邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:390-381

390. お嫁においで/加山雄三(1966)

「若大将」のニックネームで知られる大スター、加山雄三が1966年にリリースしたヒット曲で、この曲をモチーフにした映画も制作された。作曲の弾厚作は加山雄三のペンネームであり、日本のシンガー・ソングライターの先がけ的存在でもあったということができる。

編曲と演奏は日本にハワイアンブームを巻き起こすきっかけもつくった大橋節夫であり、ポップでキャッチーでありながらわりと本格的にハワイアンなラヴソングとなっている。大ベテランのビッグスターであるにもかかわらず、若手ロックアーティストやラッパーたちをリスペクトし、一緒にフェスに参加したり、2015年にはPANPEEとのコラボレーションで「お嫁においで 2015」をリリースしたりしていたが、2022年いっぱいで歌手として人前で歌うことから引退している。

389. ELASTIC GIRL/カヒミ・カリィ(1995)

カヒミ・カリィのミニアルバム「My First Karie」の1曲目に収録されている曲である。「渋谷系」の歌姫的存在であり、この頃は複数のレーベルから作品をリリースしていた。ウィスパー・ボイスのボーカルとインディー・ロックやフレンチ・ポップから影響を受けた音楽性が特徴である。

1996年には森永製菓のチューイングソフトキャンディ、ハイチュウのCMに出演したり、国民的大人気テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のテーマソング「ハミングがきこえる」を歌うなどして、「渋谷系」と日本のメインストリームが最も接近していたかもしれない頃を懐かしく思い出させるが、その後、パリに移住して、とりマイペースな活動にシフトしていったような気がする。

個人的にはカヒミ・カリィのことを完全にアイドル視していた頃があり、雑誌の切り抜きやチラシなどを集めたりもしていた。そのごく一部をいまだに保管している。ユニークなアーティスト名は、フリッパーズ・ギターの映像作品「The Lost Pictures~それゆけスリッパーズ!!名画危機一髪~」のエンドロールで確認することができる本名のアナグラムである。

388. CHE.R.RY/YUI(2007)

福岡県出身のシンガー・ソングライター、YUIの8枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。いわゆる「桜ソング」のうちの1つであり、au by KDDIの音楽配信サービス、LISMOのキャンペーンソングであった。スマートフォンはまだ普及していなく、いわゆる後にガラケーと呼ばれる携帯電話の時代である。

「絵文字は苦手だった だけどキミからだったらワクワクしちゃう」「返事はすぐにしちゃダメだって 誰かに聞いたことあるけど かけひきなんて出来ないの」といった歌詞がヴィヴィッドに表現するガラケー感覚が、エヴァーグリーンなラヴソングとして結実した(「甘くなる果実がいいの 何気ない会話から育てたい)素晴らしい楽曲である。「恋しちゃったんだ 胸がキュンとせまくなる」という言い回しも天才的である。

そのアイドル的でもあるルックスもあいまって大人気アーティストとなるが、そもそもは路上ライブ出身である本人の志向性とパブリックイメージとの間にギャップが生じたことなどもあり、2012年でYUIとしての活動を休止、その後はよりマイペースな活動を行っている。

387. 帰って来たヨッパライ/ザ・フォーク・クルセダーズ(1967)

ザ・フォーク・クルセダーズの大ヒット曲で、オリコン週間シングルランキングで1位、1968年の年間シングルランキングでは千昌夫「星影のワルツ」に次ぐ2位を記録した。

テープ早回しによるコミカルなボーカルと、交通事故に遭い、亡くなってしまったのだが、天国から追い返され生き返るという内容の歌詞が特徴である。コミックソングというかノベルティーソングのような曲なのだが、当時はアングラ・フォークとして大いに受けていたようだ。

当時、小さな子供でもなんだか面白い曲としてなんとなく知っていた。後奏では般若心経をを読経していた僧侶がビートルズ「ハード・デイズ・ナイト」を歌いはじめ、そこにベートーヴェン「エリーゼのために」を奏でるピアノが重なるという、なかなかユニークな展開になったりもしている。

幼少期のかなりぼんやりとした記憶の中で、母に連れられて訪れた誰かの家の2階の子供部屋で、白い服を着たきれいなお姉さんに、この曲が録音されたテープを聴かされたような気がする。

386. TVの国からキラキラ/松本伊代(1982)

松本伊代は1981年10月21日にシングル「センチメンタル・ジャーニー」でデビューしたアイドル歌手で、中森明菜、小泉今日子、早見優などと共に、いわゆる「花の82年組」とされる。この曲は3枚目のシングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高15位、「ザ・ベストテン」では最高9位を記録した。

作詞は当時、時代の寵児的な存在であったコピーライターの糸井重里であり、その関係からか雑誌「ビックリハウス」に連載されていた「ヘンタイよいこ新聞」が単行本化された際には松本伊代もコメントを寄せ、しかも内容に沿ったネタを真面目に提供していた。

大塚食品の即席カレー「ファイブスター」のテレビCMでラッキョウが転ぶのを見て笑うという設定のものがあったのだが、ガラスを引っ掻く音をずっと聞かされ続けているうちに、やがてそれが快感に変わっていくような良さを感じた。「カンニングさえサラサラ」というフレーズの俗っぽさや、「ねえ 君ってキラキラ」というセリフなど、これこそが完璧なポップ感覚にかなり近いのではないかと思わされもしたのだが、日本の一般大衆の心をつかみきるには湿っぽさが足りなかったかもしれない。

