映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」
スパイク・リー監督の映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」はアメリカで1989年6月30日、日本では1990年4月21日に公開された。1988年にリリースされたアルバム「It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back」こと邦題「パブリック・エナミーⅡ」が高評価だったヒップホップ・グループ、パブリック・エナミーの新曲「ファイト・ザ・パワー」が主題歌で使われているということで注目されてもいた。日比谷シャンテシネで公開されてから、わりとすぐに見にいった記憶がある。以来、生涯で見た中で最も好きな映画ランキングの上位には常に入っていて、1位であることも少なくはない。ビデオカセットでもDVDでも買って、Blu-rayは買っていないが、U-NEXTの無料トライアルを申し込んだ時にもわりと真っ先にこれを見たはずである。当時、日比谷シャンテにはよく行っていて、ジム・ジャームッシュやアキ・カウリスマキなどの、いわゆるミニ・シアター系の映画を好んで見ていた記憶がある。この頃に映画をよく見にいくようになったのは、「ロックング・オン」から1989年に新創刊された、雑誌「Cut」の影響がひじょうに大きい。また、日比谷シャンテといえば、1989年2月11日から放送が開始され、バンドブームの大衆化に拍車をかけたともいわれるTBSテレビ系の「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」もここから中継されていたような気がする。
アメリカのブルックリンを舞台に、人種間の対立をテーマにした作品となっているのだが、社会的に想いテーマを扱っていながら、ポップでコミカルなところもあり、それだけにエンディングが心に残り、いろいろ考えさせられたりもしたのであった。そして、公開から30年以上も経過した後でも、この作品がテーマにした問題というのは、まったく解決していない。アメリカの「ローリング・ストーン」誌が2021年にアップデートした歴代ベスト・シングルのリストでは、アレサ・フランクリン「リスペクト」に次いで、2位にパブリック・エナミー「ファイト・ザ・パワー」が選ばれている。全体的に「BLM(Black Lives Matter)」や「#Me Too」を通過したポリティカル・コレクトネスな気分が影響していることには間違いがなく、これについては様々な意見もあるのだが、個人的にポップ・ミュージックの社会との関係性という側面にもひじょうに関心があるため、わりと妥当な流れなのではないかとも感じている。そして、同じく「ローリング・ストーン」誌が2022年には80年代の映画ベスト100のリストを発表するのだが、ここではデヴィッド・クローネンバーグ監督の「ヴィデオドローム」を抑えて、「ドゥ・ザ・ライト・シング」が1位に選ばれている。
「ファイト・ザ・パワー」も「ドゥ・ザ・ライト・シング」も当時から大好きで、個人的なオールタイム・ベスト的なリストではわりと上位に入れてきたのだが、一般的には評価は高いもののかなり上位にランクインするわけでもなく、ここにほんのりと個性が出ているようでもあって、なかなか悦に入ってもいたのだが、「ローリング・ストーン」誌のメディアがそれ以上に高く評価するようになってしまったので、もちろんベーシックにはうれしいのだが、なんだか絶妙に微妙な思いもある。アメリカよりもかなり遅れて公開されたということは当時も認識していたのかどうかははっきりと覚えていないのだが、それほど待ちに待ったという感じでもなかった。他にも見たいものや見なければいけないものが、たくさんあったからかもしれない。そして、映画の内容からも暑い真夏の印象がひじょうに強いのだが、実際に見たのはそれよりも少し前である。それよりも、1990年の夏といえば、高岡早紀が主演した「バタアシ金魚」がいかに好きかということばかりを話していたようなような気がする。
