N.W.A.「ストレイト・アウタ・コンプトン」【Classic Albums】

カリフォルニア州コンプトンで結成されたヒップホップ・グループ、N.W.A.のデビュー・アルバム「ストレイト・アウタ・コンプトン」は1988年8月8日にリリースされ、全米アルバム・チャートで最高37位を記録した。ヒップホップ史上ひじょうに重要なアルバムの1つとして後に評価は確立されるのだが、当時のメディアにおけるヒップホップの取り上げられ方というのは東海岸偏重の傾向が強く、たとえばパブリック・エナミーやLL・クール・Jなどに比べると小さかったような気がする。当時の全米アルバム・チャートにおける最高位を見ると、同じく1988年にリリースされ、多くのメディアで大絶賛されていたパブリック・エナミー「パブリック・エナミーⅡ」が42位だったのに対し、N.W.A.「ストレイト・アウタ・コンプトン」は37位であった。そして、1990年にはパブリック・エナミー「ブラック・プラネット」が全米シングル・チャートで最高10位を記録し、初のトップ10入りを果たすのだが、その翌年にN.W.A.は「ニガズ4ライフ」で全米アルバム・チャートの1位に輝いてしまうのであった。

この辺りで日本の音楽メディアもいよいよ取り上げざるをえない感じになってきたというような印象があるのだが、もしかするとそれ以前からちゃんと取り上げているメディアもあったかもしれない。N.W.A.はグループ名からして「Niggaz With Attitude」、つまり「主張する黒人たち」の略であり、「ファック・ザ・ポリス」をはじめひじょうにリリックが過激であることが特徴、というように紹介されていたような気がする。後にギャングスタ・ラップなどと呼ばれるようになるわけだが、当初はリアリティ・ラップというつもりでやっていたのだという。

権利関係でもめるなどしてメンバーが次々と脱退していき、1991年には解散してしまったN.W.A.だが、ドクター・ドレーやアイス・キューブといったヒップホップ史における重要人物が在籍していたグループとして知られる。グループの歴史や功績については2015年の映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」でも取り上げられている。

警察官による人種差別的な行動を批判した「ファック・ザ・ポリス」は、まったく同じ問題が発売から30年以上経った現在においてもまったく解消していないからという不幸な理由によって、現在もプロテストソングとしての有効性を失っていない。ドクター・ドレーは「ストレイト・アウタ・コンプトン」のアルバム全体のクオリティーにはまったく満足していない。制作にじゅうぶんな時間があたえられなかったため、納得のいく音づくりができなかったという。

アルバムの初めから3曲目、「ストレイト・アウタ・コンプトン」「ファック・ザ・ポリス」「ギャングスタ・ギャングスタ」などは特に素晴らしいのだが、アルバム全体を通すと確かにサウンド的にチープに感じてしまうようなところもあるにはある。しかも、ドクター・ドレーのN.W.A.脱退後の作品と比較するならば、なおのことである。しかし、アルバムの最後に収録されたアラビアン・プリンスによる「サムシング・2・ダンス・2」などはエレクトロ的なシンセサウンドとフリッパーズ・ギター「ウィニー・ザ・プー・マグカップ・コレクション」でも使われていたスライ&ザ・ファミリー・ストーン「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」からのサンプリングなど、意外性もあり楽しめる。アルバム全体でいうと、「渋谷系」の人たちに人気があり、マッシヴ・アタックもカバーしていたウィリアム・デヴォーン「ビー・サンクフル・フォー・ワット・ユー・ゴット」が随所でサンプリングされているところもポイントが高い。