ザ・ジャムの名曲ベスト10

ザ・ジャムのデビュー・シングル「In the City」は、1977年4月29日にリリースされた。以降、1982年に解散するまでの6年間に18曲連続での全米トップ40ヒットを記録し、そのうち4曲は1位に輝いている。1970年後半のパンク・ロック・ムーヴメントの文脈でも語られるのだが、そのルーツは60年代のモッズ文化にさかのぼり、ソウル・ミュージックやR&Bからの影響も受けているところが特徴である。人気絶頂での解散はファンばかりではなく、ポール・ウェラー以外のメンバーをも驚かせたといわれているが、今回はそんなザ・ジャムの楽曲の中から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲をあげていきたい。

10. Beat Surrender (1982)

ザ・ジャムが活動中にリリースした最後のシングルである。バンドが解散する理由にはいろいろあるが、ザ・ジャムは解散当時にもひじょうに人気があり、ファンもポール・ウェラー以外のメンバーも継続するものと信じていた時点での晴天の霹靂であった。初期にはパンク・ロック的であった音楽性は次第にポップス寄りになっていき、ポール・ウェラーにはさらに幅広いタイプの音楽をやっていきたいという希望があったのだが、それをザ・ジャムでやることはすでに難しくなっていたともいわれ、それを実現させたのがザ・スタイル・カウンシルであった。ザ・ジャムの解散を明確に意識してつくられたというこの曲にもそれはよくあらわれていて、コーラスにはザ・スタイル・カウンシルに参加した後、ポール・ウェラーが立ち上げたレスポンド・レーベルからソロ・デビューも果たすトレイシー・ヤングがすでに参加している。タイトルはアニタ・ワードのシングル「Sweet Surrender」にインスパイアされたものでもある。全英シングル・チャートではザ・ジャムにとって4曲目の1位に輝き、有終の美を飾った。

9. The Modern World (1977)

ザ・ジャムはレコード・デビューを果たした1977年の秋には早くも2作目のアルバム「This is the Modern World」をリリースし。この曲はその先行シングルにあたる。全英シングル・チャートでは最高36位を記録した。初期のザ・ジャムらしいパンキッシュなエナジーに溢れた楽曲だが、キャッチーなポップ感覚は早くも感じられる。シングルのB面にはアーサー・コンレイ「Sweet Soul Music」のカバーなどをライブ録音で収録したりもしていた。

8. Start! (1980)

ザ・ジャムの5作目のアルバム「Sound Affects」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで2曲目の1位に輝いた。ギターとベースのリフがビートルズ「Taxman」とひじょうに似ているのだが、「Sound Affects」のアルバム自体が「Taxman」を収録したビートルズ「Revolver」とマイケル・ジャクソン「Off the Wall」に影響を受けているといわれていた。音楽的な実験性とサイケデリック感覚がほどよく効いた、とても良いポップシングルである。

7. English Rose (1978)

ザ・ジャムの最初の2作のアルバムはそれほど評価が高くはないのだが、1978年にリリースされた3作目のアルバム「All Mod Cons」で一気にクオリティーが上がったといわれている。ポール・ウェラーは、この時点でまだ20歳である。全英アルバム・チャートでも最高6位と、初のトップ10入りを果たした。この曲はアルバムのA面4曲目に収録された叙情的なバラードであり、ポール・ウェラーのソングライターとしての新たな境地を明らかにしたものだが、オリジナルのジャケットにもスリーブにも、この曲についてのみ表記がなかったという。

6. In the City (1977)

ザ・ジャムの記念すべきデビュー・シングルで、全英シングル・チャートでは最高40位を記録した。リリース当時、ポール・ウェラーはまだ18歳であり、怒れる若者というようなイメージがパンク・ロック的である曲調にもマッチしていた。タイトルは影響を受けたザ・フーのシングル「I’m a Boy」のB面と同じだが、まったく別の曲である。「young idea」について伝えたいという思いと、制服をまとった体制側に対しての不信感のようなものが早くも歌詞にあらわれている。この約半年後にリリースされるセックス・ピストルズ「Holiday in the Sun」がこの曲とほぼ同じコード進行を使っていた。