個人的に80年代前半の松本伊代のポップスはきわめて表層的で内面的なことを歌った曲ももちろんあるのだが、そうすればするほどプラスティックな本質が浮き彫りになっていくような1つのアートフォームとして実に美しかったと思ったりもするのである。

385. モニカ/吉川晃司(1985)

吉川晃司のデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位、「ザ・ベストテン」では最高2位を記録した。

80年代に入ってから田原俊彦、松田聖子のブレイクをきっかけにフレッシュアイドルが歌うポップスが再びヒットチャートを席巻するようになり、いわゆる「花の82年組」の何人かがベストテン番組の常連化するに至って、その傾向にはさらに拍車がかかった。男性アイドルでは田原俊彦に続いて、同じくジャニーズ事務所の近藤真彦、シブがき隊がレコードデビューしてブレイク、「たのきんトリオ」の野村義男が率いるロックバンド、THE GOOD-BYEも人気を得るのだが、1984年に特に目立ったのはチェッカーズと吉川晃司という、それまでの男性アイドル像とは毛色が異なる人たちであった。

吉川晃司については水球という一般的にはそれほどメジャーではないスポーツでなかなかすごい成績を残していたことや、バク転ができることなどが話題になった。音楽的には佐野元春に強い影響を受けているということだったが、このデビュー曲は矢沢永吉のバックバンド出身のNOBODYによって提供されていた。

日本語の歌詞のメロディーへの乗せ方が独特であり、それが音としての快感をもたらしているようなところもあった。男性アイドル的な受け方もしていたのだが、よりアーティスティックが志向性は明白であり、男性からもわりと支持されていた印象がある。間奏のいかにも80年代的なサックスも最高である。

384. One Night Carnival/氣志團(2002)

ヤンキーとパンクをかけ合わせたヤンク・ロックバンド、氣志團のデビュー・シングルで、オリコン週間シングルランキングではインディーズ盤が最高20位、メジャーデビュー盤が最高7位のヒットを記録した。インディーズ盤の方にはアルバイト仲間だったフジファブリックの志村正彦がコーラスで参加している。

タイトルは1979年に出版された暴走族、ブラックエンペラーの写真集に由来する。1980年代初めあたり、暴走族の写真集がベストセラー化する現象というのが実際にあり、旭川のブックス平和あたりでも親の前でカッコをつけながら暴走族の写真集を買ってもらっている男子中学生を見たことがある。

氣志團のヤンク・ロックはヤンキー文化をポストモダン的に再構築したようなものであり、尾崎豊「卒業」「I LOVE YOU」、紅麗威甦「On the Machine(翔と桃子のロックンロール)」、あるいは、円広志「夢想花」、THE ALFEE「星空のディスタンス」、ローリング・ストーンズ「悪魔を憐れむ歌」などを思わせるところもあり、リーゼントにサングラス、ガクラン姿で踊られる振り付けはパラパラのようでもある。

激しくポップでキャッチーである上にわりとハイコンテクストで、文化系音楽ファンが軽視しがちだが、実は日本におけるメインストリーム的な価値観かもしれないヤンキー気質をポップ・カルチャーしているところなどもとても良い。

383. リンゴの唄/並木路子(1946)

日本が第二次世界大戦で敗戦してから最初の映画だといわれる「そよかぜ」の挿入歌で、主演した並木路子によって歌われている。当時は客にリンゴを配るパフォーマンスなども行われたり、戦後の暗い世の中に希望をあたえた楽曲などともいわれがちである。

並木路子は戦争で父親と兄、東京大空襲で母親を亡くすなど、ひじょうにヘヴィーな状況下にあったのだが、気丈にもこの明るい歌声でレコーディングを行った。映画「そよかぜ」にはこの曲をバックグラウンドとした、まるで後のプロモーションビデオのひな型なのではないかと思えるような場面もある。

382. わがまま 気のまま 愛のジョーク/モーニング娘。(2013)

モーニング娘。の54枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。この頃には音楽的にはEDM、パフォーマンスではフォーメーションダンスを取り入れ、実はなかなかレベルが高いことをやっていると、わりと評価されがちであり、田中れいなが卒業し、道重さゆみがリーダーでありながら、唯一の最も先輩のメンバーとなってから最初のシングルでもあった。

あれだけ唱割がなかなかもらえなかった時期を経て、道重さゆみの歌声がわりとたくさん収録されているところがとても良い。「愛はきっと罪深い」のところのメロディーが切なくもかなり良く、続いて「愛されたい 愛されたい」のところはライブではファンが歌うことになっていてとても盛り上がるのだが、その後の「愛されたい」をたとえば佐藤優樹などのメンバーがエモーショナルに歌うところなどにはカタルシスさえ感じる。メンバー同士が向かい合い、頬を張る振り付けはイモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」にインスパイアされている。

381. STEADY/SPEED(1996)

SPEEDの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、ミリオンセラーを記録した大ヒット曲である。沖縄県出身の当時は全員が10代の4人組ダンス&ボーカルグループだったが、わりと大人な内容の曲も歌っているのではないか、というような感じもあった。パフォーマンススキルもなかなか高いと見なされていた。

R&Bの要素を取り入れたサウンドは、当時の10代の危うくもリアルなストリート感覚とでもいうべきものを、ヴィヴィッドにあらわしているようにも思える。この後、日本の社会が直面せざるをえない深刻な現実を、あたかも危険な兆しとして予感していたかのような切実さもあり、それゆえに必要とする「STEADY」な存在という、なかなか味わい深いラヴソングにもなっている。