The 500 Greatest Songs of All Time : 450-441

450. A Whiter Shade of Pale – Procol Harum (1967)

イギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムのデビュー・シングルで、全英シングル・チャートでは6週連続1位の大ヒットを記録した。

バッハの管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」に似ているといわれたりもするオルガンのイントロが、なんといっても印象的である。日本では「青い影」の邦題で知られ、70年代前半にはディスコのチークタイムには欠かせない曲だったらしい。

また、ユーミンこと松任谷(荒井)由実はこの曲から強く影響を受けていて、カバー・バージョンを発表したりライブで共演したりもしている。

449. Steppin’ Out – Joe Jackson (1982)

ジョー・ジャクソンは1970年代後半にニュー・ウェイヴ的なアーティストとして注目され、シニカルなセンスがたまらなく良い「奴に気をつけろ」をヒットさせていたりもした。

1982年のアルバム「ナイト・アンド・デイ」はニューヨークを舞台にしていて、ジャズやラテンなどの要素も取り入れた都会的な感じが大いに受けていた。A面とB面がナイト・サイドとデイ・サイドに分かれているのもとても良かった。

ナイト・サイドの最後に収録されたこの曲は「夜の街へ」の邦題でも知られ、何事が起こるかもしれない夜のはじまりの気分がヴィヴィッドに表現されている。全米シングル・チャートでは最高6位のヒットを記録した。

448. Come On Eileen – Dexy’s Midnight Runners (1982)

ミュージックビデオが最近、YouTubeに公式的に上がってとても良かった。デュラン・デュランやカルチャー・クラブがアメリカのシングル・チャートでも上位にランクインするようになって、いよいよ第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンが本格的に盛り上がってきていたのだが、わりと早い段階で1位に輝いたのはデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ「カモン・アイリーン」であった。

ファッションセンスもなかなか独特であり、「ベストヒットUSA」でミュージックビデオを見ていてもひじょうにインパクトがあった。収録アルバムのタイトルは「Too-Rye-Ay」というこの曲の歌詞にも出てくるフレーズだったのだが、「女の泪はワザモンだ!!」というよく分からない邦題がつけられていた。

447. Summer in the City – The Lovin’ Spoonful (1966)

夏をテーマにしたポップソングというのはひじょうに数多いわけだが、ラヴィン・スプーンフルのこの全米NO.1ヒットはけして快適ではない昼間の感じと、まったく別世界であるかのような夜の素晴らしさのコントラストをうまく用いているところがユニークである。

街の喧騒を効果音として使用しているところもとても良い。個人的には80年代半ばに偶然、FEN(日本に駐在しているアメリカ軍の人たちを対象にしたラジオ局で、日本の洋楽ファンにもひじょうに人気があった)でこの曲を聴いて、とてもカッコいいと思っていたところ、夏休みに札幌の玉光堂で買った「NOW THE SUMMER ALBUM」という2枚組コンピレーション・アルバムに収録されていて、得した気分になったことが思い出される。

446. Setting Sun – The Chemical Brothers (1996)

90年代半ばにはブリットポップと呼ばれるイギリスのインディー・ロック・バンド達も大人気だったのだが、エレクトロニック・ミュージックもひじょうに盛り上がっていて、広くテクノと呼ばれてもいた。その中でもサブジャンルがいろいろあって、ケミカル・ブラザーズやファットボーイ・スリムはビッグ・ビートなどと呼ばれ、インディー・ロックファンにもわりと人気があった。

「セッティング・サン」はケミカル・ブラザーズの2作目のアルバム「ディグ・ユア・オウン・ホール」からの先行シングルで、初の全英NO.1ヒットでもある。人気も評価もピークだった頃のオアシスのノエル・ギャラガーがボーカリストとして参加していることも話題になった。

445. Private Eyes – Daryl Hall & John Oates (1981)

ダリル・ホール&ジョン・オーツのアルバム「プライベート・アイズ」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。

この曲によって英語で「プライベート・アイズ」というのは私立探偵のことなのだと知った中高生は結構いるのではないかと思われる。親しみやすいメロディーとダリル・ホールのブルー・アイド・ソウル的なボーカルとルックスの良さは日本の洋楽ファンにもかなり受けていたような記憶がある。ジョン・オーツの味のあるコーラスももちろんとても良い。

