スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ「涙のクラウン」【Classic Songs】
1970年9月12日付の全英シングル・チャートでは、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ「涙のクラウン」がエルヴィス・プレスリー「ワンダー・オブ・ユー」を抜いて、1位に輝いていた。シュープリームス、テンプテーションズ、フォー・トップスなどと共にモータウンを代表する人気グループであったスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズだが、全英、全米のシングル・チャートで1位を記録したのはこの曲が初めてであった。
とはいえ、1960年に全米シングル・チャートで最高2位を記録した「ショップ・アラウンド」やビートルズもカバーした「ユーヴ・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー」以降、アメリカではヒット曲を連発し、大人気だったグループからリードボーカルのスモーキー・ロビンソンは脱退し、モータウンの副社長業に専念しようともしていたようである。
「涙のクラウン」はスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの1967年のアルバム「メイク・イット・ハプン」に収録されていたのだが、シングルカットはされていなかった。1962年に12歳の天才アーティストとしてモータウンからデビューしたスティーヴィー・ワンダーを発掘したのは、ザ・ミラクルズのロニー・ワイトだといわれている。そして、「涙のクラウン」をプロデューサーのハンク・コスビーと共作したのも、スティーヴィー・ワンダーである。歌詞ができなかったため、インストゥルメンタル曲の状態で、スティーヴィー・ワンダーはこの曲を1966年のモータウンのクリスマスパーティーに持っていった。
これを聴いたスモーキー・ロビンソンは楽曲にサーカスのようなフィーリングを感じ取り、道化師をテーマにした歌詞を書き上げた。モチーフになったのはルッジェーロ・レオンカヴァッロが作曲し、1892年に初めて上演されたオペラ「道化師」だといわれていて、スモーキー・ロビンソンはこれ以前にもモータウンのシンガー、キャロリン・クロフォードに提供した「My Smile Just A Frown (Turned Upside Down)」の歌詞において、このテーマを扱っていた。道化師を題材にした作品にありがちな、顔は笑っているが心では泣いている的な感じの内容である。
「メイク・イット・ハプン」のアルバムからは「まぼろしの愛」「モア・ラヴ」がシングルカットされ、それぞれ全米シングル・チャートで最高20位と23位を記録していた。スモーキー・ロビンソンにとってもスティーヴィー・ワンダーにとっても、「涙のクラウン」はアルバム収録曲のうちの1つという認識でしかなかった可能性もある。
イギリスでスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのシングルを何か発売してプロモーションしていこうとなったようなのだが新しい音源は無く、モータウンのファンクラブでイギリス支部長的なポジションであったカレン・スプレッドベリーのアイデアで、アルバム「メイク・イット・ハプン」に収録されていた「涙のクラウン」をシングルカットすることになったようだ。アルバムが発売されてからすでに3年が経とうとしていた。するとこれが、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズにとって初の全英シングル・チャート1位という大ヒットを記録してしまう。というか、アメリカではヒット曲を連発していたスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズだが、イギリスにおいてはこれが1969年に全英シングル・チャートで最高9位を記録した「トラックス・オブ・ザ・ティアーズ」に続く2曲目のトップ10ヒットであった。
このイギリスでの大ヒットを受けてアメリカでもシングルカットされると、こちらも全米シングル・チャートで初の1位記録することになった。アメリカでシングルとして発売されたバージョンは、オリジナルとは少し違っている。アルバム「メイク・イット・ハプン」は「涙のクラウン」にタイトルを変えて発売されることになった。この曲のヒットによって、スモーキー・ロビンソンは1972年までグループを脱退できなくなった。ビリー・グリフィンが新たなリードボーカリストになってから、ザ・ミラクルズは「ラヴ・マシーン」で全米新グリル・チャートで1位に輝き、ソロアーティストとなったスモーキー・ロビンソンにとっては1981年に全米シングル・チャートで最高2位を記録した「ビーイング・ウィズ・ユー」が最大のヒット曲となっている。一方、スモーキー・ロビンソン脱退後のザ・ミラクルズ「ラヴ・マシーン」の全英シングル・チャートでの最高位は3位だったが、スモーキー・ロビンソン「ビーイング・ウィズ・ユー」はマイケル・ジャクソン「想い出の一日」などを抑えて2週連続1位に輝いている。
1979年にはスカリバイバルバンドのザ・ビートが「涙のクラウン」をカバーして、全英シングル・チャートで最高6位を記録している。