バグルス「ラジオ・スターの悲劇」【CLASSIC SONGS】

1979年10月20日付の全英シングル・チャートでは、バグルス「ラジオ・スターの悲劇」がポリス「孤独のメッセージ」を抜いて、初の1位に輝いていた。この曲は当時、日本のラジオでもよくオンエアされていて、オリコン週間シングルランキングでは最高25位を記録していた。イギリス以外にフランス、イタリア、スペイン、オーストラリアなど様々な国のシングル・チャートで1位に輝いたのだが、全米シングル・チャートでは最高40位であった。しかし、この翌々年、1981年8月1日に音楽専門のケーブルチャンネル、MTVが放送を開始した時に最初にオンエアされたのはこの曲のビデオであった。ビデオがラジオ・スターを殺した、と歌われるこの曲はミュージックビデオ全盛の時代を予見していたともいえるが、実際にMTVの流行によってヒット曲のタイプはかなり変わってしまったように思える。

1949年7月15日にイギリスのダラムで生まれたトレヴァー・ホーンはいくつかの仕事を経験した後に、音楽業界で生きていこうと決意をする。ミュージシャンやプロデューサー、コンポーザーとして活動し、1977年にジェフリー・ダウンズ、ブルース・ウーリーとバグルズを結成する。「ラジオ・スタの悲劇」は最初、ブルース・ウーリー&カメラ・クラブの楽曲としてリリースされた(キーボードを弾いていたのはトーマス・ドルビーである)が、その後に出たバグルスのバージョンの方が大ヒットした。この時、トレヴァー・ホーンはすでに30歳であった。

バグルスの音楽やイメージはポップ感覚に溢れ、すべてが表層的であるところが特徴である。「ラジオ・スターの悲劇」においては、ボーカルが機械的に処理されているところなども時代の感覚にマッチしていて、ほぼ同時期にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」などを支持したタイプの人たちにもハマっていたような気がする。

そして、当時としてはなかなか新しいことをやってはいたのだが、けしてマニアックさを前面には出さず、表面的にはポップでキャッチーだったところもとても良かった。ニュー・ウェイヴ的で新感覚な楽曲ではあったのだが、内容は失われていく過去を賛美したノスタルジックなものである。この辺りは80年代初頭のオールディーズリバイバル的な感覚に通じるところもあったように思え、特に女性コーラスによるフレーズにそれを感じる。

00年代前半に「エイティーズ」というコンピレーションCDがわりと売れたりもして、80年代のポップスがリバイバルしているような感じが初めてあった。それまで、80年代に青春時代を送った人々は、60年代や70年代の音楽は後の世代にも聴き継がれているのだが、われわれの世代の音楽はおそらくやがて忘れられていくのだろうと、なぜか思っていたりもしたのだが、時が過ぎるとしっかりリバイバルムードになっていって、こういうのは結局のところ単なる順番待ちにすぎないのかもしれない、などと思わされたりもした。

2001年にフジテレビ系で放送が開始されたバラエティ番組「ココリコミラクルタイプ」で、テレヴァー・ホーンがプロデュースしたフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「リラックス」が主題歌として使われていた頃から、なんとなくそういった気分を感じてはいたのだが、2004年に公開された田中麗奈主演のコメディ映画「ドラッグストア・ガール」では、「ラジオ・スターの悲劇」がエンディングテーマに使われていた。

サザンオールスターズが1981年にリリースした「Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)」のタイトルや、チェッカーズの1986年のヒット曲「OH!!POPSTAR」(歌い出しの歌詞は「Oh 悲劇のポップスターさ」である)にも多少なりとも影響をあたえたのではないかと思われる。