ザ・ストーン・ローゼズ「ザ・ストーン・ローゼズ」

ザ・ストーン・ローゼズのデビュー・アルバム「ザ・ストーン・ローゼズ」は、1989年5月2日にリリースされた。当時、日本では「石と薔薇」という邦題でも知られていたのだが、いつの間にか邦題も「ザ・ストーン・ローゼズ」になっていた。ストーンとローズだから「石と薔薇」というのはほぼそのままなのだが、「ロッキング・オン」あたりでひじょうに話題になっていた頃、ローリング・ストーンズとガンズ・アンド・ローゼズを混ぜ合わせたような名前だなと思ったりもしたのだが、ザ・ストーン・ローゼズの結成は1983年ということであり、ガンズ・アンド・ローゼズがブレイクするよりもずっと前だったということが分かる。

2022年5月現在、このアルバムはポップ・ミュージック史上最も優れたアルバムのリストなどでも上位に挙げられがちであり、特にイギリスのメディアにおいてはその傾向が強い。しかし、リリース当時、一部のメディアなどでは絶賛されていたものの、一般的にはそれほどでもなかったといえる。とはいえ、ほとんど知られていなかったというわけではまったくなく、実際にイギリスのインディー・ロックを中心に取り上げるメディアではかなり大きく扱われていて、全英アルバム・チャートでは32位に初登場している。しかし、同じくマンチェスター出身の人気インディー・ロック・バンドであるザ・スミスのデビュー・アルバム「ザ・スミス」が全英アルバム・チャートで最高2位、オアシスのデビュー・アルバム「オアシス(Definitely Maybe)」が初登場1位だったことなどと比較すると、最初からものすごく売れていたわけではない、ということがよく分かる。

1989年というと、ポップ・ミュージックはサウンド面においてどんどん新しく進化していくものと信じられてもいて、そこにひじょうに重きをおいている人たちも少なくはなかった。その最先端だったのがヒップホップやハウス・ミュージック、あるいはワールド・ミュージックなどだったわけであり、ロックはすでに時代遅れであるというような認識が一部ではまかり通ってもいた。純粋にその音楽が良いかどうかということ以前に、サウンドとして新しくて刺激的であるかが重要視されるというか、そのような価値判断もわりとなされていた。

イギリスのマンチェスターにあるハシエンダというクラブが中心になっているようなのだが、どうやらイギリスではマッドチェスターというムーヴメントが盛り上がっているようだ、というような話はなんとなく伝わっていて、その中心になっているのがザ・ストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズ、インスパイラル・カーペッツなどだという。エクスタシーというスマート・ドラッグの流行も影響していたというのだが、クラブ・カルチャーはインディー・ロックをやっているようんじゃ人たちにまで広がり、そのうちインディー・ロックにダンス・ビートを取り入れた、インディー・ダンスなどともいわれる音楽が流行りはじめる。

そういった情報だけは入ってくるのだが、現在のようにインターネットが普及しているわけでもなかったので、実際に音を聴くまでには少し時間を要した。イギリスではマッドチェスター・ムーヴメントがさらに盛り上がりを見せ、「ザ・ストーン・ローゼズ」がリリースされた約半年後にあたる1989年11月に、人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」にザ・ストーン・ローゼズとハッピー・マンデーズが出演したりもした。ハッピー・マンデーズは「マッドチェスター・レイヴ・オン」EPから「ハレルヤ」、ザ・ストーンローゼズはニュー・シングルである「フールズ・ゴールド」をパフォーマンスした。

「フールズ・ゴールド」はジェームス・ブラウン「ファンキー・ドラマー」のビートを使用した、インディー・ダンスでマッドチェスター的な楽曲であり、全英シングル・チャートで最高8位のヒットを記録した。「ザ・ストーン・ローゼズ」も全英アルバム・チャートを再浮上して、最高位を19位に更新したのであった。1990年にはハッピー・マンデーズ「ステップ・オン」やインスパイラル・カーペッツ「ディス・イズ・ハウ・イット・フィールズ」といったヒットも生まれ、マッドチェスター・ムーヴメントやインディー・ダンス的な音楽はますますメインストリーム化していく。流行りもの好きのミーハーな音楽ファンも注目しはじめ、そのシーンの中で最も重要なバンドのデビュー・アルバムということで、「ザ・ストーン・ローゼズ」を手に取ることになる。ポップアート的でレモンもあしらわれたジャケットアートワークも、なかなか良い感じである。

