The 500 Greatest Songs of All Time : 390-381

390. The Boy with the Thorn in His Side – The Smiths (1985)

ザ・スミスが1985年の秋にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで最高23位を記録した。邦題は「心に茨を持つ少年」である。翌年のアルバム「クイーン・イズ・デッド」にはリミックスされたバージョンが収録された。

モリッシーによるとこの曲でいうところの「茨」というのは、自分たちのレコードを取り上げようともせず、追放しようとしている音楽業界のことらしい。モリッシーはザ・スミスの作品の中でもこの曲を特に気に入っていて、ソロアーティストになってからもライブのセットリストに入れることがある。

モリッシーのボーカルの特徴の1つである、ヨーデル的な唱法を曲の終盤で聴くことができるところもとても良い。

389. Young Americans – David Bowie (1975)

デヴィッド・ボウイのアルバム「ヤング・アメリカン」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高18位を記録した。

それまでのグラム・ロック的な音楽性から変化し、よりソウル・ミュージック的なアプローチが取られている。まだ無名だった頃のルーサー・ヴァンドロスがバッキングボーカルで参加し、レコーディングはフィラデルフィア・ソウルの本場、シグマ・サウンド・スタジオで行われている。

この曲には一部、ビートルズ「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」からの引用が含まれているが、アルバムではシングルカットされ全米シングル・チャートで1位に輝いた「フェイム」とビートルズ「アクロス・ザ・ユニヴァース」のカバーでジョン・レノンが参加している。

388. That Lady, Pts. 1 & 2 – The Isley Brothers (1973)

アイズレー・ブラザーズのアルバム「3 + 3」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高6位を記録した。

1964年のシングル「フーズ・ザット・レディ」をファンク・ソウル的にリメイクした楽曲であり、アーニー・アイズレーのギターはかつてアイズレー・ブラザーズのサポートアクトを務めてもいたジミ・ヘンドリックスから影響を受けている。

個人的にはまったく行きたくはなかったラスベガスへの研修旅行で自由時間に楽しみすぎて、最終日には名残り惜しいようなセンチメンタルな気分になっている時に、ホテルのロビーでこの曲が流れていた感じが思い出される。「ロックンロール!」などと叫びながら猛スピードで荒い運転をするタクシードライバーなどが本当にいて、とても楽しかった。

387. All Apologies – Nirvana (1993)

カート・コバーンが遺体で発見された時に、レコードプレイヤーにはR.E.M.「オートマティック・フォー・ザ・ピープル」が載っていたようなのだが、いわゆるグランジロック的な楽曲だけではなく、よりシンガー・ソングライター的なとても良い曲があれ以降に生み出されていた可能性は高いように思える。

ニルヴァーナのアルバム「イン・ユーテロ」収録され、カート・コバーンが亡くなってからシングルカットもされた「オール・アポロジーズ」などを聴くと、それがさらに強く感じられる。ライヴアルバム「MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク」に収録されたアコースティック・バージョンもとても良い。

386. Blank Space – Taylor Swift (2014)

テイラー・スウィフトのアルバム「1989」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで7週連続1位の大ヒットを記録した。

初期のカントリー・ポップ的な音楽性から少しずつメインストリームのポップス寄りになっていくにつれ、人気も高まっていったような印象があるが、「1989」においてはシンセ・ポップなど80年代的なサウンドを取り入れてインディー・ロック的なリスナーや批評家からも高評価を得た。

テイラー・スウィフトが嫉妬に狂う女性を演じたミュージック・ビデオも素晴らしく、MTVビデオ・ミュージック・アワードで最優秀ポップビデオ賞と最優秀女性ビデオ賞を受賞していた。

385. Sexy Boy – Air (1998)

AIRといえば日本では元BAKU、Spiral Lifeの車谷浩司によるソロユニットのイメージがあったが、こちらはエアーではなくエールと読み、フランスのエレクトロニック・ミュージック・ユニットである。デビュー・アルバム「ムーン・サファリ」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高13位を記録した。

アニメーションを効果的に用いたミュージック・ビデオも玩具のサルが大活躍するなど、なかなかユニークでスタイリッシュなものであった。この年のはじめはエール「ムーン・サファリ」とイアン・ブラウン「アンフィニッシュト・モンキー・ビジネス」ぐらいしか新作を買っていなく、これらを繰り返し聴いていた記憶がある。関東地方にも大雪が降って、大宮で泣きながら雪かきをしていたような気がする。

