「リベンジ・スワップ」【Film Review】

「リベンジ・スワップ」はNetflixで2022年9月16日に配信がはじまった現在のところ新作映画である。これが日本でも同時に字幕つきで見られるというのがとても良い。いわゆるアメリカの金持ちのご子息が通う名門私立ハイスクールものである。このタイプの映画やテレビ番組には、一定の需要がずっとある。たとえ自分たちの生活とはかけ離れていたとしても、そこにはある意味において健全な憧れ、あるいはそういった憧れにまつわるノスタルジーのようなものもあるのだろうか。

それはそうとして、たとえば1995年に公開され、アリシア・シルヴァーストーンをスターにした学園コメディー映画「クルーレス」をクラシックだと認めるのにやぶさかではなく、何年かに一度は見直してしまうようなタイプの人たちや、ウィノナ・ライダーが主演した1988年の青春映画「ヘザース/ベロニカの熱い日」のダークさが好きな人たちにとっては、それらの感覚を2022年的にアップデートしたような作品として楽しめるかもしれない。

青春時代が夢などということは後からほのぼの思うことであり、青春時代のまん中においては胸にとげをさすようなことばかりである、というようなことを1970年半ばの日本では北海道留萌市出身の森田公一という作曲家でありシンガーがトップギャランというバンドを率いて大ヒットさせていたのだが(作詞はピンク・レディーの数々のヒット曲などで知られる阿久悠である)、そういった青春時代における正直しんどい現実というのをポップに描いているのが、この作品の表向きのイメージである。いわゆるスクールカーストものというのだろうか、学園においていかにイケているかということについてのバトルのようなものであり、それはアメリカの有名私立ハイスクールともなると熾烈をきわめるということである。

いまどきらしく、これにSNSにおける動画の拡散であったり、ポリティカルコレクトネスを最低な目的のために利用するなどいうような要素も入ってくる。大人や関係のない人たちから見ると、何をばかばかしいことに必死になっているのだろうかと思えるところもあるのかもしれないが、当人たちにとってはおそらく深刻な大問題である。これらが復讐劇へとつながっていくのだが、この展開がなかなかめくるめくものであり、しかも油断していると思いもよらずなかなか複雑なことになっていたりもして驚かされる。アルフレッド・ヒッチコックの1951年のサイコスリラー映画「見知らぬ乗客」をうっすらと下敷きにしているらしく、表面的なポップさも最高だがなかなかのミステリー要素も楽しめる作品となっている。

そして、ポップ・ミュージックファンにとっては、サウンドトラックも最高に楽しめる。オールドタイマーにとっては、ファットボーイ・スリム「プレイズ・ユー」、ホール「セレブリティ・スキン」といった90年代後半のクラシックスが2022年の青春映画に生き生きと使われているところがとてもうれしくもあるわけなのだが、これらがオリヴィア・ロドリゴだとかビリー・アイリッシュの新しめの楽曲と一緒になっているところにプレイリスト世代のリアリティーを感じたりもする。そして、1995年の夏に日本では公開されヒットしたウォン・カーウァイ監督の香港映画「恋する惑星」のエンディングで聴くことができるフェイ・ウォンの「夢中人」は最高だったのだが、よく知られているようにクランベリーズ「ドリームス」のカバーである。そして、この「リベンジ・スワップ」ではクランベリーズの「ドリームス」がとても良い感じで使われていて、これだけダークでもある内容ではあるのだが、見終わった後のなぜか思いのほか爽やかな気分にも影響しているような気もする。

確かにいまどきらしい作品ではあるのだが、裏テーマ的に「クルーレス」「恋する惑星」世代をも秘かに狙い撃ちしているのではないかと感じてしまうのは、自意識過剰がすぎるかもしれないが、それだけとても楽しめたということである。