ブラック・グレープ「イッツ・グレート・ホェン・ユーアー・ストレート…YEAH」【Classic Albums】

ブラック・グレープのデビュー・アルバム「イッツ・グレート・ホェン・ユーアー・ストレート…YEAH」は1995年8月7日にリリースされ、全英アルバム・チャートで1位に輝いた。ブリットポップが大いに盛り上がっていた夏であり、この翌週にはブラー「カントリー・ハウス」とオアシス「ロール・ウィズ・イット」が同じ日に発売されたことによる、いわゆる「バトル・オブ・ブリットポップ」が勃発することになる。

ブラック・グレープは80年代の終わりから90年代の初めにかけて盛り上がったマッドチェスター・ムーヴメントの代表的バンドの1つ、ハッピー・マンデーズの中心メンバーであったショーン・ライダーやベズらによって結成された新しいバンドで、インディー・ロックにファンクやラップの要素を取り入れた音楽性が特徴であった。マッドチェスターの中心的なバンドといえば、他にザ・ストーン・ローゼズが挙げられるが、この前の年に約5年ぶりのアルバム「セカンド・カミング」をリリースし、売れはしたものの評価はそれほど芳しくはなかった。この年のグラストンベリー・フェスティヴァルでヘッドライナーに決まっていたが、ギタリストのジョン・スクワイアがマウンテンバイクの事故で負傷したため出演できなくなり、代役を務めたパルプが大いに受けて国民的人気バンド化するということもあった。

ブラック・グレープのライブにおいて、ベズはハッピー・マンデーズ時代と同様にひじょうに個性的なダンスを踊っているだけで目が離せないのだが、ラッパーのカーミットがなかなか重要な役割を果たしていた。先行シングル「レヴァレンド・ブラック・グレープ」は歌詞の内容が宗教的に物議をかもしたりもしたのだが、ご機嫌なハーモニカのイントロ以降、終始テンションが高く、全英シングル・チャートで最高9位のヒットを記録したのみならず、「NME」の年間ベスト・シングルではスーパーグラス「オールライト」、パルプ「ソーテッド・フォー・イーズ・アンド・ウィズ」、オアシス「サム・マイト・セイ」などを抑えて1位に選ばれていた。次にシングル・カットされた「イン・ザ・ネーム・オブ・ザ・ファーザー」もどこかオリエンタルなムードも漂うダンサブルな曲で、全英シングル・チャートで最高8位を記録した。

ブリットポップに分類はされてあいまうのだが、音楽的にはR&Bやファンク、ラップなどからの影響がひじょうに強く、それほどブリットポップ的でもなかったような気がする。日本では新宿の歌舞伎町にあった頃のリキッドルームなどでもライブをやっていて、「レザボア・ドッグス」のサウンドトラックからジョージ・ベイカー・セレクション「リトル・グリーン・バッグ」に乗せてメンバーがステージに登場、演奏がはじまったと同時に前の方ではほぼ暴動状態でひじょうに素晴らしかった。

ハッピー・マンデーズは1990年の秋にリリースされたアルバム「ピルズ・ン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス」が全英アルバム・チャートで最高4位のヒットを記録したうえに評価もひじょうに高く、ストーン・ローゼズのデビュー・アルバムと共にマッドチェスター・ムーヴメントを代表するアルバムとして知られるようになる。しかし、トーキング・ヘッズのクリス・フランツとティナ・ウェイマスがプロデュースした1992年のアルバム「イエス・プリーズ」がそれほど売れなかったうえに評価も低く、バンドは解散し、レーベルも潰れた。

ショーン・ライダーやベズなどにしてみれば、そのような状態からのカムバックということで、ブラック・グレープの活躍は大いに注目された。ハッピー・マンデーズの路線をアップデートしたような音楽性だったのだが、それがブリットポップ時代にもうまくハマった。久しぶりに聴いてみてもやはりカッコよく、とてもユニークな存在だったということが思い出される。