セックス・ピストルズ「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」

セックス・ピストルズの2枚目のシングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」は1977年5月27日にリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。デビュー・シングルの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」が最高33位だったので、これは大躍進だということができる。しかも、実は1位だったのだが、何らかの操作によって2位にされたのではないかという説もひじょうに根強い。ちなみにその週の1位は前週に続いてロッド・スチュワート「もう話したくない」だったのだが、なぜそのような操作が何のために行われたのかというと、イギリス王室にたいしての配慮だといわれている

当時のイギリスはエリザベス2世の即位25周年でひじょうに盛り上がっていたわけだが、特に若者のあいだでは君主制に対して疑問を持つものも少なくはなかった。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」はそもそも「ノー・フューチャー」というタイトルで、1976年の時点ではすでにつくられていたようなのだが、エリザベス2世の即位25周年のタイミングにあえて合わせてレコードを発売しようということになり、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」としたようである。これはイギリス国歌である「女王陛下万歳」の原題とまったく同じタイトルである。にもかかわらず、曲の内容は君主制を批判したもので、そんなイギリスに未来はない、ノー・フューチャーなのだと歌われている。さらにジャケットアートワークは女王の顔にパンクファッション的に安全ピンを刺したものであり、これが良識派の人たちからひじょうに顰蹙を買ったりもしていた。

セックス・ピストルズのマネージャーであったマルコム・マクラレンといえば、語り手として出演してもいるドキュメンタリー映画のタイトルが「ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル」、つまり、グレイトなロックンロールの詐欺師というようなものであったように、現在でいうところの炎上商法的なマーケティングを得意としていたのだが、エリザベス2世即位25周年の式典が行われる日には会場の近くを流れるテムズ川でセックス・ピストルズに船上ライブをやらせようとして警察に取り押さえられたりもしていた。

このような話題性もあり、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」はその週のイギリスでもっとも売れたシングルになったといわれているのだが、何らかの力がはたらいて2位ということにされたという伝説がずっと語り継がれている。ちなみに、全英シングル・チャートとは少し異なった集計をしていたと思われる「NME」のチャートでは、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」が1位だったようである。

反体制的な主張をユーモアを交えて、ポップでキャッチーな楽曲に乗せて歌っているという点において、この曲を取り巻く様々な伝説を抜きにしても、純粋に素晴らしいポップソングだということができ、パンク・ロックを代表する1曲であることはもちろんなのだが、70年代後半の優れたポップソングとして、ABBA「ダンシング・クイーン」、ドナ・サマー「アイ・フィール・ラヴ」、ブロンディ「ハート・オブ・グラス」などと並べて語りやすいという点でも、この曲がしっかり大ヒットしていたのはとても良いことである。

セックス・ピストルズといえば最初はEMIと契約したのだが、テレビで放送禁止用語をいうなど問題が生じたので破棄されたことにより、多額の違約金を手に入れることになる。その後に契約したA&Mレコードから「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」のシングルは発売される予定だったのだが、やはりいろいろ問題があり、破棄されたあげくに、結局は次に契約したヴァージン・レコードから発売された。A&M版の「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」もプレスはされていたのだが、ひじょうに稀少であり、コレクターの間では高値で取り引きされているという。また、音楽面でひじょうに重要な役割を果たしていたベーシストのグレン・マトロックがジョニー・ロットンとの不仲などを理由として脱退すると、後にポップ・アイコン化するシド・ヴィシャスが加入することになった。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」をめぐる一連の騒動などによって、ジョニー・ロットンとドラマーのポール・クックは右翼に襲われて重傷を負ったりもしていた。

個人的には当時、小学校高学年であり、リアルタイムで聴けなくもなかったような気もするのだが、実際にはクラスメイトの家でさだまさし「雨やどり」などを聴いていた時代なので、程遠かったようにも思える。ジョニー・ロットンがセックス・ピストルズを抜けてジョン・ライドンになってからのPILことパブリック・イメージ・リミテッドの方が後に渋谷陽一の「サウンドストリート」でかかったり「宝島」の表紙になっていたりして、親しみがあった。セックス・ピストルズというバンド名そのものはかなりインパクトがあると思っていた。

1983年にはパブリック・イメージ・リミテッド「ラヴ・ソング」の12インチ・シングルを買うのだが、セックス・ピストルズの音楽はいまだに聴いたことがない状態で高校の修学旅行に行った。京都の新京極とかいうところで、地元や他校のツッパリと目を合わさないように細心の注意を払い、ロックファッションのような店に行ったのだが、そこでもパブリック・イメージ・リミテッドとセックス・ピストルズの缶バッジを買っていた。セックス・ピストルズの音楽などまったく聴いたことがないというのにである。

帰りの寝台列車でクラスの大人しそうな男子がソニーのウォークマンではないヘッドホンステレオと何本かのカセットテープを持ってきていて、その中にセックス・ピストルズの「勝手にしやがれ‼︎」もあったので、借りて聴いていた。セックス・ピストルズの音楽はものすごく過激で世界に衝撃をあたえたと文字情報で読んでいたので、そのわりにはわりと普通だなと感じたりはしたのだが、それはすでにセックス・ピストルズが変えたり影響をあたえた後の世界だったからかもしれない。そして、ジョニー・ロットンのボーカルがあまりにも個性的で最高であった。そして、ヘッドホンステレオとカセットテープを大人しそうな男子に返す時には、「やっぱりピストルズは最高だな」などと、これが初めてであったにもかかわらず、あたかもずっとお気に入りでもあるかのようなふりをしていた。

翌年、西武百貨店旭川店の確かA館の方だったと思うのだが、9階にあったライブハウス、スタジオ9で行われたデュラン・デュランのコピーバンドのライブに、友人がハノイ・ロックスのコピーバンドで出るらしく、アンコールでセックス・ピストルズ「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を演るので客席から飛び入りして、肩を組んで一緒に歌うようにとオファーがあった。いま思うとまったくよく分からないコンセプトなのだが、それに向けてセックス・ピストルズのカセットテープを借りて、自主練をしたことが思い出される。その後、大学生になってからこの曲も収録されたアルバム「勝手にしやがれ‼︎」のCDを買おうとするのだが、なぜか輸入盤はくすんだピンク色のようなジャケットのものしか売られていなく、やはり黄色いジャケットのやつがほしいので仕方なく国内盤を買ったような気がする。