ワム!「ラスト・クリスマス」について。

クリスマスの定番ソングとなって久しいワム!の「ラスト・クリスマス」がリリースされたのは、1984年12月3日のことであった。当時、旭川で高校生だった私はNHK-FMだったかFM北海道だったかは忘れたのだが、ワム!の新曲としてこの曲を聴いた。なんだか軽く感じられもしたのだが、おそらくクリスマスの企画シングル的なものであり、これぐらいの方がちょうどいいのだろうと感じたりもしていた。

ワム!はジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーによるイギリスのポップ・デュオで、結成は1981年である。2人は学生時代からの友達同士で、それ以前にはより多くのメンバーでエグゼクティヴというスカ・バンドをやってもいたようである。

1982年にシングル「ワム・ラップ!」でデビュー、その後、「ヤング・ガンズ」「バッド・ボーイズ」が全英シングル・チャートでそれぞれ最高3位と2位のヒットを記録し、その間には「ワム・ラップ!」も最高8位を記録した。これらを収録したデビュー・アルバム「ファンタスティック」1983年の夏にリリースされると、全英アルバム・チャートで1位に輝いた。そこからシングル・カットされた「クラブ・トロピカーナ」も全英シングル・チャートで最高4位と、一躍人気者になったのであった。

私もこの年の夏の終わりにNHK-FMの「リクエストコーナー」で「クラブ・トロピカーナ」を聴いたのだが、陽気でかなり良いのではないかと感じた。ワム!の音楽の特徴はソウル・ミュージックからの影響をキャッチーなポップスに反映しているところであり、たとえば「ミュージック・マガジン」を読んでいるような音楽マニア的な人たちからしてみると、おそらく軽くて浅く感じられるのだろうが、私のようなミーハーにとってはたまらないものがあった。

ちなみに「ミュージック・マガジン」の1983年11月号ではクロス・レヴューで取り上げられているが、小嶋さちほが2点、鈴木博文が3点、森脇美貴男が4点と惨憺たるもので、中村とうようの6点が最も高い。同じ号で取り上げられているXTC「ブラック・シー」は9点、10点、9点、7点でいかにもという感じではあるのだが、それはまあわりとどうでもよかったりする。それで、中村とうようのレヴューから分かることなのだが、「ファンタスティック」の日本盤には16ページの豪華カラー印刷解説書なるものがついていたらしく、つまりレーベルはかなり本気で売ろうとしていたことが分かる。

1983年といえば第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン真っ盛りで、イギリスのニュー・ウェイヴやシンセ・ポップのバンドやアーティストがアメリカのヒット・チャートでも大活躍していた。ところが、この頃のワム!のシングルはアメリカではそれほどヒットしていなく、最高で「バッド・ボーイズ」の60位であった。「ファンタスティック」の全米アルバム・チャートでの最高位は83位となっている。そして、アーティスト名からして、権利の関係からなのか、ワム!UKとなっていたりした。

日本ではプロモーションが熱心に行われていて、12月にはプロモーションのために14日間滞在し、そのうち休日は1日しかなかったという。フジテレビ系で土曜の深夜に放送されていた「オールナイトフジ」からは、現役女子大生のオールナイターズや、「お笑いスター誕生!!」でグランプリを獲得したものの、所属事務所とのトラブルなどもあってブレイクできずにいたお笑いコンビ、とんねるずなどが人気者になった。「オールナイトフジ」にとんねるずが初めて出演したのは1983年12月10日だったようなのだが、この時の映像は総集編などで流されることもあった。初々しいとんねるずの後ろには、おそらくプロモーションのために出演していたと思われるワム!の姿を発見することができる。

また、雑誌の「宝島」は後にヘアヌード雑誌になるなどして、いつの間にかなくなっていたが、この頃には「ビックリハウス」と並んで、日本のサブカル少年少女にとってのバイブル的な存在であった。その中で、一般人の女性が好き勝手なことをただ言っているコーナーがあって、ワム!についてイメージがイモっぽくてむさ苦しいというようなニュアンスのことをいっていたような気がする。詳しくは覚えていないのだが、ワム!というよりはワキガがムッ!ていう感じだとか、そのようなことをいっていたと思う。

