マイケル・マクドナルド「アイ・キープ・フォーゲッティン」【CLASSIC SONGS】

1982年10月23日付の全米シングル・チャートではジョン・クーガー「ジャック&ダイアン」が4週目の1位に輝いていたが、2位にはオーストラリア出身の注目のバンド、メン・アット・ワークのサックスも最高な「ノックは夜中に」がつけていた。3位はソフトなサウンドがコンサバティブな女子大生にも人気だったともいわれるアラン・パーソンズ・プロジェクト「アイ・イン・ザ・スカイ」、そして、4位が先週の6位から2ランクアップしたマイケル・マクドナルド「アイ・キープ・フォーゲッティン」であった。

1952年にアメリカはミズーリ州セントルイスで生まれたマイケル・マクドナルドは高校生の頃からバンド活動をはじめ、1970年にはロサンゼルスに移住、その後、スティーリー・ダンのツアーメンバーとして活動したり、アルバム「うそつきケイティ」などに参加したりもした。1975年に人気ロックバンド、ドゥービー・ブラザーズのボーカリスト、トム・ジョンスンが病気のためにバンドを離れると、一時的にその代役を務めることになるが、その後、正式なメンバーとなる。マイケル・マクドナルドの加入によって、ドゥービー・ブラザーズの音楽性はより都会的で洗練されたものになり、1978年のアルバム「ミニっと・バイ・ミニット」やシングルカットされた「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」は全米チャートで1位に輝き、グラミー賞も受賞することになった。なた、ゲストボーカリストとしても様々なアーティストの作品に参加したが、特に有名なのはクリストファー・クロスのデビューアルバム「南から来た男」である。

ドゥービー・ブラザーズは1982年に活動を休止し、マイケルマクドナルドはソロアーティストとして最初のアルバムとなる「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」を1982年8月3日にリリースした。全米シングル・チャートでは映画「ロッキー3」の主題歌、サバイバー「アイ・オブ・ザ・タイガー」が1位であった。「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」は全米アルバム・チャートで最高6位を記録し、その頃に1位だったのはジョン・クーガー「アメリカン・フール」であった。日本の「オリコン・ウィークリー」に輸入盤チャートというのが載っていて、それではマイケル・マクドナルド「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」が1位になっていた。マイケル・マクドナルドのブルー・アイド・ソウル的なボーカルはドゥービー・ブラザーズ時代からのプロデューサー、テッド・テンプルマンによる都会的で洗練されたサウンドにマッチしていて、当時の日本ではこのような音楽がAORとしてひじょうに受けていた。

しかし、一部の音楽評論家やロックファンからは軟弱でミーハーな音楽として蔑まれてもいて、マイケル・マクドナルド加入後のドゥービー・ブラザーズの作品についても、賛否両論があったりもしていた。「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」は当時、「ミュージック・マガジン」の「クロス・レヴュー」でも取り上げられていたのだが、小嶋さちほは「もうタイクツでタイクツで眠気をもよおす」と2点、中村とうようは「どうもこういう歌い方をする人はキライだ。口を大きくあけずに苦しそうに声を出して、そのワザトらしい苦しげな声がオンナ子供にウケちゃったりするような、そんな歌い方だ」と、相変わらずの個人的な好き嫌いで4点をつけている。

「アイ・キープ・フォーゲッティン」はマイケル・マクドナルドとエド・サンフォードによる共作曲だが、チャック・ジャクソンによってレコーディングされたジェリー・リーバーとマイク・ストーラーの曲に似ていたことから、クレジットに加えられることになった。バッキングボーカルはマイケル・マクドナルドの妹、モーリン・マクドナルド、演奏にはTOTOからスティーヴ・ルカサー、ジェフ・ポーカロ、グレッグ・フィリンゲインズが参加している。そして、印象的なベースラインはこの少し後にリリースされるマイケル・ジャクソン「スリラー」にも参加していたブラザース・ジョンソンのルイス・ジョンソンによるものである。

AORの名曲として懐メロ的に知られてはいたこの曲なのだが、ヒットから12年後の1994年にGファンクと呼ばれるヒップホップのアーティスト、ウォーレン・Gが「レギュレイト」で大胆にサンプリングして、全米シングル・チャートで最高2位のヒットを記録した。当時、ヒップホップとAORではあまりにもリスナー層が異なっているような気もしていたのだが、思えば「アイー・キープ・フォーゲッティン」はアダルト・コンテンポラリー・チャートで最高8位だったのみならず、R&Bチャートでも最高7位を記録し、マイケル・マクドナルドはこの曲でソウルミュージックやR&Bが主体の人気テレビ番組「ソウル・トレイン」にも出演していたのだった。

AORという音楽サブジャンルがカバーする範囲は日本と海外とではやや異なっているようなのだが、日本でAORと呼ばれているような音楽が00年代後半あたりからヨット・ロックとして再評価されるようにもなった。マイケル・マクドナルドのボーカルというのはまさにこのヨット・ロックを象徴するものの1つでもあり、2017年には当時、最もクールなアーティストの1人という印象もあったサンダーキャットの「ショウ・ユー・ザ・ウェイ」にマイケル・マクドナルドとケニー・ロギンスが参加したことも話題になった。

個人的に「アイ・キープ・フォーゲッティン」がヒットしていた頃は旭川の高校1年であり、FM北海道が開局したり「ベストヒットUSA」がやっと北海道でも見られるようになったことを嬉しく感じていた。「宝島」を読んでいてRCサクセションを追いかけているような女子が同じ学年の別のクラスにいて、当麻町から汽車で通学していた。ヘアカット100「ペリカン・ウエスト」が聴きたいのだが自分で買うのはもったいないので、買って貸すようにとなぜか高飛車にいわれたりしたのだが、そのような関係性が嫌いではなかった。しかし、レコード店に行くと気が変わってしまい、マイケル・マクドナルド「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」の輸入盤を買ってしまったことをなぜかよく覚えている。

近田春夫&ビブラトーンズがこの年の11月21日にリリースしたミニアルバム「VIBRA-ROCK」には「AOR大歓迎」という曲が収録されていたのだが、AORとニュー・ウェイヴとの間で引き裂かれる男の切実さが「いい女ってなんでこっちに来ないの?」というフレーズに込められているような気もした。