サザンオールスターズ「思い過ごしも恋のうち」【Classic Songs】

1979年9月13日は木曜だったので、夜9時からはもちろん「ザ・ベストテン」が放送されていた。ヒット曲のカウントダウン番組はラジオではそれ以前からよくあったのだが、1978年にTBSがテレビでこれをやったところ、たちまち大人気になったのであった。この翌々月、つまり1979年11月からはフジテレビが「ビッグベストテン」というほとんど同じコンセプトの番組をはじめるのだが、やはり二番煎じ感が否めなかったのと、「3年B組金八先生」「太陽にほえろ!」など裏番組が強かったこともあり、視聴率が伸び悩み、わずか5ヶ月で終了していた。

当初から「ザ・ベストテン」を意識しまくって、司会の高嶋秀武が「黒柳さん、久米さん、見てますか」などと言ってみたり、「あちらのベストテン」などといって前日に他局で放送された「ザ・ベストテン」のランキングを紹介するなどしていたのだが、途中から出演するアーティストも少なくなっていき、ピンチヒッターなどといってまったく別のアーティストがヒット曲をカバーというかカラオケのように歌うような状態になっていた。やはり、同じようなコンセプトの番組を成功させるのは難しいのかと思いきや、1981年に日本テレビではじまった「ザ・トップテン」はわりと続いていた。1983年にテレビ朝日ではじまった「ザ・ベスト’83」はすぐに終わった。ビートたけしと共に司会を務めていた小林克也が、細川たかし「矢切の渡し」をまるで洋楽を紹介するかのように「ヤギリノワターシー」などと発音していた。テレビ東京でやっていた「ザ・ヤングベストテン」というのもあったが、これはかなりテイストが違っていた。

それはそうとして、この年の9月3日には落語家の三遊亭圓生、4日には上野動物園のジャイアントパンダ、ランランが亡くなり、9日には上福岡第三中学校いじめ事件が発生し、12日にはハウス食品がインスタントラーメンのうまかっちゃんを発売していた。「ザ・ベストテン」ではゴダイゴ「銀河鉄道999」が4週目の1位、2位には7月から8月にかけて1位だった水谷豊「カリフォルニア・コネクション」が根強くランクインし続けていた。水谷豊が主演し、共演者のミッキー・マッケンジーと後に結婚することになるテレビドラマ「熱中時代・刑事編」の主題歌である。3位にはさだまさし「関白宣言」がランクインし、その男尊女卑的ともとれる歌詞が問題視される一方で、ユニークなものと見なされがちでもあった。そして、4位には先週に続いてサザンオールスターズ「思い過ごしも恋のうち」がランクインしていた。

サザンオールスターズがシングル「勝手のシンドバッド」で衝撃のデビューを果たしたのはこの前の年、1978年6月25日であった。さらにその前の年の大ヒット曲である沢田研二「勝手にしやがれ」とピンク・レディー「渚のシンドバッド」のタイトルをミックスしたドリフターズ、というか志村けんのギャグにインスパイアされたものと思われる。楽曲はそれまでの日本の流行歌にはまったくなかったタイプの祝祭的なムードにあふれたものであり、桑田佳祐のあまりにもユニークな歌詞とボーカルスタイルも話題になっていた。これがじわじわと売れていって、8月31日には「ザ・ベストテン」でランキング圏外の注目曲を紹介する「今週のスポットライト」に、ライブハウスからの中継で初出演する。9月21日には9位初登場し、その後、最高4位まで上がった。番組に出演した桑田佳祐は、「ただの目立ちたがり屋の芸人」を自称したりもしていた。

次のシングル「気分しだいで責めないで」は「勝手にシンドバッド」とほとんど似たタイプの楽曲だったのだが、前作の余波もありそこそこは売れていた。しかし、オリコン週間シングルランキングでは最高10位(「勝手にシンドバッド」は最高3位であった)、「ザ・ベストテン」では最高7位とパワーダウンは否めなかった。当時の桑田佳祐にはいろいろ悩みもあったようで、テレビで「ノイローゼ!」などと叫びながら歌っていたこともある。そして、サザンオールスターズが次のシングルを発売したのはその翌年、1979年3月25日であった。個人的には小学校から中学校に進学するタイミングであり、車道の雪解け水に注意をしながら歩いていた記憶がある。ラジオで聴いたサザンオールスターズの新曲「いとしのエリー」はバラードであった。サザンオールスターズの新曲にしては普通で地味だなと当初は感じていたのだが、何度も聴いているうちに実はとても良いのではないかと思えてきて、「ザ・ベストテン」でも順位をどんどん上げていった。6月7日の放送ではツイスト「燃えろいい女」を抜いて初の1位に輝き、7月26日の放送で水谷豊「カリフォルニア・コネクション」に抜かれるまで7週連続1位を記録した。

