The 500 Greatest Songs of All Time : 50-41

50. Nuthin’ but a ‘G’ Thang – Dr. Dre feat. Snoop Doggy Dogg (1992)

ドクター・ドレーのソロ・デビュー・アルバム「クロニック」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高2位、全英シングル・チャートで最高31位を記録した。

レオン・ヘイウッド「アイ・ウォンタ・ドゥー・サムシング・フリーキー・トゥ・ユー」をサンプリングし、スローでレイドバックしたサウンドが特徴である。こういったタイプの音楽はGファンクと呼ばれ、この曲のヒットをきっかけにメインストリームにも広がっていった。GファンクのGはギャングスタを表す。

この曲でフィーチャーされた新人ラッパー、スヌープ・ドギー・ドッグはアルバム「クロニック」収録のいくつかの参加して話題となり、デビュー・アルバム「ドギースタイル」は全米アルバム・チャートで1位に輝いた。

49. Doo Wop (That Thing) – Lauryn Hill (1998)

ローリン・ヒルのソロ・デビュー・アルバム「ミスエデュケーション」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートでは最高3位を記録した。

男女それぞれの若者に対し、恋愛や人生でしくじらないためのアドバイスを行うという内容になっているが、ローリン・ヒル自身の恋愛における様々な体験が反映しているともいわれる。

ミュージック・ビデオでは画面が分割され、1960年代のソウル・シンガー風と1990年代のヒップホップ的なローリン・ヒルが共にこの曲をパフォーマンスする。

48. Sympathy for the Devil – The Rolling Stones (1968)

ローリング・ストーンズのアルバム「べガーズ・バンケット」の1曲目に収録された曲で、シングルカットはされていないがひじょうに人気が高く、代表曲の1つともされる。邦題は「悪魔を憐れむ歌」である。

当初はフォークソング調だったというのだが、サンバ的なリズムとファルセットのコーラスが印象的である。悪魔崇拝的な歌詞が話題になったが、人間が持つダークな側面に焦点をあてただけであり、悪魔崇拝的な信仰はないと否定されている。

しかし、何やら不吉で不穏な予感を抱かされる楽曲であり、ローリング・ストーンズのフリーライブで観客が警備のヘルス・エンジェルスによって殺害された「オルタモントの悲劇」とも結びつけられがちである。

実際にこの曲は当日のライブで演奏されていたが、事件が起きたのは「アンダー・マイ・サム」の頃であった。これによって、「ウッドストック」などに見られる愛と平和的な理想主義のムードが消し飛んだともいわれている。

ローリング・ストーンズは1970年代半ばあたりまで、この曲をライブのセットリストから外すことになった。

47. Strange Fruit – Bilile Holiday (1939)

ビリー・ホリデイの歌唱で有名になった人種差別を告発するプロテストソングで、邦題は「奇妙な果実」である。

タイトルの「奇妙な果実」とはリンチされ殺害された死体が木に吊り下げられている様を表現したもので、その写真を見てショックを受けたユダヤ人教師、エイベル・ミーアポルが書いた詩がベースになっている。

ビリー・ホリデイがナイトクラブでこの曲を歌うようになると、大きな反響を得たのだが、所属レーベルのコロムビアはその内容から当初は発売を拒んでいたという。

46. Dreams – Fleetwood Mac (1977)

フリートウッド・マックのアルバム「噂」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートで最高24位を記録した。2020年にはTikTokで効果的に使われたことでリバイバルし、全米シングル・チャートで最高12位、全英シングル・チャートで最高35位を記録している。

当時、フリートウッド・マックはバンド内でカップルや夫婦が別れるなどして、いろいろしんどい状況にあったわけだが、楽曲でもそのことにふれられていて、しかもすごく売れまくったのであった。

アルバムからの先行シングル「オウン・ウェイ」はリンジー・バッキンガムが別れたスティーヴィー・ニックスにあてた楽曲で、全米シングル・チャートで最高10位を記録したのだが、次にシングルカットされたこの曲は逆にスティーヴィー・ニックスがリンジー・バッキンガムに向けて歌っている。

あなたは自由が欲しいと言うけれど、別れた後で失ったものに気づいて、寂しさでおかしくなる、というようなことを歌っている。これをお互いが同じバンドのメンバーとして一緒に歌ったり演奏していたというのだから、かなりすごい。