この映画の舞台となっている地域には黒人が数多く住んでいるのだが、ここでイタリア系の父と息子がピッツァの店を営んでいて、地元の人たちからの評判もひじょうに高い。主人公のムーキーを監督でもあるスパイク・リー自らが演じているのだが、さすがにとても若い。この映画のサウンドトラックといえば、パブリック・エナミー「ファイト・ザ・パワー」がもちろんあまりにも強烈な印象を残しているわけだが、ミュージシャンでもあったスパイク・リーの父も参加している。また、スパイク・リーの妹役を演じているべっぴんさんも、スパイク・リーの実の妹である。ピッツァの店の主人役にはロバート・デ・ニーロにオファーが出されたようなのだが、スケジュールの都合などで断られたらしい。この役で出演したダニー・アイエロは、アカデミー助演賞にノミネートされた。
主人公のムーキーはこのピッツァの店で働きながら、妹と一緒に住んでいるのだが、とにかく暑いということが強調される。そういったシーンで、この映画もはじまる。そのことを街のディスクジョッキーがラジオで伝える。それだけではなく、ブースのようなものが街の中にあって、そこからずっと放送されている。途中、このDJがいろいろな黒人アーティストの名前を挙げていくのだが、文字数の関係で日本語字幕に起こされている人たちとそうではない人たちがいる。ソウル・ミュージックやヒップホップ、ジャズなど様々なジャンルのアーティストが挙げられるが、シャーデーもその中に入っていたような気がする。アルフレッド・ヒッチコックの作品か何かで、気温の高さと殺人事件が起こる数には関連性があるというような説を扱ったものがあったらしく、スパイク・リーはそれにインスパイアされて「ドゥ・ザ・ライト・シング」を書いたともいわれる。その他に警官による黒人に対する暴力事件なども影響していたといわれ、元となった脚本は2週間ぐらいで書かれたらしい。
街には様々なキャラクターが住んでいて、それぞれ個性がひじょうに強い。毎日を楽しく生きようとしているのだが、その中に確実に存在する人種間の対立についても、仄めかすようにして描かれている。市長と呼ばれる老紳士が昼間から酒を飲みながら街をふらついていて、団地のようなところの窓から外を見ていることが多いマザー・シスターと呼ばれる女性に好意をいだいているようである。これらの役を演じていたのは実際のカップルであり、スパイク・リーの父の友人だったという。また、バギン・アウトという過激派のような男もいて、彼はエンディングにおける悲劇の引き金ともなった人物である。ラジオ・ラヒームと呼ばれる巨漢の男は、いつも大きなラジカセをかかえ、パブリック・エナミー「ファイト・ザ・パワー」を大音量で流している。プエルトリカンのような若者たちが自分たちの音楽をやはりラジカセで聴いているところを通りかかり、音量を上げ合って勝負したりもするのだが、最後にラジオ・ラヒームが勝つというようなシーンもあった。この大きなラジカセはブームボックスなどとも呼ばれ、ある意味においてラジオ・ラヒームのアイデンティティーであったともいえる。ラジオ・ラヒームは「LOVE」と「HATE」の指輪をつけている。
ピッツァの店で働いているイタリア系の兄弟のうち、兄の方は黒人に偏見をいだいていて、父に早くこの街を出ていこうと提言したりもするのだが、父はこの街で人々が自分が焼いたピッツァを食べ、大人になっていくのを見ることに誇りを感じているという。弟はムーキーとわりと仲よくしていて、兄にとってはそれも気に入らないようである。街で昼間から酒を飲みながら、ずっとくだらないことばかりを話している中年たちがいて、陽気でとても良い感じなのだが、パトカーで白人警官が通る時に見せる表情がリアルに感じられたりもする。ピッツァの店の向かい側では、韓国人がコンビニエンスストアのような店を営んでいる。この映画に登場する様々な人種の人々がお互いを罵り合い、ディスクジョッキーがそれにストップをかけるシーンなども印象的である。このピッツァの店とコンビニエンスストアのような店は何もないところに、セットとしてつくられたものだが、特にピッツァの店の方は実際にピッツァが焼けるようにもなっていて、役者が繰り返し調理をしてもいたという。スティール・パルスのレゲエが流れているシーンは、やはりとても暑い日を描いているのだが、人々が消火栓を抜いて放水で盛り上がっていて、車で通りかかったなんとなく偉そうな人を水びたしにするシーンなども、わりと爽快でとても良い。
エンディングについては、若かりし頃には完全にムーキーたちの陣営に感情移入して、ひじょうにエキサイトして見てもいたのだが、年を取るにつれ、イタリア系のピッツァの店主、サルの方にも感情移入するようになってきた。いずれにしても理不尽で愚かなことには違いがなく、実際にはひじょうに難しいとしても、レイシズムは根絶されるべきだと強く感じさせられるのである。