大貫妙子「Cliché」【Classic Albums】

大貫妙子の6作目のアルバム「Cliché」は、1982年9月21日に発売された。このアルバムのアナログレコードでいうところのA面2曲目に収録された「色彩都市」は、「レコード・コレクターズ」2020年7月号の「シティ・ポップの名曲ベスト100 1980-1989」において、山下達郎「SPARKLE」、竹内まりや「プラスティック・ラブ」に次ぐ3位に選ばれていた。4位が吉田美奈子「頬に夜の灯」であるため、上位4曲中の3曲が1982年にリリースされた曲ということになる。

個人的にこの頃は地方の公立高校1年生であり、ポップミュージックのリスナーとして完全に現役だったわけだが、山下達郎「SPARKLE」が収録されたアルバム「FOR YOU」は聴きまくって、「夏だ!海だ!タツローだ!」などと盛り上がってはいたものの、大貫妙子「色彩都市」も吉田美奈子「頬に夜の灯」もリアルタイムでは聴いた記憶がない。シティ・ポップの名曲として、完全に後追いで聴いたのだった。忌野清志郎+坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」、サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」、松田聖子「赤いスイートピー」、佐野元春「SOMEDAY」(のアルバム)、ポール・マッカートニー「タッグ・オブ・ウォー」、ビリー・ジョエル「ナイロン・カーテン」、マイケル・ジャクソン「スリラー」などがリリースされたのと同じ年に、これらの曲もリリースされていたということになる。

大貫妙子「Cliché」といえばシングルカットされた「ピーターラビットとわたし」はラジオでよくかかっていた記憶があり、メルヘンチックなテクノポップのようなものとして認識していた。1曲目に収録された「黒のクレール」はマクセルカセットテープのCMソングとして書き下ろされたものらしく、テレビCMには大貫妙子自身も出演していた。「夏を追いかけて行く 二人の愛がさめるのがこわくて」と夏のイメージが歌われているのだが、それは少し遠くにも感じる。この曲も含め、「Cliché」に収録された最初の4曲は坂本龍一が編曲を手がけているが、この曲はそれほどテクノポップ的ではない。

大貫妙子でシティ・ポップといえば、1977年リリースのアルバム「SUNSHOWER」の印象が強いのだが、それはやはりジャパニーズ・シティ・ポップリバイバルを一般大衆的に可視化したともいえるテレビ番組「YOUは何しに日本へ?」で2017年に放送された回の影響が大きいと思われる。しかし、80年代において大貫妙子というアーティストのイメージといえば、テクノポップ的でヨーロピアンな「Cliché」の頃のようなものであった。とはいえ、なんとなくハイセンスでおしゃれな印象がひじょうに強く、けして地方のミーハーな公立高校生が気軽に聴いてはいけないような雰囲気もあった。それで聴いていなかったわけだが、後から聴いてみるとやはりこれがとても良かったのであった。

1970年代後半以降、大貫妙子はクオリティーの高い音楽を発表してはいたものの、セールスに思うようにつながらなかったりもして、プロのアーティストとして活動するのをやめようかとすら考えていたらしい。ここでヨーロピアン路線を提案するのが、日本のポップ・ミュージック史の重要な局面にいつもいるような印象すらある牧村憲一氏である。この辺りのことについては「ニッポン・ポップ・クロニクル 1969-1989」というとてもおもしろい本に詳しく書かれている。

シティ・ポップというサブジャンルに対する印象が固定概念で凝り固まりがちなためか、大貫妙子でいうと「SUNSHOWER」は間違いなくそうなのだが、「Cliché」についてはそれほどしっくりこなかったりもする。テクノポップやヨーロピアンな感じもひじょうに強く、シティ・ポップの枠には収まらない、もっとカラフルでポップなアルバムのように思えるからである。しかし、それはつまりシティ・ポップというサブジャンルについて、凝り固まった固定概念でとらえているからに他ならないともいえる。

アナログレコードではB面にあたる後半の6曲はパリでレコーディングされていて、フランスで映画音楽などを手がけるジャン・ミュジーが編曲している。1980年リリースのアルバム「ROMANTIQUE」からはじまったヨーロピアン三部作の最後のアルバムでもある「Cliché」において、ついにヨーロッパ録音が実現し、この路線も深化がきわまったといえる。ピアノとストリングスの演奏も美しい「夏色の服」から、最後にやはり夏のイメージが歌われた「黒のクレール」がインストゥルメンタルでリプライズする構成もとても良い。秋が深まりきるにはまだ少し時間があり、夏の余韻が完全に消え去ったとも言い難い時期に聴くのが、実は最もふさわしいのかもしれないと感じたりもする。