コーネリアス「FANTASMA」について

コーネリアスの3作目のアルバム「FANTASMA」は1997年8月6日にリリースされ、オリコン週間アルバムランキングで最高6位を記録した。おそらくその数週間前のことだったと思うのだが、土曜日の午後に渋谷のHMVにいると「FANTASMA」ではないかと思われる音楽がまだ発売前であるにもかかわらず流れていて、CDを見るふりをして最後まで聴いていた記憶がある。その渋谷のHMVというのはセンター街に面したONE-OH-NINEの建物の1階と地階にあったと記憶している。2022年8月の時点ではMEGAドン・キホーテ渋谷店になっているところである。

センター街に面した入口から入り、右側の売場はいつの間にか「渋谷系」コーナーのような感じになっていた。以前は確かDJブースのようなものがあり、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ「ギヴ・イット・アウェイ」など、普通に流行りの洋楽などが流れていたような気がする。しかし、90年代半ばあたりはいわゆる「渋谷系」に分類されるアーティストのCDやレコード、関連する雑誌などが邦楽、洋楽問わずに陳列されていたような気がする。

1997年といえばレディオヘッド「OKコンピューター」、ザ・ヴァーヴ「アーバン・ヒムス」、スピリチュアライズド「宇宙遊泳」などの年であり、「NME」「ロッキング・オン」的なトレンドはよりシリアスな方向に向かっていた印象がある。また、日本の社会を覆う空気感が決定的に暗くなった年として個人的には認識していて、これ以降元には戻らなくなった感じである。東電OL殺人事件、神戸連続児童殺傷事件、北海道拓殖銀行破綻、山一證券破綻などがこの年に起きている。また、「鬼畜系」などと呼ばれるバッド・テイストなサブ・カルチャーが若者の間で流行したりもした。

「FANTASMA」はフリッパース・ギター時代からのコーネリアスこと小山田圭吾のファンや、音楽リスナーたちの間で高く評価されていたと思われるが、翌年にはマタドール・レコードを通して海外でもリリースされ、ワールドワイドにも広まっていった。海外メディアのディスク・レヴューなどでも取り上げられがちだったが、個人的に目にしたものに限るとおおむね好評であったような気がする。また、インディー・ロック系のバンドやアーティストがシングルに収録するリミックス・バージョンを依頼する相手にトレンドがあったりもするような気がするのだが、それが一時期はコーネリアスのような感じになっていたこともあった。

先行シングルとしてリリースされていた「STAR FRUIT SURF RIDER」は「STAR FRUIT」と「SURF RIDER」という別々の2曲を同時に再生すると完成するというようななかなかおもしろいことをやっていたりして、わりと話題にはなっていた。メロディアスな歌ものとテクノ的なビートやサウンドが組み合わさったユニークなポップソングである。歌詞に猫が出てくるところもとても良い。「FANTASMA」のCDをタワーレコードでもHMVでもヴァージン・メガストアでもなく、なぜか新宿のTSUTAYAで買った。8月6日に発売されたのは初回盤で、分厚いプラスティックケースにCDとイヤフォンが入っていた。通常版は9月10日に発売されたのだが、ケースは通常の薄いタイプでイヤフォンは付いていないのだが、ボーナストラックが4曲追加収録されていた。

おもちゃ箱をひっくり返したような、という表現がよく用いられたりはするが、「FANTASMA」にはまさにそのような印象があった。驚異的な量の情報を独自の視点と感覚で編集し、作品化してしまったような軽やかさのようなものが見事だと感じた。作品のコンセプトそのものが、リスナーにとってのマインド・トリップであり、束の間の現実逃避ということかもしれないのだが、そういった意味ではカラフルでポップで素晴らしい作品だと感じることができる。特にオルタナティヴ・ロックやインディー・ポップのリスナーには、「NEW MUSIC MACHINE」のマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのような感じがたまらないわけだが、コーネリアスの甘い歌声がまたうまくハマっている。

ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」を頂点とするタイプのポップスへの志向を、「GOD ONLY KNOWS」という同名異曲をも含むこのアルバムまででやり切り、その後はよりミニマルでエッセンシャルな音楽性にシフトしていったように思えなくもない。