しかし、そこで面食らうのだが、インディー・ダンスやマッドチェスター的な曲が、実はこのアルバムにはほとんど収録されていない。この手の楽曲の真骨頂的な「フールズ・ゴールド」もいまや当然のようにアルバムの最後に収録されているのだが、当初は収録されていなく、後にボーナストラック的に追加されている場合もある、という感じであった。

1989年当時の表面的なサウンドの新しさだけでその音楽を判定するタイプの音楽リスナーにとっては、それはただのインディー・ロックにしか聴こえず、何が新しいのかがまったく分からなかったりもする。実はとても優れたインディー・ロックであるのみならず、ポップ・ミュージックでもあるのだが、それが分かるレベルにまでは達していないし、時代の風潮としてもこれを正当に評価することを困難にするようなところがあったようにも思える。

ところが、たとえば地方都市のテレビでザ・ストーン・ローゼズのビデオを見て、素直に最高だと思い、胸をときめかせていた女子高生というのも現実的にはいて、その後でVJ(ビデオ・ジョッキー)が、こんなのが本当に売れるんですかね、などと言っていたことにショックを受け、少し落ち込んだというような話は実際に耳にしている。

とはいえ、個人的にもこのアルバムのことが当初はよく分からずに、それゆえにUKインディー・ロック村のようなものがハイプで持ち上げた結果、盛り上がっているだけだろうということにして、なんとなく安心していた。それで、「ザ・ストーン・ローゼズ」のCDは渋谷のレコファンで売った。まだ東急ハンズの近くの、FRISCOと同じビルに入っていた頃である。

ザ・ストーン・ローゼズは1990年にシングル「ワン・ラヴ」によって、全英シングル・チャートで最高4位のヒットを記録するのだが、その後はレーベルとの契約上のいざこざなどもあって、しばらく新作を出さなくなった。そのうちにマッドチェスター・ムーヴメントは衰退するのだが、その後にアメリカはシアトル出身のオルタナティヴ・ロック・バンド、ニルヴァーナがアルバム「ネヴァーマインド」でメジャーにブレイクし、グランジ・ロックと呼ばれる陰鬱なロックをメインストリームのトレンドにする。イギリスではこれに対する反動でもあるかのように、ブリットポップと呼ばれるムーヴメントが起こり、インディー・ロック・バンドが次々と全英シングル・チャートの上位にランクインした。こうして、ギターを主体としたインディー・ロックがメインストリームになっていったのだが、そこから「ザ・ストーン・ローゼズ」を振り返った場合、やっと正当な評価が一般的にもされるようになったかもしれない。その後、何度か再発される中で、2004年には9位、発売20周年にあたる2009年には5位と、全英アルバム・チャートでの最高位を上げている。

60年代のフォーク・ロックのような音楽性に新しさが感じられないとか、イアン・ブラウンボーカルが弱すぎるのではないかとか、当時、いろいろなことがいわれていたりもしたし、個人的にもそれに似た感想をいだいていたところもある。輪郭があいまいでつかみどころがない、というように感じられたりもしていたのだが、しばらく経ってからCDを買い直し、再び聴いてみるととにかく素晴らしく、どうしてこれが分からなかったのだろうと不可解でもあった。レモンのモチーフはかつてフランスの5月革命に参加した若者たちが、催涙ガスの痛みをやわらげるためにレモンを用いていたという話に由来している。

最高のラヴソングのように聴こえなくもない「シー・バングス・ザ・ドラムズ」における、過去はあなたのものだが、未来はわれわれのものだ、というようなフレーズがキラキラしたサウンドと共にあまりにも眩しすぎる。演奏力はインディー・ロック・バンドとしてはひじょうに高いクオリティーなのだが、イアン・ブラウンのボーカルにも繊細さが感じられてとても良い。この感じで「アイ・ウォナ・ビー・アドアード(リリース当時の邦題は「憧れられたい」)」「アイ・アム・ザ・レザレクション(同じく「僕の復活」)」といった、ビッグマウス的な内容を歌っているところに深い味わいがあり、このボーカル以外にはありえないようにも思えてくる。

いまやあたかもはじめからずっと気に入っていたかのような感じで、このアルバムをかなりの頻度で聴き返すことがあるが、初めはさっぱり分からなかったということは、なんとなく覚えていた方が良いような気もする。そして、少なくともイギリスのインディー・ロックというジャンルにおいては、ザ・スミス「クイーン・イズ・デッド」などと並んで、特に優れたアルバムであることには間違いがない。