邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:40-31

40. サイレントマジョリティー/欅坂46 (2016)

欅坂46のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。

「君は君らしく生きて行く自由があるんだ 大人たちに支配されるな」という歌詞を書いているのはもちろん大の大人である秋元康なわけだが、優れたポップソングというのは代々このようなことを歌ってもきたのであり、それらの多くはプロテストソングとして見なされたりもした。

センターポジションでパフォーマンスをしている平手友梨奈こそがその存在そのものによって、この曲の精神性を体現しているともいえるわけだが、楽曲そのものもとてもよくできている。

トップ40というのは往年のポップスファンにとってなかなか思い入れが強いランキングではあるのだが、その一番最初に選ばれた曲がまったく往年のポップスファンに寄り添っていないようでいて、実はこれこそがそれらに匹敵するレベルでのポップソングとしての強度や時代的な必然性を有しているのだ、という点でもたまたまこの曲が40位にランキングしたのはとても良いことである。

39. 花束を君に/宇多田ヒカル (2016)

宇多田ヒカルが配信限定でリリースし、後にアルバム「Fantome」にも収録された楽曲である。

この曲をここに挙げた他のポップソングたちと同列にしてお気軽に語っても良いものだろうか、と考えさせられるほどに重厚な思いと熱量が込められた、素晴らしいバラードである。ここで歌われている「君」とは、宇多田ヒカルの母親である藤圭子のことであり、この曲は亡き母への手紙として書かれている。

一時期はもう人前で歌うなどということは考えられないという感じでもあったという宇多田ヒカルだが、妊娠をきっかけに自分は親になるのだから仕事をしなければいけない、と思い立ち、亡き母についての想いを曲にしはじめたのだという。それが同日に配信がスタートした「真夏の通り雨」であり、この曲であった。

このような深くて重い内容を持つ楽曲が、なぜメインストリームのポップソングとしても優れているかというと、それはこの曲がNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の主題歌に使われたことにより、宇多田ヒカルが「開いてる曲」を目指したという努力の結果であろう。

38. 夢で逢えたら/吉田美奈子 (1976)

吉田美奈子のアルバム「FLAPPER」収録曲で、後にシングルカットもされた。

というか、シリア・ポールのバージョンや様々なカバーバージョンでも知られる、大瀧詠一が作曲したとても有名な曲である。何せこの曲のカバーだけを収録した4枚組CDセットが出ているぐらいなのだから、それはもうすごいことである。スタンダードナンバーである。

個人的には夢で好きな人に逢えたとしたら、目が覚めた時にそれが現実ではなかったという失望に打ちひしがれて、泣きそうな気持になるのではないか、などと考えてしまうため、この曲の理想的なリスナーではおそらくないのだが、それでもこのナイアガラサウンドというのか、ウォール・オブ・サウンド的なトラックはまさに夢のようであり、長く聴かれ続けていることにも納得なのである。

37. プレイバックPart2/山口百恵 (1978)

山口百恵の22枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」で共に最高2位を記録した。

阿木燿子と宇崎竜童のコンビによって提供されたこの楽曲は、山口百恵のキャリアの中でもひじょうに重要であり、代表曲の1つとしても知られている。「緑の中を走り抜けてく真紅なポルシェ」に1人で乗っている女性というイメージが、まずはいきなりカッコいい。

沢田研二の大ヒット曲「勝手にしやがれ」の歌詞を引用すると共に半ばケンカを売って、さらには「気分次第で抱くだけ抱いて 女はいつも待ってるなんて 坊や いったい何を教わってきたの」と、男の幼稚さを軽蔑しながらも憤りまくっている。

個人的に女性の権利が制限されたり弱められたする時代には世の中がどんどんダサくなっていって、その逆もまたしかり、と考えているタイプなので、こういう曲はただただ痛快である。

36. 時間よ止まれ/矢沢永吉 (1978)

矢沢永吉の5枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝き、「ザ・ベストテン」では4位まで上がったが出演することはなかった。

資生堂のテレビCMに使われることによって大ヒットした曲だが、イントロの1音を聴いただけで当時の空気感が甦ってくるあたりはかなりすごい。

永ちゃんこと矢沢永吉のことを当時の不良というかツッパリ少年たちは崇拝していたのだが、やっている音楽はAOR的なものであり、そのあたりのギャップがなかなか味わい深かった。

「幻でかまわない 時間よ止まれ 生命のめまいの中で」というフレーズとサウンドとボーカルが混然一体となったものが、当時、旭川で11歳だった私の夏という概念を構成した、とわりと真剣に考えている。

35. 青い珊瑚礁/松田聖子 (1980)

松田聖子の2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」では1位に輝いた。松田聖子にとって初の大ヒット曲である。

「あー私の恋は 南の風に乗って走るわ あー青い風 切って走れあの島へ」という歌いだしからすでに圧倒的であり、心の夏が大急ぎでスタートするレベルである。より表現力を増して以降の松田聖子のボーカルも良いが、この頃の屈託もなく伸びまくっているボーカルこそが至高、という意見もじゅうぶんに理解できる。

