邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:50-41

50. 微笑がえし/キャンディーズ (1978)

キャンディーズが活動期間中としては最後にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングや「ザ・ベストテン」で最初で最後の1位に輝いた。

グループのキャラクターに合わせてか実質的なラストシングルとはいえ、それほど湿っぽくはならずあくまでポップでキャッチーなのだが、歌詞にちりばめられたこれまでのヒット曲たちのタイトルや歌詞のフレーズ、明るく分かれてそれぞれの道を歩いていくカップルという設定がキャンディーズとファンとの関係性とのダブルミーニングになっている点、そしてとどめは「おかしくって涙が出そう」というフレーズで号泣必至である。

レコーディングでOKが出た瞬間に、そこにいた全員が泣いたというエピソードにも納得できる。解散コンサートでは「皆さんが1位にしてくださった曲」という紹介と共に歌われ、ラストソング「つばさ」の間奏時にはあの「本当に私たちは幸せでした」という言葉が発せられた。

49. My Revolution/渡辺美里 (1986)

渡辺美里の4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、1986年の年間シングルランキングでは、石井明美「CHA-CHA-CHA」、中森明菜「DESIRE -情熱-」、少年隊「仮面舞踏会」、KUWATA BAND「BAN BAN BAN」に次ぐ5位にランクインした。「ザ・ベストテン」では最高4位であった。

中森明夫が「宝島」に連載していた「東京トンガリキッズ」で、渡辺美里のことを音楽的にはヤマハ系だが、顔がニュー・ウェイヴっぽいので良いというようなことを確か書いていて、激しく同意したことが思い出される。個人的にはとにかく顔が好きであり、その優等生的な雰囲気にも同学年とおいこともあり、不真面目な態度を取って叱られたい的な気持ちの悪いことを感じて好ましく思っていた記憶がある。

それはそうとして、当時、楽曲そのものはそれほど気に入っていなかったのだが、「コーセー化粧品 歌謡ベスト10」で宮川泰先生が絶賛していたように、これはかなり画期的な曲だったのだろう。TM NETWORKのメンバーで、後にTKサウンドで一世を風靡する小室哲哉が職業作曲家としてヒットさせた、わりと初期の楽曲だともいえる。

イントロが流れた瞬間に、当時の空気感のようなものが一気に甦ってくるような感じも最高すぎる。

48. スローバラード/RCサクセション (1976)

RCサクセションのアルバム「シングル・マン」から先行シングルとしてリリースされたものの、当時はほとんど売れなかったらしい。

1970年代初めにフォークバンドとして注目されるものの、その後、マネージャーの独立騒動に巻き込まれるなどして、業界を干されていたらしい。その後、1980年代初めにロックバンドとして華麗なる復活を遂げるのだが、私たち世代がリアルタイムで知っていて夢中になったのは、その後のことである。

音楽評論家の吉見佑子さんなどが「シングル・マン」のような名盤が廃盤になっている状況はおかしいと、再発運動を行っているのを「オリコン・ウィークリー」か何かで見ていたような気がする。その後、気になっていた悪そうな女子がRCサクセションのファンだったので、自分自身もまんまと聴くことになり、見事にハマってしまうわけだが、この「スローバラード」にはとても人気があり、ライブでも定番曲になっていた。

好きな女の子と市営グラウンドの駐車場に停めた車の中で寝て、カーラジオからスローバラードが流れ、悪い予感のかけらもない、という状況にどれだけ憧れたことだろうか。結局のところ、そのようなシチュエーションは自分には訪れず、今後も訪れる予感のかけらもないのだが、これは史上最も美しいラヴソングの1つなのではないかと信じて疑わないのである。

47. み空/金延幸子 (1972)

金延幸子のデビューアルバム「み空」のタイトルトラックで、A面の1曲目に収録されている。

関西のアングラフォークシーンから登場したシンガー・ソングライターだということだが、その音楽性は洋楽的であり、当時は日本のジョニ・ミッチェルなどとも呼ばれていたらしい。

1990年代に小沢健二が自身のライブのSEとしてこの曲を流したことによって、「渋谷系」以降の新しい世代のリスナーたちにも知られるようになっていった。

46. 頬に夜の灯/吉田美奈子 (1982)