「気分しだいで責めないで」「いとしのエリー」を収録したアルバム「10ナンバーズ・からっと」は4月5日に発売され、オリコン週間アルバムランキングで最高2位、年間アルバムランキングではゴダイゴ「西遊記」、さだまさし「夢供養」に次ぐ3位の大ヒットを記録している。「勝手にシンドバッド」を収録したデビューアルバム「熱い胸さわぎ」がオリコン週間アルバムランキングで最高16位だったので、大躍進ということができる。そして、7月25日にサザンオールスターズの4作目のシングルとして、「思い過ごしも恋のうち」がアルバム「10ナンバーズ・からっと」からカットされるのだが、これがオリコン週間シングルランキングで最高7位、「ザ・ベストテン」で最高4位を記録することになる。

それまで3作のシングルはいずれもアルバムにはまだ収録されていない新曲としてリリースされたのだが、「思い過ごしも恋のうち」の場合はすでに発売されているアルバムからカットされているという点が異なっている。しかも、そのアルバム自体がかなり売れてもいたのだが、それでもこれだけのヒットを記録してしまうところがまたすごいともいえる。ジャケットはライブ風景のような写真であり、B面は「10ナンバーズ・からっと」にも収録されていた「ブルースへようこそ」である。「思い過ごしも恋のうち」自体はアルバム収録のバージョンとアレンジが一部異なっているようだ。

後にテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」でもかかる率がわりと高かったような気もする「思い過ごしも恋のうち」はアップテンポの曲ではあるものの、「勝手にシンドバッド」「気分しだいで責めないで」に較べるとオーセンティックでもあり、コミカルな要素はほとんど感じられない。恋に悩んだり、そのような状態に憧れがちな若者たちにとってリアリティーがある設定と、切なくも狂おしい感覚を増幅するかのようなメロディーやボーカル、「どいつもこいつも話しの中身が どうあれこうあれ気持ちも知らずに」というフレーズに見られる早口気味の疾走感など、ひじょうに魅力的なポップソングとなっている。「いとしのエリー」で見せた共感できてグッとくる感じが、アップテンポの曲でも可能である、ということをライトなリスナーにまでも知らしめたような印象もある。

そして、これは後から知ることになるのだが、「勝手にシンドバッド」「気分しだいで責めないで」の次のシングルは「いとしのエリー」ではなく、「思い過ごしも恋のうち」になる可能性もあったのだという。「勝手にシンドバッド」「気分しだいで責めないで」によって確立されたどこかコミカルなイメージだけがバンドのすべてではないということで、アルバム「10ナンバーズ・からっと」からの先行シングル候補として「いとしのエリー」も提示するものの、レーベル側としてはせっかくイメージが定着してきたのだからその方向を推し進めていくべきであり、バラードをシングルでリリースするのは時期尚早なのではないか、という考えであった。結果的に3作目のシングルとしてリリースされた「いとしのエリー」によって、サザンオールスターズのことを初めてシリアスなバンドとして認識した人たちも、当時の一般大衆には少なくはなかった。その大ヒットがあった後の「気分しだいで責めないで」というのが、順番としてもひじょうに良かったのではないかと思える。

個人的にこの曲は中学校から帰った後にラジカセやステレオやトランジスタラジオで聴いていたHBCラジオの「ベスト10ほっかいどう」でよく聴いていた記憶があり、1コーラス目が終わって間奏に入った時あたりで、パーソナリティーのMr.デーブマンが話しだすような気がいまだにしている。サザンオールスターズはこの次にリリースしたシングル「C調言葉に御用心」もオリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」いずれも最高2位の大ヒットを記録しするのだが、翌年からしばらく音楽制作に集中するため、メディアへの露出を控えるようになっていく。