「青い珊瑚礁」という洋画だが少し性的な要素もある青春映画があって、それとタイトルが同じなのは偶然なのかと思っていたのだが、予告編を見てガッツリ影響されていた、ということをそれほど遠くはない以前に何かの本で読んだような気がする。

いずれにせよ、これ以降ももちろん良いのだが、この頃の松田聖子のボーカルの素晴らしさよ。もちろん歌が上手いところも良いのだが、絶妙に健全なエロティシズムが宿っているところに個人的には、中学生だった当時から感じまくっていた。

34. 打上花火/DAOKO×米津玄師 (2017)

DAOKO x 米津玄師名義のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高9位だが、Billboard Japan Hot 100では1位に輝いている。この後に及んでヒット具合を判断するバロメーターがよく分からなくなっているのだが、間違いなくこの曲はものすごく流行ったし、当時、いろいろなシチュエーションで聴いたような気がする。

アニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の主題歌ではあるのだが、それ以上の広がりをもって支持されていたような印象がある。花火とは一瞬だけ華やかに光って、やがて消えていくことからいろいろなものに例えられたりもするが、その刹那な感じがたまらなく良い。

渋谷という街は1990年代の「渋谷系」の頃と比べると随分と変わってしまい、どちらが良かったとかいうつもりはまったくなくて、好きな人とデートすることができればもちろん令和のいま現在の渋谷の方が「渋谷系」の頃よりも良いに決まっているのであり、そういった意味ではどうでもいいのだが、DAOKOというアーティストは「ShibuyaK」という曲を出しているぐらいで、つまりそういう人である。

それで、米津玄師というアーティストについてはいわゆるボカロ系出身で現在はトップクラスにメジャーなアーティストであるということ以外にほとんど知らないのだが、これだけのイケイケな地位にありながら、マイノリティーやイケていない人たち、弱者などに対する視点がつねにあって、それらに寄り添ってもいるようなところがかなり信用できて、それゆえの悲しみや切なさの表現にもリアリティーがある。

この曲にはそれらとても良い部分が化学反応を起こしつつも共存していて、理想的なコラボレーション楽曲というか、純粋に様々なかけがいのない想い出を演出するべきバックグラウンドミュージックとしても最高すぎるのではないかと考えるのである。

33. Shangri-La/電気グルーヴ (1997)

電気グルーヴの8枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高10位のヒットを記録した。

日本でメジャーにテクノ的な音楽をやったユニットの1つとして知られる電気グルーヴは、いわゆるサブカル界隈では絶大な人気を誇っていたものの、まだまだ一般大衆的にはそれほど知られてもいなかったような気はする。

それでも、この曲はかなりヒットした。分かりやすい歌モノであったのに加え、サウンド的にもかなりカッコよかった。引用元とか何のサンプリングを使っているとか、そういうのはいろいろあるわけなのだが、それにしても美しく少し切ないダンスチューンであり、「夢でKISS KISS KISS」とゴキゲンなようではあるのだが、「胸ときめいていたあの頃のように」と、あくまでも過去を振り返っている点には注目すべきかもしれない。

32. 君に、胸キュン。-浮気なヴァカンス- /イエロー・マジック・オーケストラ (1983)

イエロー・マジック・オーケストラの7枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」では最高3位のヒットを記録した。

この頃にはすでに解散ならぬ散開を実は決めていたともいわれるYMOことイエロー・マジック・オーケストラだが、テクノブームは一瞬にして去ったが、それは歌謡界に強い影響をあたえ、後に「テクノ歌謡」などと振り返られることになる、テクノポップ的な歌謡曲がいくつも生まれ、その一部にはイエロー・マジック・オーケストラのメンバー自身がたずさわってもいた。

カネボウ化粧品のCMソングとして起用されたことが大きなヒットの要因ではあるのだが、テクノ歌謡的なアイドルとして割り切ったかのように、様々なメディアに積極的に出演し、かわいいおじさん的なイメージを韜晦的に演じているようでもあった。

とはいえ、テクノポップ的な切ないラヴソングとして、とても良い曲ではあって、特に個人的には「眼を伏せた一瞬のせつなさがいい」のくだりがかなり気に入っている。

31. ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ロケッツ (1979)

シーナ&ロケッツ2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高20位を記録した。

とはいえ、1979年の秋にリリースされたアルバム「真空パック」から冬にシングルカットされたこの曲がヒットしたのは翌年の夏で、日本航空のCMソングとして使われたことが影響したような気がする。

オールディーズ的な楽曲ではあるのだが、細野晴臣がプロデュースしていたこともあり、テクノポップ的な味わいもあり、実際には福岡出身のロックンロールバンドであるにもかかわらず、当時はテクノ/ニュー・ウェイヴ系のバンドなのではないかと見なされていたようなところもあったような気がする。

個人的には高校受験に向けた夏期講習に通っていた時に、昼食代として親からもらっていたお金を節約して、この曲のシングルレコードを買ったことが思い出される。長渕剛「順子」が売れはじめていて、シャネルズが不祥事で謹慎しはじめたりしていた頃のことである。