フリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」が発売31周年を迎えたことなどについて

フリッパーズ・ギターの3作目にして最後のオリジナルアルバム「ヘッド博士の世界塔」は1991年7月10日に発売され、オリコン週間アルバムランキングでは、渡辺美里「Lucky」、森高千里「ザ・森高」、矢沢永吉「Don’t Wanna Stop」、とんねるず「みのもんたの逆襲」、山下達郎「ARTISAN」、Wink「Queen of Love」、ASKA「SCENE Ⅱ」に次ぐ8位に初登場し、結局これが最高位となった。それから約28年後、2019年に創刊50周年を迎えた「ミュージック・マガジン」は「50年の邦楽アルバム・ベスト100」という特集を組むのだが、「ヘッド博士の世界塔」は12位、1990年代以降にリリースされたアルバムとしては、ゆらゆら帝国「空洞です」、フィッシュマンズ「空中キャンプ」、岡村靖幸「家庭教師」に次いで、4番目に高い順位に選ばれていた。

Apple Musicが2015年、Spotifyが2016年に日本でもサービスを開始し、定額制ストリーミングサービスが音楽再生のメインストリームとなっていくのだが、フリッパーズ・ギターのオリジナルアルバムでは唯一、「ヘッド博士の世界塔」だけがカタログに追加されていない。ストリーミングだけではなく、ダウンロード販売もされていないのだが、CDはごく常識的な価格で購入することができるので、新しいリスナーが初めて聴くにあたってのハードルは、飛び抜けて高すぎるというわけでもない。しかも、シングルでリリースされた「GROOVE TUBE」「星の彼方へ」はストリーミングサービスで聴けるのみならず、YourTubeでミュージックビデオを視聴することもできる。

当時のJ-POPとは一線を画した音楽性でありながら、フリッパーズ・ギターは音楽やライフスタイルについての雑誌をはじめ、メディアにはよく登場していたイメージである。都会的に洗練され、スタイリッシュでもある一方で、地方の新しもの好きにアピールするだけの大衆性を持ち合わせてもいた(というふうに聞いている)。たとえば、フリッパーズ・ギターの音楽性のコアに深く関連しているといわれる、マイナーでニッチな音楽を好む人たちに好まれながら、より一般大衆的な読者層に支えられてた「ロッキング・オンJAPAN」「宝島」などにも好意的に取り上げられていたということがひじょうに大きい。音楽性のみならず、ファッションやルックス、メディアでの言動や振る舞いも、その人気の大きな要因にはなっていたような気がする。

フリッパーズ・ギターのデビュー・アルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」は1989年8月25日に発売され、収録曲はすべて英語の歌詞で歌われていた。そこそこ話題にはなっていて、とても趣味が良いと見なされがちな人たちに愛好されていたような気はするのだが、J-POPという感じではまったくなかったように思える。また、1989年といえば平成元年であり、「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」などによって、バンドブームが全国のお茶の間に広がっていった年としても知られる。ザ・ブルーハーツやBOØWYといった、80年代後半に絶大な支持を得たロックバンドたちの影響下にあるようなシーンであった。フリッパーズ・ギターの音楽は海外のインディー・ポップやネオ・アコースティックと呼ばれがちな音楽から強く影響を受けているようで、バンドブーム下の日本のロックバンドともまったく異なったものであった。

1990年にテレビドラマ「予備校ブギ」の主題歌として、フリッパーズ・ギターはシングル「恋とマシンガン」をリリースするのだが、この曲で初めて日本語の歌詞を歌うことになる。音楽性は映画「黄金の七人」のサウンドトラックからもインスパイアされたりと、やはり当時のJ-POPとはまったく異なるものではあったのだが、歌詞が日本語で、しかもひじょうに個性的かつ良かったことから、新しいタイプのJ-POPとしても広く受け入れられることにもなって、オリコン週間シングルランキングで最高17位のスマッシュヒットを記録した。この曲を収録したアルバム「カメラ・トーク」が翌月にリリースされると、オリコン週間アルバムランキングの6位に初登場した。その音楽性を考えるときわめて異例のヒットだといえたのだが、これがその後の音楽リスナーやポップ・カルチャーなどにひじょうに大きな影響をあたえたと思われる。

フリッパーズ・ギターは海外のインディー・ポップなど、日本の一般大衆からしてみると、わりとマイナーでニッチな音楽から影響を受けていたのだが、よりメジャーなザ・スタイル・カウンシルやアズテック・カメラなどの要素も分かりやすく消化していて、そもそもその辺りの音楽を愛好していながらも、そういったベクトルで日本のアーティストやバンドには一切、何の期待もしていなかった人たちが、日本人にもこんな音楽ができるのか、と驚きをもって迎えたというところはあったのではないか。しかも、単なるものまねではなく、血肉化したうえで新しいJ-POPとしてオリジナルなものをつくり上げているところがすさまじく、秘かに同じようなものを目指していた人たちのほとんどはその圧倒的な才能に絶望したのではないだろうか。

そして、より重要なのは、インディー・ポップもネオ・アコースティックもよく知らないのだが、フリッパーズ・ギターが他のJ-POPのアーティストやバンドとは違っていて、何だかとても好きだなと感じたいたいけな若者たちである。彼女や彼たちはフリッパーズ・ギターのCDを聴き、雑誌のインタヴューを読み、ラジオ番組を聴いたりしているのみならず、ファッションを真似たり、薦めているレコードを探したり、そのうちミニコミ雑誌をつくったり、DJイベントをオーガナイズする人たちまであらわれるようになった。

