スティーヴィー・ワンダーの名曲ベスト10

スティーヴィー・ワンダーは1950年5月13日に生まれ、11歳にしてモータウンと契約、1953年にリトル・スティーヴィー・ワンダーの名義でリリースしたライブ・アルバム「12歳の天才」、シングル「フィンガーティップス」がいずれも全米チャートで1位に輝いた。変声期には低迷しかけたかに思われたが、その後、マルチインストゥルメンタリストやシンガー・ソングライターとしての真価を発揮し、特に70年代には社会問題をも取り上げ、音楽的にはひじょうに充実した作品をつくり続けた。全米シングル・チャートでは30曲以上をトップ10入りさせ、グラミー賞では累計22部門において受賞するなど、その功績はひじょうに大きい。という訳で、今回はそんなスティーヴィー・ワンダーの楽曲の中から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲をあげていきたい。

10. Happy Birthday (1980)

スティーヴィー・ワンダーの全楽曲の中から10曲だけを選ぶ場合、ひじょうにしんどい厳選が必要になるわけであり、本来は別の曲が選ばれるべきなのかもしれない。しかし、これを5月13日、スティーヴィー・ワンダーの誕生日きっかけでやっているため、心情的に入れたくはなってしまう。とはいえ、日本のバラエティー番組などで芸能人の誕生日をサプライズで祝う場合、以前にはこの曲がかかる頻度がかなり高かった印象があるのだが、最近はどうなのだろうか。90年代にとあるCDショップでも働いていた時、旬の女性芸能人が客として来店され、誕生日プレゼントのCDを選んでほしいといわれたのだが、これぐらいしかレコメンドできなかったことが思い出される。ぶっとびー、という感じである。

とはいえ、この曲はそもそも一般的なバースデー・ソングというよりは、人種差別の解消のために尽力し、凶弾に倒れたマーティン・ルーサー・キング牧師の誕生日をアメリカの祝日にしようというキャンペーンのためにつくられた曲である。アメリカではシングル・カットされなかったが、イギリスでは全英シングル・チャートの2位にまで上がっていた。

9. Master Blaster (Jammin’) (1980)

スティーヴィー・ワンダーの19作目のアルバム「ホッター・ザン・ジュライ」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高5位、全英シングル・チャートでは最高2位を記録している。レゲエのリズムが用いられていて、ボブ・マーリー「ジャミン」によく似たフィーリングが感じられる。当時、レゲエのリズムは現在ほどよく知られたものではなく、ひじょうにユニークに感じられた。個人的には当時、土曜日の午後に友人と自転車で街に出かける時に、この曲のリズムを口真似していたことが思い出される。越前屋俵太という芸人が80年代のある時期に、一部では次のビートたけしなのではないだろうか、というぐらいに注目されていたような気がするのだが、自身の「オールナイトニッポン」ではテーマソングにボブ・マーリー「ジャミン」を使っていたと思う。

8. I Wish (1976)

1976年にリリースされ、大ヒットした天才的な2枚組アルバム「キー・オブ・ライフ」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。スティーヴィー・ワンダーの子供の頃が解消され、あの頃に戻ってみたいという願いが歌われている。邦題は「回想」である。小学校高学年の同級生で、中学生になってからしばらく音楽についての情報交換を行っていた友人がスティーヴィー・ワンダーの大ファンで、「キー・オブ・ライフ」よりもすごいレコードは存在しないのではないかと、熱く語っていたことが思い出される。

7. As (1976)

発売当時はそれほど目立つ方ではなかったのだが、時を経るにつれ評価が上がっていく曲というのがたまにあり、スティーヴィー・ワンダーの場合だとこの曲だろうか。アルバム「キー・オブ・ライフ」からシングル・カットはされていて、全米シングル・チャートでも最高36位とトップ40入りは果たしている。現在でいうところのシティ・ソウル的な良い感じの曲であり、この愛はけして薄れることはないということが、様々なたとえを通じて歌われている。1999年にはジョージ・マイケルとメアリー・J・ブライジによってカバーされている。

