邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1992

悲しみは雪のように/浜田省吾(1992)

浜田省吾の23作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで通算10週1位、年間シングルランキングでは米米CLUB「君がいるだけで」に次ぐ2位を記録した。

元々は1981年のアルバム「愛の世代の前に」に収録され、後にシングルカットもされていたのだが、フジテレビ系のドラマ「愛という名のもとに」の主題歌としてアレンジを大きく変えた新バージョンが制作された。

母が重病で倒れ、意識不明になった時に、深い悲しみの中に優しさを知ることもできた、という浜田省吾の実体験をベースに書かれた楽曲だという。

君がいるだけで/米米CLUB(1992)

米米CLUBの13作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで通算6週1位、年間シングルランキングでも1位に輝いた。

冗談的な要素が強いのだが、王道のJ-POPとして通用しそうな楽曲も時にはやっているバンドというような印象だったのだが、その後者でテッペンを取ってしまったというなかなか痛快な状況ではあった。

安田成美、中森明菜が出演したフジテレビ系月曜夜9時のドラマ「素顔のままで」の主題歌である。

もう恋なんてしない/槇原敬之(1992)

槇原敬之の5作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。日本テレビ系のドラマ「子供が寝たあとに」の主題歌である。

失恋からなかなか立ち直ることができない男のリアルな心情や強がりをヴィヴィッドに描写したとても良い曲である。

マンハッタン・キス/竹内まりや(1992)

竹内まりやの20作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高11位を記録した。

秋元康監督・脚本の映画「マンハッタン・キス」の主題歌である。

オーセンティックなシンガーソングライターとして確固たる地位を確立した時期のとても充実したアルバム「Quiet Life」にも収録されている。

不倫の恋をテーマにトレンディーな残り香を感じさせるアダルトコンテンポラリー的なサウンドもとても良い。

私がオバさんになっても/森高千里(1992)

森高千里の16作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高15位を記録した。日本テレビ系のドラマ「まったナシ!」の主題歌だったようだ。

「私がオバさんになっても 泳ぎに連れてくの?」などと歌われるなんだかいろいろすさまじい曲で、いろいろな人たちがカラオケで歌うのを過去に何度も聴いたような気がする。

バブル景気はすでに終わっていたのだがその残り香はまだなんとなく感じられる当時を象徴するタイプのサウンドにのせて、エイジズム(年齢差別)的な問題を先取ってテーマにしていたようなところもあり、なかなか味わい深い。

涙のキッス/サザンオールスターズ(1992)

サザンオールスターズの31作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで7週連続1位、年間シングルランキングで5位を記録した。シングル「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」と同日発売であった。

かつては邦楽ロック&ポップス界の革命児でありながら一般大衆的な支持も得ていたサザンオールスターズだが、この頃にはもうすっかりオーセンティックな国民的人気バンドという感じではあった。

当時のトレンド感にアップデートしたサウンドと、切ないラヴバラードとしてのクオリティーの高さにはすさまじいものがあり、個人的にもうすでにちゃんと聴いていなかったことが激しく悔やまれたりもするのであった。

決戦は金曜日/ドリームズ・カム・トゥルー(1992)

ドリームズ・カム・トゥルーの11作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで3週連続1位を記録した。

90年代のJ-POPがソウルミュージック化していく流れを先取っていたかのようでもあり、シェリル・リン「ガット・トゥ・ビー・リアル」、アース・ウィンド・アンド・ファイアー「レッツ・グルーヴ」といったディスコクラシックがレファレンスされてもいる。

それでいて、恋愛至上主義的な歌詞にはトレンディー文化の残り香も感じられ、いろいろな意味で過渡期的というか重要な楽曲であるように思える。

LOUD MINORITY/UNITED FUTURE ORGANIZATION(1992)

UNITED FUTURE ORGANIZATIONの2作目のシングルで、イギリスの音楽誌「エコーズ・マガジン」のジャズチャートで1位に輝いた。

イギリス発祥のアシッドジャズブームは日本の都市部におけるクラブシーンでもかなり盛り上がっていたようで、後に「渋谷系」と呼ばれるタイプの音楽を愛好していたリスナーの中にはこちらの方面に流れていった人たちも少なくはなかった様子である。

このムーヴメントは後にクラブミュージック的でもある和製R&Bのメインストリーム化というかたちで、邦楽ロック&ポップス界にも一般大衆レベルで影響を及ぼすことになる。

糸/中島みゆき(1992)

中島みゆきの20作目のアルバム「EAST ASIA」に収録された楽曲である。

元々は天理教の4代目真柱、中山善司の結婚を祝う曲として制作された。

1998年にはテレビドラマ「聖者の行進」のテーマソングとして「命の別名」とのカップリングでシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高12位を記録した。

さらに様々なカバーバージョンや住友生命のCMソングに起用されたりしているうちに名曲としての認知が広がり、2017年にはJOYSOUNDの年間カラオケランキングで2位、2020年にはこの楽曲をモチーフにした映画「糸」が公開されたりもしている。

「なぜめぐり逢うのかを私たちはなにも知らない」ではじまり、「縦の糸はあなた 横の糸は私」のフレーズがあまりにも印象的な素晴らしい楽曲である。

ボーイフレンド/井上睦都実(1992)

井上睦都実のデビューアルバム「恋は水色」収録曲で、シングルでもリリースされた。

「渋谷系」というワードが当時もうすでに存在していたかどうかについては記憶にないのだが、まさにそれ系というかTOKYO’S COOLEST COMBO的というか小西康陽的な小洒落感が感じられるとても良い曲である。

世界中の誰よりきっと/中山美穂&WANDS(1992)

中山美穂とWANDSのコラボレーションシングルで、オリコン週間シングルランキングで4週連続1位を記録した。

WANDSはいわゆるビーイング系呼ばれる人気バンドの1つで当時ブレイク真っ只中だったのだが、ものすごく売れてはいたもののポップミュージック批評的にはかなり軽視されがちだったような気がする。

個人的にもまったく真剣には聴いていなかったのだが、当時の大ヒット曲としていま改めて聴いてみると、ザ・ロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」的なエバーグリーン感といわゆるビーイング的なドメスティックさのバランスがなかなか絶妙で、実に味わい深くも感じられるのである。

クリスマスキャロルの頃には/稲垣潤一(1992)

稲垣潤一の27作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで3週連続通算4週1位を記録した。

恋愛至上主義的なトレンディー感が感じられはするのだが、現実的にはすでにバブル景気が崩壊していた時期ではあり、お気楽さよりもより深刻なリアリティーのようなものが恋人同士の倦怠期というテーマと共に歌われている。

クリスマスソングのようではあるのだが、それ以前の時期に「クリスマスキャロルが流れる頃」に想いをはせるというような絶妙に微妙な内容の歌詞を書いたのは秋元康である。

雪が降る街/ユニコーン(1992)

ユニコーンの8作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。

当初はクリスマスソングをつくろうということだったようなのだが、結局は年末ソングのようなところもあり、しかし実際に日本人にはその方がありがたいのではないか、というようなところもある。

クリスマスソングの常套句的な要素は含まれていながらも、それ以降の年末におけるリラクシンな感じをも表現した素晴らしい楽曲である。

当時、井上陽水が自身の息子がこの曲をとても気に入って聴いていたことに興味を持って、奥田民生に手紙を出したことがきっかけで交流がはじまったという良いエピソードもある。