5. Down in the Tube Station at Midnight (1978)

ザ・ジャムの3作目のアルバム「All Mod Cons」の最後に収録された曲で、先行シングルとしてもリリースされ、全英シングル・チャートでは最高15位を記録した。ポール・ウェラーによる3人称的なリアリズムが冴えわたった歌詞と、アンセミックなメロディーと演奏がひじょうに印象的な楽曲である。夜遅くに終電で帰ろうとする男が暴漢に襲われ、倒れながら温かい家庭のことを思う、というような内容が緊張感と共に描写されている。

4. That’s Entertainment (1980)

ザ・ジャムの5作目のアルバム「Sound Affects」に収録された曲で、バンドの活動中にはイギリス国内でシングル・カットされなかったのだが、輸入盤の売上だけで全英シングル・チャートで最高21位を記録したという。アレンジに凝ったアルバムの中にあって、弾き語り的なシンプルな楽曲だが、それでもギターの音が逆回転になっていたりとサイケデリック風味が感じられもする。ロンドンのワーキングクラスの日常における、何気ない事柄をいくつも描写し、「That’s Entertainment」と締めることにより、リアリズムとそこはかのないユーモアとペーソス(哀感)が感じられる素晴らしい曲である。アメリカの「Rolling Stone」誌が選んだ歴代ベスト・ソングのリストには、ザ・ジャムの曲で唯一ランクインしている。

3. Town Called Malice (1982)

ザ・ジャムの6作目にして最後のオリジナル・アルバム「ザ・ギフト」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで3週連続1位を記録した。この時の2位が、ストラングラーズ「Golden Brown」であった。「悪意という名の街」という邦題もカッコいいこの曲は、ポール・ウェラーの生まれ故郷であるイギリスのサリー州ウォキングのことが歌われている。いわゆるモータウン・ビートを導入したニュー・ウェイヴ・ソングとしても、ポップでキャッチーでとても良い。

2. The Eton Rifles (1979)

ザ・ジャムの4作目のアルバム「Setting Sons」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高3位を記録した。この曲がザ・ジャムにとって、初のトップ10ヒットであった。タイトルにも入っているイートン校はイギリスのパブリック・スクールというかお坊ちゃん学校の典型のようなもので、イギリスの階級社会を象徴するような存在でもある。失業や低賃金にあえぐ庶民と特権階級的な人たちとの対比という社会的テーマをポップソングに取り入れ、しかもヒットさせてしまうというザ・ジャムというバンドの真骨頂とでもいうべき楽曲である。実際にイートン校の出身だというイギリスのデイヴィッド・キャメロン首相がこの曲について好意的に語っているのを知って、ポール・ウェラーはもちろん不快感をあらわにしていた。

1. Going Underground (1980)

ザ・ジャムが1980年にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートではバンドにとって初の1位に輝いた。「Dreams of Children」との両A面シングルとしてリリースされたのには、プレス工場での事情があったようだが、ラジオ局はよりキャッチーな「Going Underground」の方を選んだようだ。バンドやアーティストにとって最も有名な曲が必ずしもその本質をあらわしているわけではないのだが、ザ・ジャムの場合はこの曲が最も有名でありながら、その本質をもあらわしているように思える。「Going Underground」とは、地に足が着いていなく、浮わついた拝金主義や高度資本主義的、あるいは消費マインド的なものに背を向け、足ることを知るというのか、それが自分らしく生きるということ、というようなひじょうに本質的なことが歌われた曲である。パンク/ニュー・ウェイヴ期において、特に国民的ともいえる人気をイギリスで得ていた背景には、このようないかにもイギリス的な本質というものがあったように思える。政治的なことは個人的なことでもあるという真実が、ひじょうに分かりやすく歌われているという点においても、いかにもザ・ジャムらしい楽曲だといえる。