6. I Was Made To Love Her (1967)

スティーヴィー・ワンダーの60年代を代表するヒット曲の1つで、全米シングル・チャートでは最高2位を記録している。ちなみにその週の1位はドアーズ「ハートに火をつけて」であった。ひじょうにピュアなラヴソングであり、邦題も「愛するあの娘に」と分かりやすい。実のガールフレンドのために書かれたということだが、10分ぐらいでできたと語られている。

5. Uptight (Everyyjing’s Alright) (1965)

スティーヴィー・ワンダーは12歳の頃にリリースした「フィンガーティップス」が全米シングル・チャートで1位に輝いたのだが、その後が続かず、変声期が近づいていたこともあって、危うく契約を打ち切られそうな状況だったという。起死回生となったのがこの曲で、全米シングル・チャートで最高3位を記録するのだが、当時、ツアーで一緒に回っていたローリング・ストーンズにインスパイアされたりもしていたスティーヴィー・ワンダーが共作者として初めてクレジットされたヒット曲でもある。

4. Sir Duke (1976)

これもまたアルバム「キー・オブ・ライフ」からのシングル・カットで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。邦題は「愛するデューク」で、1974年に亡くなったジャズ界のレジェンド、デューク・エリントンへのトリビュート・ソングである。歌詞ではカウント・ベイシー、グレン・ミラー、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルドにも言及されているが、いずれもスティーヴィー・ワンダーが強く影響を受けたアーティストだということである。イントロのホーンのフレーズがひじょうに印象的だが、この曲は1977年ぐらいに旭川の豊岡にあった市民生協の店内でも、BGM的にチープにカバーされたインストゥメンタルがかかっていたほど流行っていたようだ。市民生協の裏の駐車場には、よく分からない外国人のヨーヨーチャンピオンを名乗る人たちも、コカ・コーラの赤いブレザーを着て訪れていた。

3. Higher Ground (1973)

スティーヴィー・ワンダーのアルバムとしては「キー・オブ・ライフ」と共にひじょうに評価が高い「インナーヴィジョンズ」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高4位を記録した。クラヴィネットのサウンドがひじょうに印象的なファンキーな曲で、輪廻転生について歌われている。レッド・ホット・チリ・ペッパーズが、1989年のアルバム「母乳」でカバーしている。

2. Livin’ For The City (1973)

これもまたアルバム「インナーヴィジョン」からのシングルであり、全米シングル・チャートで最高8位を記録している。ミシシッピ州の貧しい家庭で生まれた若者が希望を持ってニューヨークに出てくるのだが、やがて犯罪に手を染めてしまうという内容が歌われていて、反人種差別的なメッセージも含まれている。邦題は「汚れた街」である。街のノイズが効果音として用いられているのも、特徴的である。スティーヴィー・ワンダーの楽曲から10曲を選ぶにあたり、80年代に全米シングル・チャートで1位に輝いた「心の愛」「パートタイム・ラヴァー」や70年代の人気曲「マイ・シェリー・アモール」「サンシャイン」「可愛いアイシャ」などをも圏外にせざるをえなかったのだが、これ以外にも「渋谷系」的な人たちに人気の「くよくよするなよ」、ポール・マッカートニーとの「エボニー・アンド・アイヴォリー」、ディオンヌ・ワーウィック、グラディス・ナイト、エルトン・ジョンとのディオンヌ&フレンズ名義での「愛のハーモニー」といういずれも全米NO.1ヒット、楽曲を提供したりハーモニカで参加した曲まで入れるとさらにたくさんあるのだから、本当にすごいことである。

1. Superstition (1972)

「トーキング・ブック」はスティーヴィー・ワンダーがそれまでのモータウン的なサウンドから脱却したという点で、ひじょうに重要なアルバムである(レーベルはずっとモータウンだが)。この曲は当初、ジェフ・ベックに提供しようとしていたのだが、マネージャーからのアドバイスによって、自らレコーディングすることになったのだという。クラヴィネットを効果的に用いたファンキーなサウンドは、当時ひじょうに画期的だったようで、この数年後に日本で史上初のミリオンセラーとなる井上陽水のアルバム「氷の世界」の表題曲も、サウンド面でこの曲に影響を受けている。歌詞は根拠に乏しい迷信を否定するような内容になっている。「トーキング・ブック」からはこの曲と「サンシャイン」が全米シングル・チャートで1位に輝いている。