サザンオールスターズの名曲ベスト50 Pt.3 (30-21)

30. 私はピアノ (1980)

サザンオールスターズの3作目のアルバム「タイニイ・バブルス」に収録された曲で、原由子がはじめてリードボーカルを取っている。高田みづえによるカバーバージョンが、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。

桑田佳祐のソングライターとしての才能がこの曲によってさらに注目されるようになり、これ以降、アルバム収録曲が女性アーティストによってカバーされがちな流れができていった。

昭和歌謡的な楽曲でありながら、歌詞にはラリー・カールトンやビリー・ジョエルの名前が出てくる。

29. 素敵なバーディー (NO NO BIRDY) (1993)

サザンオールスターズの33枚目のシングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。前作にあたる「シュラバ★ラ★バンバ」「涙のキッス」と同様に、「エロティカ・セブン」とシングル2枚同時発売であった。

初期のサザンオールスターズを思い起こさせもする、派手さはないもののとても良くグッとくるロッカバラード的な楽曲である。

28. お願いD.J. (1979)

サザンオールスターズの2作目のアルバム「10ナンバーズ・からっと」の1曲目に収録されていた曲で、ラジオの深夜放送がテーマになっている。

この頃のサザンオールスターズの音楽というのは若者の悩めるハートにフィットするものでもあり、深夜放送の雰囲気にも合っていたような気がする。桑田佳祐は実際に当時「オールナイトニッポン」の木曜1部を担当していた。この枠はダディ竹千代を経て1981年からはビートたけしへと引き継がれるわけだが、その間、午前3時からの2部はずっと明石家さんまが担当していた。

間奏では「アメリカン・グラフィティ」やFENで人気があったアメリカのディスクジョッキー、ウルフマン・ジャックのものまねがフィーチャーされている。この曲もこういったサザンオールスターズの名曲リスト的なものにはあまり挙げられてはいなく、これもまたクセ枠ということになるだろうか。

27. そんなヒロシに騙されて (1983)

サザンオールスターズの6作目のアルバム「綺麗」に収録された原由子のリードボーカル曲で、「私はピアノ」に続いて高田みづえがカバーして、オリコン週間シングルランキングで最高6位のヒットを記録した。

60年代のエレキブームを連想させるレトロな曲調とサウンドが特徴で、ザ・ヴェンチャーズでお馴染みのテケテケテケテケといったフレーズもフィーチャーされている。

26. My Foreplay Music (1981)

サザンオールスターズの4作目のアルバム「ステレオ太陽族」の収録曲で、「栞のテーマ」のB面としてシングルでもリリースされた。タイトルの「Foreplay」とは「前戯」のことであり、性的な内容が歌われている。

テレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」でもよく使われていた印象があり、青春の悶々とした気分がライト感覚で表現されている。田中康夫はかつてサザンオールスターズは現代の春歌である、というようなことをいっていた。

25. 東京VICTORY (2014)

サザンオールスターズの55枚目のシングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。

これだけのキャリアを重ねていながらも、メインストリームでヒットし続けていること自体がすごいのだが、サウンド面でもオートチューンの導入など新しいことに取り組んでいて、アンセミックなフレーズを入れるなどの工夫も感じられる。

いろいろな意味での応援歌となっていて、この辺りはおそらく好みが分かれがちだとは思うのだが、クオリティーは間違いがない。

24. 愛はスローにちょっとずつ (2019)

サザンオールスターズの3作目の配信シングルとしてリリースされ、オリコン週間デジタルランキングで最高3位を記録した。

失恋をした時の惨めでやるせない気持ちに寄り添うようなバラードで、どこか懐かしさもありながら、ひじょうに瑞々しい表現にもなっていてとても良い。桑田佳祐によって書かれた曲が初期において多くの若者たちのハートをキャッチした要因として、こういった要素がとても重要なものとしてあったような気がする。

23. みんなのうた (1988)

サザンオールスターズがデビュー10周年にあたる1988年にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。

1985年に「KAMAKURA」をリリースして以降、桑田佳祐はKUWATA BANDやソロアーティストとしての活動に力を入れたりしていて、サザンオールスターズは活動休止状態にあったのだが、約2年10ヶ月ぶりのシングルとしてリリースされたのがこの曲であった。

邦楽ロック&ポップスの革命児からJ-POPの大御所へとサザンオールスターズのシーンにおける存在意義が変化していくにあたり、転機となったシングルであるように思えなくもない。

22. 思い過ごしも恋のうち (1979)

サザンオールスターズの2作目のアルバム「10ナンバーズ・からっと」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。

当初、「勝手にシンドバッド」「気分しだいで責めないで」に続く3枚目のシングルにという案もあったようだが、それまでのイメージを覆すバラードの「いとしのエリー」がレーベル側の反対を押し切って発売された結果、バンドにとって過去最高の大ヒットとなった。

それでもアルバムの収録曲の中でも人気があったのでやはりシングルカットもされたところ、すでにアルバムが売れていたにもかかわらずこの曲もヒットした。アレンジは一部がアルバムとシングルとで違ってはいるのだが。

当時の若者にとって最大の悩みでもある性愛問題について、それほどモテてもいない立場から共感できるメッセージを発していた点が人気の秘訣の1つでもあったわけだが、そこのところがひじょうによく分かる楽曲である。

ジャケットの左上に載っているバンドのロゴはあまり普及しなかったような気もするのだが、これが入った財布を使っていたことが思い出される。

21. 彩~Aja~ (2004)

サザンオールスターズの48枚目のシングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。

タイトルからはやはりスティーリー・ダンの1977年の名盤が連想されるのだが、「Aja」はインドネシアの言葉で「永遠」の意味があるとのことである。

春のラブソングのようでもありながら、亡き父に捧げられていると桑田佳祐自身によって語られている。