個人的に「SEXY BOY」といえば、「ちまたでうわさのセクシー上上(うえうえ)」でお馴染みモーニング娘。「SEXY BOY~そよ風に寄り添って」の方が思い入れが強いことは明白だが(ミュージック・ビデオの最後、全メンバーが静止しているところで道重さゆみだけがうさちゃんピースをやっているところも注目したいところである)、エールの「SEXY BOY」ももちろんとても良い。

384. Ice Hockey Hair – Super Furry Animals (1998)

クリエイション・レコーズ所属アーティストの中でも、ものすごくヒットしまくったわけでもないのだが、批評家などから高く評価されがちだったのが、ウェールズ出身のスーパー・ファーリー・アニマルズである。デビュー・アルバム「ファジー・ロジック」から3作目の「ゲリラ」までいずれも「NME」のアルバム・レヴューで9点だったような気がする。

「アイス・ホッケー・ヘアー」を収録したEPは2作目のアルバム「ラジエイター」と「ゲリラ」の間にリリースされ、全英シングル・チャートで最高12位を記録した。タイトルはマレットというあまりイケてはいないとされている髪型に由来しているという。

やりすぎなぐらいポップでキャッチーな楽曲というのがコンセプトだったようだが、とても味わい深い仕上がりになっているといえる。

383. Freak Scene – Dinosaur Jr. (1988)

アメリカのオルタナティヴ・ロック・バンド、ダイナソーJr.の代表曲で、無気力が特徴であるスラッカー世代のアンセムとしても知られる。やる気のなさそうなボーカルとラウドでノイジーだがキャッチーな音楽性が特徴である。これらが少しずつ盛り上がっていったからこそ、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の大ヒットによるオルタナティヴ・ロックのメインストリーム化も実現したということができる。

「ロッキング・オン」でこれらラウドでノイジーなアメリカのオルタナティヴ・ロックは「殺伐系」などとも呼ばれていて、世間一般的にはまだそれほどメジャーではなかったニルヴァーナ「ネヴァーマインド」のレヴューに付いたタイトルは「売れそな殺伐」というものだったような気がする。

ダイナソー・Jr.のJ・マスシスはピクシーズのブラック・フランシスと共にひじょうにキャラクターが立っていて、スラッカー的なイメージで知られているが、実は歯科医の息子で金持ちなのではないか、というようなことが取りざたされてもいた。

個人的に80年代の洋楽の雑誌といえば「ロッキング・オン」一択であり、「ミュージック・ライフ」などは一度も買ったことがないわけだが、それだけに同世代でありながら「ミュージック・ライフ」派のお話を聴くこともできるFM TOKYO「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」は毎週とても楽しく聴かせていただいている。

382. House of Jealous Lovers – The Rapture (2002)

ザ・ラプチャーのアルバム「エコーズ」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高27位を記録した。

当時、最先端のイメージが強かったニューヨークのDFAレコーズからリリースされていた。ポスト・パンク、ニュー・ウェイヴ的な緊張感もありながら、ダンサブルな音楽性が特徴であり、タイトルが激しくシャウトされるところもテンションが高くてとても良い。

381. Enter Sandman – Metallica (1991)

メタリカのアルバム「メタリカ」、ジャケットアートワークが真っ黒であることから通称「ブラック・アルバム」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高16位を記録した。

80年代にはなぜかパンク/ニュー・ウェイヴとヘヴィーメタル/ハード・ロックというのは色々な意味で相容れないという印象がひじょうに強くあったのだが、そのうちアメリカのラウドでヘヴィーなオルタナティヴ・ロックが人気になったり、パブリック・エナミーがアンスラックスとコラボレーションしたりで、ヘヴィーメタル/ハード・ロックもそれほど悪くはないのではないかというような気分になっていった。

特にこのメタリカの「ブラック・アルバム」こと「メタリカ」などはCDも買って、わりとノリノリで聴いていたものである。当時、個人的に毎週つけていた好きな曲トップ40のチャートでは、この曲と種ともこのレゲエ的なラヴソング「おきてよダーリン」が1位を争い、我ながら節操がなくて最高だなと悦に入っていたことが思い出される。