この曲を抜いて全米シングル・チャートで1位に輝いたのはオリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカル」だったのだが、その連続記録を阻止したのもまたしてもダリル・ホール&ジョン・オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」であった。

444. When I Think of You – Janet Jackson (1986)

ジャネット・ジャクソンはマイケル・ジャクソンの妹でもあり、後に大スターとなるわけだが、初めのうちのアルバムやシングルはあまりヒットしていなかった。プリンス人脈でもあるジミー・ジャム&テリー・ルイスがプロデュースしたアルバム「コントロール」から高く評価されはじめ、セールスも格段に伸びていった。

「恋するティーンエイジャー」「ナスティ」に続いて3枚目のシングルとしてカットされた「あなたを想うとき」でついに初の全米シングル・チャート1位に輝いた。キュートでキャッチーで適度にトレンディーでもある最高の80年代ポップスだといえる。

1986年の夏の終わりに佐野元春が表紙の「ロッキング・オンJAPAN」を買って、実家への帰省から小田急相模原のワンルームマンションに戻り、システムコンポでFM横浜をつけながらうたた寝をしていたのだが、この曲がかかったことにより生気を取り戻したことが思い出される。

明け方に踏み切りの近くの牛丼・かつ丼のどんどんによく食べにいっていた。日焼けしたアルバイトの女子高生が仕事中だというのに、しゃがみながら友達と電話をしていた。商店街のスピーカーからはサザンオールスターズ「バラッド ’77~’82」か久保田利伸「SHAKE IT PARADISE」が流れていた。

443. Savage Remix – Megan Thee Stallion (2020)

ミーガン・ジー・スタリオン、他にもカタカナで表記する場合には種類があるようだが、間違いなく2020年代を代表するアーティストの1人であろう。フェミニズムであったりポリティカル・コレクトネスというのはもちろん世界をより良くするものだと個人的には心底信じて疑っていないので、そういった意味でもとても重要なアーティストだと思える。

とはいえ、ポップ・ミュージックとは基本的に若者のものであった方が健全なのではないかというような思いもあって、その素晴らしさが同時代的にヴィヴィッドに感じられているかというと、もちろん限界があるしそれはそれで良いのではないかと思える。

同様に21世紀で最も重要なアーティストはおそらくケンドリック・ラマーかビヨンセではあるのだが、ビヨンセをフィーチャーしたこの「サヴェージ」のリミックス・バージョンはもちろんとても良い。

442. Goldfinger – Ash (1996)

90年代半ばのブリットポップ・ムーヴメントにおいて、オアシス、ブラー、スウェード、パルプのいわゆるビッグ4に続いて、スーパーグラス、アッシュ。ブルートーンズなどには次世代感があった。

アッシュといえば「ライフ・フロム・マーズ」が代表曲とされがちであり、それはまったくもって真っ当な感覚ではあるのだが、個人的に全英シングル・チャートで最高5位を記録したこの曲がかなり良いのではないかと感じてもいた。

そして、日曜夜のお楽しみ、FM TOKYO「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」でこの曲がかなりのお気に入りとして紹介されていたので、今後はアッシュの代表曲といえば「ゴールドフィンガー」であると堂々と言い続けていこうと心に決めたのであった。

441. For What It’s Worth – Buffalo Springfield (1966)

スティーヴン・スティルス、ニール・ヤング、リッチー・フューレイらによって結成されたが、メンバー間の対立によって約2年で解散したロックバンド、バッファロー・スプリングフィールドのヒット曲で、全米シングル・チャートで最高7位を記録した。

ウェスト・ハリウッドのサンセット・ストリップで開かれた若者たちによるデモを警察が暴力的に制圧したことに対する抗議の意味をこめて、スティーヴン・スティルスが作詞作曲した曲である。バッファロー・スプリングフィールドが出演していたナイトクラブ、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーで演奏するとすぐに話題になり、大ヒットにつながった。

すでに発売されていたデビュー・アルバム「バッファロー・スプリングフィールド」にも他の曲と差し替えてこの曲を収録し、再リリースすることになった。その後、広い意味でのプロテストソングとしても人々に知られていくようになったようだ。

個人的には「ローリング・ストーン」誌が監修したロックの歴史的なレーザー・ディスク(DVDよりもはるか以前に発売されていた光ディスクで、LPレコードぐらい大きかった。吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」の歌詞にも登場する)で見て聴いたのが最初だったと思う。