吉田美奈子のアルバム「LIGHT’N UP」の収録曲で、特にシングルでリリースされたりはしていないのだが、いまやシティ・ポップの名曲として知られる。

個人的に当時は高校1年生なので、旭川だったとはいえリアルタイムのポップ・ミュージックを女子にモテたいがために全力でリサーチしていたのだが、この曲にまでは届いていなかった。それで、完全な後追いで聴いたのだが、確かに当時はこんな感じだったとわりと合点がいったのであった。アーバンでシティ感覚のポップソングのサンプルとして、これほどふさわしい楽曲も他にはなかなかないのではないだろうか。

山下達郎「FOR YOU」、佐野元春「SOMEDAY」、サザンオールスターズ「NUDE MAN」などが売れて、中森明菜、小泉今日子、早見優などいわゆる「花の82年組」がデビューした年のことである。

45. RIDE ON TIME/山下達郎 (1980)

山下達郎の6枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した。

自身が出演したマクセルUDカセットテープのCMソングでもあり、お茶の間にこのシティ・ポップ的な音楽がガンガン流れまくっていた。時は80年代が幕を開けたばかりで、テクノポップやアイドルポップス、MANZAIといったライトでキャッチーなものを時代が求めはじめているような感覚もあった。

そのような背景で、シティ・ポップも着々とお茶の間化を進めつつあったということである。

44. 都会/大貫妙子 (1977)

大貫妙子のアルバム「SUNSHOWER」収録曲で、当時はシングルカットされていなかったが、シティ・ポップの名曲として広く知られるようになる。

シティ・ポップといえば都会を魅力的なものとして描きがちなのだが、この曲についていうならば、ソウル・ミュージック的なトラックにのせて、「値打ちもない華やかさに包まれ 夜明けまで付き合うというの」「その日暮らしは止めて 家へ帰ろう一緒に」などと批評的に表現されているところが特徴である。

2014年に放送されたバラエティ番組「Youは何しに日本へ?」で「SUNSHOWER」のアナログ盤を探しにアメリカからやって来た若者が取り上げられたことにより、日本のシティ・ポップの海外での人気を象徴するアルバムとして知られるようになった。

43. 白日/King Gnu (2019)

King Gnuによる配信限定シングルで、オリコン週間ストリーミングランキングで1位、2019年の年間ストリーミングランキングで3位にランクインする大ヒットとなった。

テレビドラマ「イノセンス 冤罪弁護士」の主題歌として書き下ろされたという背景もあり、人生において経験する理不尽や、それでも前を向いて生きていくことなど、重いテーマが扱われている。

ポップソングとしての強度がすさまじいのと同時に、クールでスタイリッシュにも聴こえながら、そこに込められたエモーションの質量がすごい。これぞモダン・クラシックというやつであろう。

42. 9月の海はクラゲの海/ムーンライダーズ (1986)

ムーンライダーズのアルバム「DON’T TRUST OVER THIRTY」の収録曲である。

名前はよく聴くし、日本のポップ・ミュージック史においてかなり重要そうであり、しかも現在もクオリティーの高い新作を出し続けているバンドなのだが、一体、代表作はどれなのだとか、何から聴くのが正解なのだろうか、というようなことがなかなか分かりにくいような印象もある。

結成10周年を記念するアルバムで、30歳以上を信じるなというタイトルでありながら、この頃、中心メンバーの鈴木慶一はすでに35歳である。そして、パール兄弟のサエキけんぞうが作詞をしたこの曲は、ひねくれているように見せかけて、最もピュアなラヴソングの1つである。

「君のことなにも知らないよ 君のことすべて感じてる」「僕のことなにも話さずに 僕のこと全部伝えたい」「あまりにも君が気になって そのくせいつも傷つける」「子供みたいに愛しても 大人みたいに許したい」などと一般的に大人と見なされる年代の人たちが歌っているこの曲を個人的にとても大切に感じているし、できることならばこれに共感せずにはいられない心を失わないまま死にたいと強く願う。

41. 風になりたい/THE BOOM (1995)

THE BOOMの16枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高19位を記録した。

初期にはビートパンク的な音楽をやるよくある若手ロックバンド的なイメージだったのだが、この頃にはサンバを導入したユニークな日本のポップ・ミュージックを奏でる存在となっていた。

サウダージ的な切なさと同時に生命力をも感じさせてくれるとても良い曲で、後にいろいろな人たちによってカバーもされていた。

個人的には幡ヶ谷のカラオケボックスで後に妻になる人がこの曲を歌っているバックで、様々な楽器を演奏しているようなポーズをしながら練り歩いていた土曜の夜が懐かしく思い出される。