松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」【CLASSIC SONGS】

松本伊代のデビューシングル「センチメンタル・ジャーニー」は1981年10月21日にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高9位、TBSテレビ系で放送されていた「ザ・ベストテン」では最高6位を記録した。通常、新人アイドルというのは3月か4月あたりにデビューシングルがリリースされて、各賞レースの新人賞に向けて照準が合わされていくイメージがあり、秋のデビューというのは珍しいような気もする。とはいえ、この年にはテレビドラマ「3年B組金八先生」に出演して人気が出た伊藤つかさが9月1日に南こうせつ作曲の「少女人形」でデビューして、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録していた。また、11月21日には映画や写真集などですでに大人気だった薬師丸ひろ子が来生たかお作曲の「セーラー服と機関銃」でレコードデビューを果たし、オリコン週間シングルランキングで1位に輝くことになる。

70年代後半はニューミュージックが全盛だったうえに歌謡ポップス界にはビッグスターたちが君臨していたため、フレッシュアイドルがブレイクすることがなかなか難しかった。しかし、80年代に入ると田原俊彦、松田聖子のブレイクをきっかけに、フレッシュアイドルの活躍を待望するような気分が広がっていったような気がする。山口百恵が引退を発表していて、「ポスト百恵」は誰かというようなことが話題になりがちであった。そして、時代がなんとなくライトでポップな感覚を求めていたようなところもあり、YMOことイエロー・マジック・オーケストラに代表されるテクノポップ、B&B、ザ・ぼんち、ツービート、島田紳助・松本竜介などの漫才などが若者を中心に支持をあつめていた。山下達郎「RIDE ON TIME」がカセットテープのテレビCMからヒットして、シティ・ポップ的なサウンドが本格的にお茶の間化したのもこの年であった。

1981年になると松田聖子、田原俊彦、近藤真彦が新曲を発売する度にヒットチャートの上位にランクインして、河合奈保子もコンスタントにベスト10入りするようになり、柏原よしえも7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」でついにブレイクを果たした。松本伊代が「センチメンタル・ジャーニー」でデビューしたのはこういったタイミングであり、松田聖子「風立ちぬ」、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」などが大ヒットしていたのだが、オリコン週間シングルランキングではニューミュージックの中島みゆき「悪女」が1位に輝いたりもしていた。洋楽ではAORのマーティ・バリン「ハート悲しく」が、ラジオでよくオンエアされていたような気がする。

松田聖子が福岡県、河合奈保子、柏原芳恵が大阪府出身と、当時の人気アイドルには地方出身者が多かったのだが、松本伊代は東京都の出身であった。秋にデビューしたアイドルは、賞レースの新人賞では翌年の対象になる。そして、1982年には人気アイドルがたくさんデビューして、「花の82年組」などと呼ばれるようになる。松本伊代は1981年にデビューしていたのだが、「花の82年組」の1人でもある。中森明菜、小泉今日子、早見優、堀ちえみ、石川秀美、三田寛子など、錚々たる顔ぶれである。この中でも中森明菜だけが東京都出身なのだが、多摩地域北部の清瀬市であり、松本伊代が東京23区の出身だったことはやはり少し特別だったような気もする。1986年におニャン子クラブが「会員番号の唄」をリリースした時、メンバーは会員番号33番の布川智子までだったが、会員番号11番の福永恵規が「東京在住は私だけ」と歌っていた。そして、福永恵規は松本伊代と同じボンド企画に所属していた。

