邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1980, Part.2

裸足の季節/松田聖子(1980)

松田聖子のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高12位を記録した。「ザ・ベストテン」では「今週のスポットライト」のコーナーに出演するものの、最高11位に終わりランクインは果たせなかった。

資生堂エクボ洗顔フォームのCMソングとして使われていたこともあり、「エクボの秘密あげたいわ」という歌詞が印象的である。松田聖子はこのテレビCMの出演者オーディションを受けていたのだが、エクボができないことが理由で不合格となり、CMソングを歌うことになっていた。

1970年代後半はニューミュージックが全盛だった上に歌謡ポップス界ではビッグスターたちの人気も高かったため、新人アイドル歌手がブレイクするにはとても厳しい状況であった。

80年代になるとなんとなく時代の気分がライトでポップなものを求めはじめたようなところもあり、さらには山口百恵がこの年の秋での引退を発表していたこともあって、新しいアイドルを待望するような雰囲気はあったような気がする。

松田聖子はいわゆるポスト山口百恵的な新人アイドルの中でも当初はそれほど本命視されていなかったような記憶もあるのだが、明るく伸びのあるボーカルとフュージョン的でもあるサウンドが当時の気分にもマッチしていて、たちまち人気者になっていくのだった。

個人的には平凡出版(現在のマガジンハウス)提供の「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」というラジオ番組を聴いていて、レギュラー出演者であるパンチガールの1人として松田聖子を初めて知って、レコードデビューのことも番組で知ったのだが、ここまでの大スターになるとはまったく想像していなかった。

ダンシング・オールナイト/もんた&ブラザーズ(1980)

もんた&ブラザーズの最初のシングルでオリコン週間シングルランキングでは10週連続1位、年間シングルランキングでも1位、「ザ・ベストテン」では7週連続1位で年間ランキングでは五木ひろし「倖せさがして」に次ぐ2位とこの年を代表する大ヒット曲となった。

もんたよしのりは1971年にソロアーティストとしてデビューしていたもののヒットに恵まれず、再起をかけて結成したのがもんた&ブラザーズであった。

特にタイアップなどもなかったのだが有線放送から火がついて、テレビでも披露される機会が増えると、そのハスキーなボーカルと共に独特なステージアクションにも注目があつまるようになった。

帰ってこいよ/松村和子(1980)

松村和子のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高5位、「ザ・ベストテン」では最高4位を記録した。

当時まだ18歳の女性歌手が三味線をつま弾きながら、都会に出ていった幼なじみに「帰ってこいよ」と呼びかける内容の曲を民謡のような唱法で歌うというひじょうにユニークなヒット曲であった。

「第22回日本レコード大賞」では田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、柏原よしえ(現在は柏原芳恵)といったアイドル歌手たちと共に新人賞を受賞(最優秀新人賞は田原俊彦)、「第13回日本有線大賞」では最優秀新人賞に輝いている。

憧れのラジオ・ガール/南佳孝(1980)

南佳孝の8作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高48位を記録した。

ラジオパーソナリティーを題材にしたシティポップ的な楽曲なのだが、編曲を坂本龍一が手がけていて、ボコーダーを使用するなど絶妙なテクノ感がとても良い。

雨の慕情/八代亜紀(1980)

八代亜紀の30枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高9位、「ザ・ベストテン」では最高6位、「第22回日本レコード大賞」「第11回日本歌謡大賞」「第6回日本テレビ音楽祭」でいずれも大賞を獲得している。

演歌であることには間違いないのだが、大衆歌謡ポップスとしての強度もかなりのもので、特に「雨々ふれふれ もっとふれ」のくだりはそのキャッチーなステージアクションと共に、若者を含む幅広い層の心を捉えた。

RIDE ON TIME/山下達郎(1980)

山下達郎のソロアーティストとしては6作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位のヒットを記録した。「ザ・ベストテン」にはランクインしていない。

本人が出演したマクセルカセットテープのCMソングであり、このシティポップ的な楽曲がテレビからお茶の間に流れまくっていた。

それまで聴いていた日本の流行歌とはどこかが違う、なんだか都会的で洗練された感じがシュガー・ベイブもナイアガラレーベルもまったく知らない一般庶民にも憧れるべきとても良いものとして伝わっていたような印象がある。

EPOの「DOWN TOWN」もヒットはしていなかったもののラジオではわりとよくかかっていて、どうやら山下達郎が昔やっていたバンドのカバーらしいと、地方都市の公立中学校レベルでも話題にはなっていた。

ロックンロール・ウィドウ/山口百恵(1980)

山口百恵の30作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高3位、「ザ・ベストテン」では1位に輝いた。

すでに秋に引退することを発表していて、その後は俳優の三浦友和と結婚することも決まっていたのだが、このタイミングでロックンロールの未亡人というタイトルのシングルをリリースしてしまうというのもなかなか良かった。

阿木燿子・宇崎竜童コンビによるロックチューンで、この路線における真骨頂ともいうべき素晴らしいクオリティーである。

いなせなロコモーション/サザンオールスターズ(1980)

サザンオールスターズの8作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高16位を記録した。

歌詞にはコニー・フランシス、ドリス・デイ、シュープリームスといったオールディーズ的なアーティストの名前が入っていて、楽曲そのものにもそんな気分が漂っている。

当時、オールディーズやフィフティーズ的なカルチャーというのが1つのトレンドにもなっていて、そんな時代の空気感にもマッチしていたような気もする。

両親が出かけて誰もいない家に好きな人を呼んだ時のドキドキ感のようなものをテーマにした歌詞もとても良い。

パープル・モンスーン/上田知華+KARYOBIN(1980)

上田知華+KARYOBINの5作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高60位を記録した。

弦楽四重奏を取り入れたとても上品でユニークな音楽性が特徴で、特にこの曲は「心の窓をあけてごらん 昨日よりステキになれるわ」というところがとても良い。

ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシィ・フルーツ(1980)

ジューシィ・フルーツのデビューシングルでオリコン週間シングルランキングで最高5位、「ザ・ベストテン」では最高7位を記録した。

近田春夫&BEEFのメンバーだった人たちによって結成されたバンドであり、この曲の作曲者も近田春夫である。テクノポップとしては最もヒットした楽曲かもしれず、2003年にはネオテクノポップとでもいえそうなPerfumeによってもカバーされている。