それはそうとしてとても良い曲であるのと、昨今は女性アーティストの活躍が目立つにつれ、スティーヴィー・ニックスの偉大さが再評価されがちな印象もある。

45. Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine – James Brown (1970)

ジェームス・ブラウンが1970年の夏にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで最高15位、全英シングル・チャートで最高32位を記録した。

ゴッドファーザー・オブ・ソウルなどとも呼ばれるジェームス・ブラウンの音楽はファンキーなサウンドとパワフルなシャウトが特徴であり、日本でもドリフターズの志村けんが「8時だョ!全員集合」の「少年少女合唱隊」のコーナーでテレビの前の子供たちが心待ちにしていた「東村山音頭」に影響を与えるなどしていた。

それにしてもタイトルにかなりすごくインパクトがあるのだが、日本では1980年代にソウル・ミュージックやR&Bの人気が高まるにつれ、若い世代のリスナーからもジェームス・ブラウンに対するリスペクトが強まっていったような印象がある。

この曲のシャウトの部分はカタカナで「ゲロッパ!」と表現されたり発声されたりすることもあるのだが、1993年に日清食品が「カップヌードル MISO」を発売した際には、ジェームス・ブラウン自身がテレビCMに登場し、「ミソッパ!」などとシャウトしていたことが思い出される。

44. Superstition – Stevie Wonder (1972)

スティーヴィー・ワンダーのアルバム「トーキング・ブック」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートでは最高11位を記録した。

リトル・スティーヴィー・ワンダー時代からのモータウン・ポップ的な路線から、よりクリエイティヴな音楽性に変化していく契機のような印象もある楽曲で、迷信を信じることの危険性などについて歌われている。

クラヴィネットという電気式のキーボードのサウンドが印象的であり、日本初のミリオンセラーアルバムとなった井上陽水「氷の世界」のタイトル曲にも影響を与えた。

43. Family Affair – Sly & The Family Stone (1971)

スライ&ザ・ファミリー・ストーンのアルバム「暴動」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで3週連続1位、全英シングル・チャートでは最高15位を記録した。

1968年以降、「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」「エヴリデイ・ピープル」「サンキュー」などヒット曲を次々と生み出していたスライ&ザ・ファミリー・ストーンだが、スライ・ストーンのドラッグ中毒などもあり、この頃にはバンドとして機能しなくなっていた。

この曲の演奏にもスライ・ストーン以外のメンバーはかかわっていないが、それもあって繰り返されるオーバーダビングやドラムマシンの導入など、ひじょうにユニークなサウンドになっている。

内容はタイトルの通りに、家庭の事情をテーマにしたものである。

42. A Change Is Gonna Come – Sam Cooke (1964)

サム・クックのアルバム「エイント・ザット・グッド・ニュース」からシングル「シェイク」のB面としてリリースされ、全米シングル・チャートで最高31位を記録した。

それまでのラヴソングやダンスをテーマにした楽曲とは異なり、社会問題をテーマにしているが、これはサム・クック自身がホテルで受けた人種差別的な扱いや当時の公民権運動の盛り上がり、ボブ・ディラン「風に吹かれて」などに影響を受けたものである。

当時、大きくヒットしてはいないが、人種差別に対するプロテストソングとして広く知られるようになった。この曲を収録したシングルが発売される少し前に、サム・クックはモーテルで射殺されている。

41. Strawberry Fields Forever – The Beatles (1967)

ビートルズのシングルとして「ペニー・レイン」との両A面でリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位、全米シングル・チャートで最高8位を記録した。

ジョン・レノンが幼い頃によく過ごしていたという救世軍の孤児院、ストロベリー・フィールズの記憶をモチーフにした楽曲である。

アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録される予定だったが、レーベルからの要望に応え、「ペニー・レイン」と共にシングルでリリースされた。

スタジオワークに凝りまくっていた頃の楽曲で、3つのバージョンをレコーディングしたうちの2つを繋ぎ合わせたりして完成している。

トッド・ラングレンがアルバム「誓いの明日」でわりと忠実にカバーしていたり、キャンディ・フリップのシンセポップ的なバージョンが1990年に全英シングル・チャートで最高3位を記録したり、RCサクセションが1986年にリリースしたライブ・アルバム「ティアーズ・オブ・クラウン」では「Sweet Soul Music」とのメドレーで歌われていたりする。