松本伊代は中学3年生の時に原宿でスカウトされたことをきっかけにデビューすることになるのだが、けして芸能界に興味がなかったというわけでもなく、1980年には第5回ホリプロタレントスカウトキャラバンに応募して、落選したりもしている(この時のグランプリは、札幌出身の林紀恵であった)。「たのきん全力投球!」で田原俊彦の妹役を演じた後にレコードデビューとなったが、ロッテガーナチョコレートのCMに出演するなど、すでにかなり人気はあった。CMやグラビアではセーラー服姿であることも多く、キャッチコピーは「瞳そらすな僕の妹」であった。「センチメンタル・ジャーニー」のB面に収録されていたのは「マイ・ブラザー」という曲で、「お兄ちゃんだけには 嘘はつかないわ」「あの人の横顔がお兄ちゃんに似ていた」と歌われている。後に明らかになるコミカルなキャラクターはまだ発揮されていなく、正統派美少女というイメージで売り出されていたような気がする。

「伊代はまだ16だから」というフレーズがあまりにも印象的なこの曲だが、湯川れい子による歌詞がまずはじめにできていて、筒美京平のピアノで松本伊代が歌いながらメロディーがつくられていったという。「スウィート・リトル・シックスティーン」「シックスティーン・キャンドルズ」など、16歳にはオールディーズのイメージがなんとなくあるが、「センチメンタル・ジャーニー」にもアメリカンポップス的な魅力が感じられた。湯川れい子といえば当時の洋楽リスナーにとっては、ラジオ関東「全米トップ40」のメインパーソナリティーとして知られてもいたのだが、作詞家としてはやはりアメリカンポップス的なシャネルズ「ランナウェイ」などで有名であった。

NHKは公共放送であるため、特定の企業の宣伝になりかねない歌詞は歌うことができないといわれていて、有名なところでは山口百恵「プレイバックPart2」における「真紅なポルシェ」が「真紅なクルマ」に変えて歌われたという例があった。しかし、実際にはその後、「NHK紅白歌合戦」に出演した時などには「真紅なポルシェ」とも歌われている。「ポルシェ」は確かに企業名なのでこれについては分からなくもないのだが、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」の「伊代はまだ16だから」も、松本伊代個人の宣伝にあたるとして、「私まだ16だから」と歌われていたのはよく分からなかった、これも後にはNHKの番組でも「伊代はまだ」と歌われるようになっている。

松本伊代は声質にひじょうに特徴があり、それが魅力にもなっているのだが、いわゆる典型的なアイドル歌手的ではないともいえる。それで、やはり声質が個性的なロニー・スペクターのボーカルをフィーチャーしたロネッツのカセットテープを教材として渡されていたという。「センチメンタル・ジャーニー」においては、いかにも松本伊代らしいボーカルスタイルというものがまだ確立されきっていなく、より低めでハスキーな声質が個性として生かされている。「読み捨てられる雑誌のように 私のページがめくれるたびに 放り出されてしまうのかしら」というフレーズには、アイドルという存在の束の間の輝きや儚さと少女の不安な心情とが重ね合わされてもいるようでとても良い。「センチメンタル・ジャーニー」というコンセプトそのものがリリースされた秋の季節にふさわしくもあるのだが、「何かに誘われて」「あなたにさらわれて」などとのところでは、最後に小さな「ん」の音が発声されているようにも聴こえ、これがたまらない魅力になっているように思える。

「センチメンタル・ジャーニー」を作曲した筒美京平は松本伊代の声について、「はっきり言って美声ではないが、実にユニークな響きのある声、ちょっと甘えっぽく、少年的でもある伊代さんの声が私は大好きです。『真夏の出来事』を唄った平山三紀(現・平山みき)も低くブツブツ切れる様な声、少年時代の郷ひろみの妙に鼻に抜ける声と共に、私の好きな三大ヴォイスのひとつです」と評している。

この曲のインパクトがあまりにも大きかったため、それは松本伊代にとって重圧にもなり、一時期は封印していたこともあっただが、いまではこの曲が歌えたことに感謝しているという。

いまをときめく大人気シンガーソングライター、あいみょんが音楽特番「THE MUSIC DAY 2021」に出演した際に、特に好きな4曲として小沢健二「ラブリー」などと共に松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」を挙げていたことに意外性を感じてもいたのだが、筒美京平のことを考えるとわりとしっくりくるのであった。