フリッパーズ・ギターは1991年3月20日にシングル「GROOVE TUBE」をリリースし、これが「ヘッド博士の世界塔」の先行シングルとなるのだが、この曲についてはダンス・ビートの導入が話題として取り上げられがちであった。それまでのフリッパーズ・ギターはネオ・アコースティックのアーティストとして語られがちだったが、アルバム「カメラ・トーク」の時点でその音楽性はネオ・アコースティックやインディー・ポップだけではなく、シンセ・ポップやサーフ・ロック、ボサノバにジャズなど様々な要素を取り入れたものであった。そして、J-POPのメインストリームとはほとんど関係がない一方で、海外、特にイギリスのインディー・ロックのトレンドには同時代的に共鳴しているようであった。

当時、イギリスではインディー・ロックとハウス・ミュージックの要素がミックスされたような、マッドチェスターとかインディー・ダンスとか呼ばれるような音楽が流行していて、それを考えると、フリッパーズ・ギターが「GROOVE TUBE」でダンス・ビートを取り上げたのは、ごく自然な流れのように思えた。たとえばスコットランド出身のインディー・ロック・バンド、プライマル・スクリームは80年代後半にデビューした頃は「C86」などとも呼ばれるインディー・ポップ的な音楽をやっていたのだが、90年代にはハウス・ミュージックを取り入れたシングル「ローデッド」をヒットさせたりしていた。

「ヘッド博士の世界塔」発売に先がけて、「奈落のクイズマスター」がシングルとしてリリースされていたわけではないのだが、メディアでは公開されていたような気がするのだが、記憶が定かではない。この曲がプライマル・スクリーム「ローデッド」にインスパイアもされているのではないか、と思わせるようなものであった。「remix」という音楽雑誌は海外のアーティストやバンドが表紙になることが多かったのだが、フリッパーズ・ギターは日本のアーティストであるにもかかわらず表紙になっていて、この時のインタヴューだったかは覚えていないのだが、プライマル・スクリームについて好意的に語っていたような気がする。

プライマル・スクリームが「ローデッド」をリリースしたのは、フリッパーズ・ギター「恋とマシンガン」よりも早い1990年2月のことだったのだが、「ヘッド博士の世界塔」発売の前月にあたる1991年6月にはシングル「ハイヤー・ザン・ザ・サン」をリリースしていた。この曲はアンビエント・テクノのジ・オーブとのコラボレーションとなっていて、インディー・ロックとハウス・ミュージックをミックスさせた音楽性をさらに先へと進めるものであった。当時から30年以上が過ぎた現在、ポップ・ミュージック史上において、「ローデッド」は「ハイヤー・ザン・ザ・サン」よりもエポックメイキングだったということはできるが、当時の印象としては「ハイヤー・ザン・ザ・サン」の方がよりプログレッシヴであり、ポップ・ミュージックの最新型をアップデートしたかのような感覚があった。

「ヘッド博士の世界塔」に収録された「アクアマリン」には、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが1991年2月にリリースしたEP「トレモロ」から「トゥ・ヒア・ノウズ・ホエン」にインスパイアされたのではないかと思われるところもある。この曲が収録されたマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのアルバム「ラヴレス」は1991年11月、プライマル・スクリームの「ローデッド」「ハイヤー・ザン・ザ・サン」を収録した「スクリーマデリカ」は1991年9月にそれぞれ発売され、いずれもポップ・ミュージック史における歴史的名盤として知られるようになるのだが、発売順としては「ヘッド博士の世界塔」よりも少し後ということになる。

Apple MusicやSpotifyといった定額制ストリーミングサービスで「ヘッド博士の世界塔」が配信されていない理由について、公式的には発表されていないのだが、サンプリング音源についての権利問題がかかわっているのではないかといわれがちである。プライマル・スクリームやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインといった、当時における同時代のインディー・ロックバンドだけではなく、ビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズ、スライ&ザ・ファミリーストーンなどをはじめ、歴史的名盤的な音楽からの影響を取り入れ、タイトルは「ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!」から取られていたりもする。

圧倒的な情報量が詰めこまれたサンプラデリックなポップ・ミュージックであり、「カメラ・トーク」に続いて日本語の歌詞には、週末に向かっていくような感覚もある。このアルバムがリリースされた数ヶ月後に突然、解散したことからの逆算でそう感じられるのであり、初めて聴いた時からそう思っていたというわけではない。とはいえ、「ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり」というフレーズは、あまりにも示唆的である。しかも、「イルカが手を振ってるよさよなら」であり、「逆さに進むエピローグ」である。

フリッパーズ・ギターを解散した後、メンバーだった2人はそれぞれがソロ・アーティストとして、ひじょうに重要な作品をつくり続けている。フリッパーズ・ギター時代からのファンにも、当時からずっと支持し続けている人たちが少なくはなく、そのファンダムはひじょうに強固なものだとはいえる。表面的にはクールでスタイリッシュに見えがちではあるのだが、きっかけによっては先鋭化もしかねない可能性をはらんでいることが見受けられ、しかし、それは作品の本質とは関係がなく、だからこそ純粋に再発見され続けるべきであろう。

ここでいうところの「夏休み」がもう終わっているのかまだ終わらっていないのか、もしくはそもそも終わらせるつもりがあるのか無いのかがあやふやな状態でこのアルバムを聴くのと、いまや完全に終わってしまい、望むと望まざるとにかかわらず、二度と元には戻ることがないというか、実はもうとっくに終わっていたのだと認識したうえでそうするのとではやや違うような気がしているのだが、実は後者の方が味わい深いのではないかと、いまは思えなくもない。