてであった、それで、いきなり最高3位の大ヒットである。

おそらく音楽好きの間では知られていたのではないかとも思えるし、1979年にはシングル「LET’S DANCE BABY」のB面に収録されていた「BOMBER」が大阪のディスコでヒットしたりもしていたという。「RIDE ON TIME」マクセル・カセットテープのCMのためにつくられた曲で、本人が出演した映像はお茶の間にもよく流れていた。当時の日本のポップスとしてはひじょうに洗練されていて、他にはないようなタイプでもあったのだが、一般大衆にも広く支持されたということができる。

1980年代に入って最初のヒット曲として印象深いのは沢田研二「TOKIO」であり、この曲はアルバム収録曲として1979年のうちにはすでにリリースされていたのだが、元旦にシングルが発売された。作詞は糸井重里で、東京のことをスーパー・シティ「TOKIO」と歌っていることと、落下傘を背負ったド派手な衣装が話題になった。この衣装は後にフジテレビ系のバラエティー番組「オレたちひょうきん族」において、ビートたけし演じるタケちゃんマンに引用されることになる。そのテーマソングと番組のエンディングテーマ「DOWN TOWN」を歌っていたのが、女性シンガーのEPOであった。

「DOWN TOWN」はシュガー・ベイブのデビュー・シングルで、後に日本のポップ・クラシックとして評価が定着していくのだが、この時点でどのような評価だったのかは、よく分からない。EPOの「DOWN TOWN」が広く知られるようになったのは、1981年に「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマに使われてからだが、リリースされたのは1980年3月21日で、当時からラジオではよく耳にしていたような気がする。そして、実は山下達郎が以前にやっていたバンドの曲がオリジナルであることを知った、という順番であった。

当時、日本の一般大衆にとってヒット曲だと認識しやすいのは、TBS系のテレビ番組「ザ・ベストテン」にランクインしているような曲だったと思われる。「RIDE ON TIME」が発売された1980年5月1日の「ザ・ベストテン」では海援隊「贈る言葉」が1位、後に山下達郎の妻になる竹内まりやが「不思議なピーチパイ」で7位にランクインしている。その後、1位は山口百恵「謝肉祭」、クリスタル・キング「蜃気楼」、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」と移り変わっていく。「RIDE ON TIME」はオリコン週間シングルランキングで最高3位まで上がったものの、「ザ・ベストテン」にはランクインしていない。しかし、ラジオではよく流れていた印象があり、先に挙げた楽曲などと共に、この年のヒット曲として印象づけられている。

シティ・ポップ的な楽曲が初めてお茶の間に浸透した例だともいえるのだが、当時、シティ・ポップという認識はそれほどなかった。ニューミュージックの洗練されたバージョン、というような認識だったような気がする。それよりもこの年にはYMOことイエロー・マジック・オーケストラのテクノポップの印象が強く、テクノ御三家のP-MODEL、ヒカシュー、プラスチックスが普通の時間のテレビに出ていたり、ジューシィ・フルーツ「ジェニーはご機嫌ななめ」がベストテン入りしたりしていた。また、ニューミュージック全盛の70年代後半には元気がなかったフレッシュアイドル界だが、田原俊彦、松田聖子の大ブレイクに河合奈保子、柏原よしえらのデビューによって、活気づいてもいた。テレビではB&B、ザ・ぼんち、ツービート、島田紳助・松本竜介らによる漫才ブームである。80年代になった途端に、時代がライトでポップな感覚を求めはじめたような印象もあり、「RIDE ON TIME」はそういった気分にもフィットしていたように思える。

この曲を収録したアルバム「RIDE ON TIME」はオリコン週間アルバムランキングで1位に輝き、これ以降、山下達郎は日本のポップ・ミュージック界を代表するトップ・アーティストの1人として認識されるようになっていく。若者がドライブする時のBGMとしても知られるようになり、「夏だ!海だ!タツローだ!」というキャッチコピーも生み出される。オールディーズやソウル・ミュージックから強い影響を受けた、ひじょうにマニアックな音楽でもありながら、ポップでキャッチーであり、都会的で洗練されたサウンドは、経済的に上向きで、生活水準が上がっていっていた当時の日本の一般大衆には受け入れやすいものだったのかもしれない。青山純、伊藤広規、椎名和夫、難波弘之によるバンドをバックにレコーディングされた、最初の楽曲でもある。

「青い水平線を いま駆け抜けてく」という歌からはじまり、その次の「とぎすまされた」というフレーズが、この曲の印象にひじょうに相応しく、頭の中がくっきりとして視界が広がっていくような感じがしていた。とても暑い夏の日に街の小さな書店で立ち読みをしていると、AMラジオではこの曲がかかっていて、セールスドライバーのような男性が入ってくるなり、「ツービートが書いた本ありますか?」と聞いてきて、レジにいた店員は「いま売り切れですね」と言っていた。「ツービートのわッ毒ガスだーただ今、バカウケの本」のことであり、ツービートが書いたと言われてはいるが、実際ににはゴーストライターが書いているに決まっているのに、というような可愛げのないことを考えながら、そのまま立ち読みを続けた。「あふれる喜びに 拡がれ RIDE ON TIME」とは一体どのような状態のことなのか、よく分からないのだが、何だかとても良さそうである。それは憧れのずっと先の方にあり、景色はキラキラ輝いている。そんな気分で、いまもまだ聴くことができる。