デヴィッド・ボウイ「ジギー・スターダスト」
デヴィッド・ボウイの5作目のアルバム「ジギー・スターダスト」は、1972年6月16日にリリースされた。亡くなる2日前にあたる2016年1月8日にリリースされた「ブラックスター(★)」に至るまで、そのキャリアにおいて名盤と呼ぶに相応しい様々なタイプのアルバムをリリースしてきたデヴィッド・ボウイだが、最大公約数的に最も評価が高いのはいわゆるグラム・ロック時代の代表作である「ジギー・スターダスト」なのではないかと思える。必然的に様々なメディアのオールタイムベストアルバム的なリストにも選ばれている頻度がひじょうに高い。一般的には「ジギー・スターダスト」というタイトルで親しまれているのだが、原題はひじょうに長く、直訳すると「ジギー・スターダストとザ・スパイダーズ・フロム・マーズの興隆と衰退」というようなものである。ジギー・スターダストはデヴィッド・ボウイがこのアルバムで演じていた架空のロックスターで、ザ・スパイダーズ・フロム・マーズはそのバックバンドである。当時の邦題はこのあたりまで和訳した「屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群」というものだったようだ。
それはそうとして、コンセプトアルバムとかロックオペラなどとも評されることが多いこのアルバムなのだが、初めからそういうつもりで制作されたわけではなく、レコーディングされた楽曲の間に共通点が多く感じられたことなどから、最終的にこうなったようだ。人類があと5年で滅亡するという危機的状況の時に、火星からやってきたロックスター、ジギー・スターダストが希望を歌い大人気となるのだが、やがて自らのエゴが肥大化したことなどにより潰れていくという、その過程を描いた内容となっている。設定そのものは近未来的でもあるのだが、そこにはロックンロールの商業化であったり、スターシステムの華やかではあるが空虚な側面などが批評的に取り上げられてもいる。音楽的にはオールディーズやロックンロール、あるいはジュディ・ガーランド「虹の彼方に」のようなスタンダードナンバーからの影響も感じられ、グラムロック的であるのと同時に後のパンクロックにも通じていくように思える。
デヴィッド・ボウイの初のヒット曲は1969年の「スペース・オディティ」で、これはスタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」にインスパイアされてつくられ、アポロ11号の月面着陸にタイミングを合わせてリリースされた。全英シングル・チャートでは最高5位のヒットを記録したが、1975年にはこれをさらに更新して1位に輝いたのであった。それから後に主演映画のタイトルにもなる「地球に落ちてきた男」などもそうなのだが、デヴィッド・ボウイにはSF的なイメージをモチーフにした作品が以前から多かったということである。「スペース・オディティ」はヒットしたものの、その後は商業的にそれほど成功していたとはいえず、1971年12月17日にリリースされたアルバム「ハンキー・ドリー」も批評家には概ね好評だったものの、全英アルバム・チャートにはランクインすらしていなかった。このアルバムにはキーボーディストとしてリック・ウェイクマンが参加していて、これ以降も打診をされるのだが、プレグレッシヴロックバンド、イエスへの加入などもあって断っている。これが自作にあたる「ジギー・スターダスト」をよりギター・オリエンティッドな作品にする原因にもなったのかどうかは定かではないのだが、ミック・ロンソンのギターは重要視され、サウンドのグラムロック化にさらに拍車がかかったようにはなんとなく思える。
ジギー・スターダストというキャラクターについて、ネーミング的にジギーはザ・ストゥージズのボーカリストであったイギー・ポップ、スターダストはテキサスのアーティスト、レジェンダリー・スターダスト・カウボーイにインスパイアされたものだといわれがちだが、実際にはよりいろいろなものから影響されているようだ。特にジギー部分については、デヴィッド・ボウイが電車に乗っていてたまたま見かけた仕立て屋の店名から取られたともいわれている。「ハンキー・ドリー」発売後のインタヴューにおいて、デヴィッド・ボウイはゲイであることを告白し、当時は現在とは違って衝撃的だったとは思うのだが、これがジギー・スターダストの両性具有的なキャラクターにも反映している。
「ジギー・スターダスト」が発売された当時、批評家の評価は賛否両論だったという。「スターマン」はアルバムからの先行シングルとして4月28日には発売されていて、高評価を得てはいたのだが、すぐにヒットしたわけではなかった。アルバムが発売された後の7月6日放送分の人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」にデヴィッド・ボウイは出演し、「スターマン」をパフォーマンスした。当時としてはかなりインパクトが強い両性具有的なファッションとイメージが視聴者に衝撃をあたえ、それから急に売れはじめていったのだという。「スターマン」は全英シングル・チャートで10位まで上がり、デヴィッド・ボウイにとって「スペース・オディティ」以来のヒットとなるのだが、アルバムも長い間にわたって売れていき、全英アルバム・チャートで最高位の5位に達したのは、1973年になってからであった。これらの成功によって、過去のアルバムも売れはじめることになっていったようだ。
デヴィッド・ボウイはジギー・スターダストのキャラクターを演じてツアーも行い、やがてリアルな自分自身との区別がつかないという苦悩を吐露するような状況にもなっていった。また、今後のキャリアがジギー・スターダストのイメージに固定されることへの不安や恐怖心もあったようである。それで、アルバム発売の翌年である1973年にはジギー・スターダストのキャラクターを捨て去ることを宣言し、これがまた話題になったりもした。その後も様々な音楽性やキャラクターによって、素晴らしい作品を世に送り出していくのだから、本当にすごいことである。その上で、最も評価されているのはやはり「ジギー・スターダスト」だということができるし、楽曲そのもののクオリティーもひじょうに高い。さらに人類滅亡を目前にしたディストピア的状況における希望というようなテーマが、まったく古びていないというところもこのアルバムの現役感につながっている。
アルバムジャケットに使われている写真は、当初はモノクロで撮影されたものに着色したのという。「K.WEST」という表示が出ている店は実在のもので、当時はデヴィッド・ボウイのアルバムジャケットに写り込んでいることに対してクレームもあったのだが、そのうちなくなったとされている。この表示そのものはすでに設置されていないのだが、デヴィッド・ボウイのファンなどにとっては聖地として知られていて、観光客などが訪れては写真を撮ったりしているようである。
80年代に洋楽を聴きはじめた中学生などにとって、リアルタイムでのデヴィッド・ボウイ体験といえばクイーンと共演した「アンダー・プレッシャー」やディスコ・ポップでMTV的な「レッツ・ダンス」だったりもするのだが、デュラン・デュランなどのニュー・ロマンティックス勢がデヴィッド・ボウイからの影響を明らかに受けていたり、「ジギー・スターダスト」のドキュメンタリー映画がビデオ化されたことなどから、音楽雑誌などでも取り上げられることがわりと多く、グラム・ロック時代が最も評価が高いことなどは、教養としてなんとなく知ることができた。山本寛斎の洋服を好んでいたり日本文化に好意的であること、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」で坂本龍一やビートたけしなどと共演していたことなども、日本での一般大衆的な知名度を高めることにつながっていたように思える。