それで、1984年にはイギリスで「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」が大ヒットして、全英シングル・チャートにおいて初の1位に輝くわけだが、この間にレーベルを移籍するなどということがあったようである。続いて「ケアレス・ウィスパー」というバラードなのだが、これはジョージ・マイケルのソロ名義でイギリスではリリースされ、これも続けて1位になる。相変わらずアメリカではまったくヒットしていないのだが、日本ではそこそこ話題になっていて、秋には西城秀樹が「抱きしめてジルバ」、郷ひろみが「ケアレス・ウィスパー」のタイトルとそれぞれ別の日本語詞によってカバーすることになる。オリコン週間シングルランキングでの最高位はそれぞれ18位と20位であり、まあまあヒットした。

そうこうしているうちにアメリカでも「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」がリリースされ、初のヒット曲にしていきなり全米シングル・チャートで1位に輝いてしまう。イギリスでは、「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」の次にリリースされたシングル「フリーダム」も全英シングル・チャートで1位を記録していた。このような上り調子なグルーヴが感じられる状態で、イギリスでは「ラスト・クリスマス」がリリースされたわけである。2作目のアルバム「メイク・イット・ビッグ」に収録された「恋のかけひき」との両A面シングルとしてイギリスではリリースされたのだが、日本では「ラスト・クリスマス」がA面で、B面には「クレジット・カード・ベイビー」が収録されていた。

イギリスではクリスマスの週に全英シングル・チャートで1位であることに価値が認められていて、クリスマスNO.1などといってひじょうに盛り上がっているように思える。それで、この年のクリスマスNO.1はフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「パワー・オブ・ラブ(愛の救世主)」かワム!「ラスト・クリスマス」かといわれてもいたようなのだが、ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフとウルトラヴォックスのミッジ・ユーロによって書かれ、当時のイギリスの人気アーティスト達が多数参加したチャリティー・シングルがバンド・エイド「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」としてリリースされ、これが1位になったために「ラスト・クリスマス」は2位止まりに終わった。「パワー・オブ・ラヴ(愛の救世主)」は少し早めにリリースされていたので、クリスマスよりも前に全英シングル・チャートで1位にはなっていた。

バンド・エイド「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」には、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージ、デュラン・デュランのサイモン・ル・ボン、ポリスのスティング、U2のボーノらと共に、ジョージ・マイケルも参加してソロ・パートも歌っていた。このシングルの目的はアフリカの飢饉を救うことだったのだが、ワム!もこの趣旨に賛同していて、「ラスト・クリスマス」の売り上げによる収益はしかるべき団体に寄付されたのであった。

この年の全英シングル・チャートにおいてジョージ・マイケルは、「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「フリーダム」でワム!、「ケアレス・ウィスパー」でジョージ・マイケル、「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」でバンド・エイドと、1年で3つの名義で1位を記録したことになる。

アメリカでは「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」に続いて、次には「ケアレス・ウィスパー」をヒットさせようとしていたので、「ラスト・クリスマス」は発売されていなかった。「ケアレス・ウィスパー」のアーティスト名はイギリスではジョージ・マイケルとなっていたのだが、アメリカではワム!フィーチャリング・ジョージ・マイケルであった。これも続けて全米シングル・チャートで1位に輝き、この次にはイギリスでは「ラスト・クリスマス」との両A面シングルとしてリリースされていた「恋のかけひき」をシングル・カットして、これもまた全米シングル・チャートで1位になっていた。

「ラスト・クリスマス」はワム!の2人がジョージ・マイケルの実家を訪れた時に、ジョージ・マイケルがかつて自分が過ごしていた部屋で約1時間で書き上げたらしい。レコーディングは1984年の夏に行われたのだが、気分を出すためにクリスマスの飾りつけをしたらしい。ポップでキャッチーなサウンドではあるのだが、昨年のクリスマスに失恋したということが歌われていて、切なくてほろ苦くもある上で、今年のクリスマスには希望をいだいていたりもする。ミュージックビデオはその内容に合ったようなものとなっていて、最後はハッピーエンドになっているのもとても良い。

リリース時にはバンド・エイド「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」に阻まれて、全英シングル・チャートで最高2位だった「ラスト・クリスマス」だが、チャートの集計方法がダウンロードやストリーミングをも含むようになってからは、クリスマスシーズンに毎年ランクインするようにもなっていた。そして、2020年のクリスマスシーズンが反映されたと思われる、2021年1月7日付の全英シングル・チャートにおいては、発売から約36年後にしてついに1位に輝いたのだった。